桜の香りを乗せた風が頬を撫で、流れていく。

「・・・今日あたり満開になるわね」

 そっと呟いて、 は溜息を吐いた。
 真っ青に広がる青空と優しく色付いた桜花。
 今日のように天気のいい日に花見をできたら最高なのに、これから仕事かと思うと気が滅入ってしまう。
  は桜花を見つめて、黒曜のような瞳を僅かに細めた。
 桜はあの人に一一一彼に似ている。
 優しくて、華麗で、しなやかで。それが彼の全てではないことはわかっている。
 けれど、どこか似ているような気がする。
 できるなら、彼と一緒に花見をしたい。
 でも、週明けまで休みがない。休日になるまで桜が咲いている保証はどこにもない。
 せめて定時に上がれるなら、夕焼けの中で桜を楽しむことができるのに。
 そう胸の内で呟いて、歩みを止めた足を動かし、仕事へ向かった。



桜色の約束



 仕事が終わりビルの外に出ると、すでに暗くなっていた。
 春になり陽の沈みが遅くなったけれど、現在の時刻は夜7時。暗くならない筈がない。
 


「え?」

 不意に名を呼ばれて、 はきょろきょろと視線を動かす。
 すると、すぐ近くで手を振る人の姿が瞳に映った。
 驚きに目を丸くする に不二はクスッと笑って。

「お疲れ様」

 白い頬に長い指で触れながら、声をかけた。

「周助…いつからココにいたの?」

「僕が気にして欲しいのは違うトコなんだけどな」

 楽しそうに笑う不二の真意を読み取れず、 は訝し気に眉を顰めた。

「家まで送るよ」

「えっ?」

 訳がわからず瞳を丸くする彼女に、不二は首を傾げて微笑んで。
 白く細い指に自分のそれを絡めて手を繋ぐ。

「ちょっと寄り道していくけどいいよね」

「え…別にいいけど…」

 戸惑っているうちに、不二によって予定が決められていく。

「じゃあ決まりだね」

 不二はフフッと微笑むと、 の手を引いて歩き出した。

 自宅の最寄り駅である青春台駅の手前の駅で降りて、二人は公園へ向かった。
 青春台の外れにあるため、手前の駅で降りて歩く方が近いのだ。
 10分程歩くと、闇色の空の下に僅かな光が見え始めた。
 
(もしかして・・・)

 黒曜石のような瞳を不二に向けた。
 すると の視線に気付いた不二が色素の薄い瞳を細めて微笑した。

「・・・キレイ」

 闇にぼんやりと浮かび上がった桜は幻想的で。
  はうっとりした表情で溜息を吐いた。
 大人二人でようやく囲めそうな太い幹。空に向かってグンと伸びた枝には、たくさんの花が咲いている。
 派手にライトアップされている訳ではないから、樹の上は暗くて見え辛い。
 けれど、明りがないのとあるのとでは見え方がまるで違う。

「昼間の桜もキレイだけど、夜桜もいいわね」

「フフッ。そう言ってくれて嬉しいよ」

「周助、ありが・・・」

 とう、と続く筈の言葉は不意のキスで塞がれた。

「甘い…ね」

「・・・・・・もうっ」

 唇を尖らせて抗議をする の目元は、桜の花びらのように淡く色付いていて。
 彼女の態度が虚勢であることは明確だった。

「桜はキレイだけど、 の方がもっとキレイだよ。 僕の目を惹きつけて離さない」

 甘い囁きに白い頬が真っ赤に染まる。
 鼓動の早さが増していくのが自分でもはっきりわかる。
 不二の顔を直視できなくて、 は僅かに視線を逸らした。

「クスッ…そろそろ帰ろうか」

「・・・うん」

 頷いて、 は桜を見上げた。
 赤く色付く唇が動いて、昔人の詠を紡いだ。
 とても小さな声だったが、それは不二の耳に届いていて。

「ああ、そんな感じだね」
 
 色素の薄い瞳で満開の桜を見上げて頷く。

 吹き抜けた風が花びらを宙に攫う。
 水のない空に流れるように舞う花びらは、川面に落ちて流れゆく花びらに似ている。

「来年は昼間に来たいわ。・・・夜桜はキレイだけど」

 少し淋しい気がするの

 耳に届いた微かな囁きに不二は切れ長の瞳を細めて。
  の細い肩を優しく抱き寄せた。

「・・・私、お弁当作るから、一緒に」

 首を傾けて見上げてくる恋人に不二は優しい笑みを浮かべて。

「もちろん、僕はそのつもりだよ」

「…ふふ」

 くすぐったそうに微笑む に不二はクスッと笑って。
 ほんのり桜色に染まった頬にキスを落とした。






 玄関の扉を開け部屋に上がった は驚きに瞳を見開いた。

「クスッ、驚いた?」

 コクンと頷いて、 は不二を見つめた。
 会社に迎えに来てくれる前にここに寄ったのだろう。
 
「ちょっと早いけど、僕からのバースデープレゼント。
 19日は出張だって言ってから、当日にお祝いできないでしょ。だから…ね」

「ありがとう、周助」

 桜の風景写真を手に、花が咲くようにふわりと微笑んで。
  は不二の頬にキスを落とした。

「君が喜んでくれて僕も嬉しいよ。でも、プレゼントはパネルだけじゃないんだ」

 不思議そうに首を傾ける に、不二はクスクス笑って。

、スーツじゃ辛いでしょ。着替えてきたら?」

「あ、そうね。このままじゃ料理もできないわ。
 周助、お夕飯食べていくでしょう?」

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「うん。じゃあ、ちょっと待ってて」

 言って は着替えるために寝室へ向かった。
 扉が閉まったのを確認して、不二は意味ありげに微笑んで。

「きっと驚くだろうな」

 一人ごちて、キッチンへ向かった。

 着替えてリビングに戻った は、驚きに瞳を見開いた。
 テーブルの上に料理が並んで、食べるだけとなっていたから。
 呆然としているとクスッと笑う声がして。
 視線を動かすと、湯気を立てるスープをトレイにのせた不二がいた。

「・・・これ、周助が?」

「そうだよ。料理上手な君のように上手くないけどね。 僕からのもうひとつのプレゼント」

 不二は悪戯っぽくウィンクしてみせた。
 そんな彼に は瞳の縁にうっすら涙を浮かべて。

「幸せすぎて溶けちゃいそう・・・」

 不二は手に持ったトレイをテーブルの上に置いて。
 潤んだ瞳で微笑む の手を引くと、腕の中に閉じ込めた。

「そんなに可愛く微笑まれたら、我慢できなくなる」

「しゅ・・・んッ」

 吐息の重なる深いキスをして、名残り惜し気に柔らかな唇を放した。

「今夜はこれで許してあげるよ。続きは の休みの日にゆっくり…ね」

「しゅ、周助ッ」

 不二はフフッと微笑んで、淡く色付いた頬にキスを落とした。

「少し早いけど‥‥誕生日おめでとう、

 







END

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