あなたのためにできること



 夏休みが始まり、二週間が過ぎた。
 校庭では運動部が、校舎内では文化部がそれぞれ活動をしている。
 演劇部も例に洩れず、いつもの場所である体育館のステージで部活動をしていた。
 今日の部活は午後からで、終わるのは17時の予定だったが、顧問の都合で16時過ぎに部活が終わった。
 季節が夏になり太陽が沈むのが遅くなっているから外は明るく、夕方という感じがしない。
 体育館は空調が入っているため暑くはないが、外は炎天下だろう。

。今日も?」

 昇降口で上履きから革靴に履き替えながら、 が訊いた。
 その問いに、 は僅かに瞼を伏せて。

「うん。でも、仕方ないもの」

 少し淋し気な声で応えて、 は微笑んだ。
 けれど、その笑顔にはいつもの元気がなく、無理して笑っているのがわかる。

「逢いに行けばいいのに」

  がそう言うと、 は左右に緩く首を振った。
 そして、僅かに乱れた長い黒髪を直すこともせずに、言葉を唇に乗せる。

「邪魔になりたくないの。だから、行けない」

 赤く色付く唇を僅かに噛み締めて言った親友に、 は深く溜息を吐いた。
 いつも素直なのに、こういう時は―――不二が関わっている時は、 は頑固になる。
 そんなに感情を押し殺さなくていいと は思うのだが、3日前から の答えは変わらない。
 詳しい話を がしないから、明確な理由はわからない。
 けれど、 の元気がない原因に不二が絡んでいるのは間違いないと は見ていた。だから、部活中の休憩時間に手を打っておいた。

「・・・我慢は身体によくないわよ」

「我慢なんてしてない」

「まだそんなコト言うの? あんまり頑固だと、不二君に言い付けるわよ」

 俯き加減の を覗きながら が言うと、 は弾かれたように顔を上げた。

「来るなって言われたわけじゃないでしょう」

「それは・・・そうだけど・・・」

「それなら問題ないじゃない」

「だけど・・・私が行ったら邪魔になるわ」

「自分の価値をわかってないわね。
  が不二君の力になることがあっても、その逆はないわ。絶対に」

・・・」

 真剣な瞳で見つめてくる親友に、 は黒曜石のような瞳を細めた。

「不二君は青春テニススクールの屋内練習場よ。国光から聞き出したから間違いないわ。
 行ってきなさい。それで、しっかり元気になってくるのよ。
 明日、元気になってなかったら、部長権限で だけ練習量を倍にするからね」

  は口元を上げ微笑んで、 の背中を軽く押した。

・・・。 うん、行ってくる・・・周くんの応援してくるね」

  はようやくいつもの笑顔を見せて、軽い足音をさせて学校を出ていった。

は行ったようだな」

 靴箱の影から姿を見せた手塚に は頷いた。

「これから行くの?」

「ああ」

 手塚を見上げて問うと、短く返事が返ってきた。








「・・・なんて声かけたらいいかな?」

  に教えてもらった、不二の居場所。
 少しでも早く逢いたくて、顔を見たくて急いで学校を出てきた。けれど、どう声をかければいいかわからない。


 4日前、部活からの帰り道、公園前を通った時、ユニフォーム姿でジャージの上だけを着て、テニスバッグを肩にかけている不二に逢った。
 うっすら汗をかいていたの見て、 は彼が公園のテニスコートで練習していたのだろうと思った。
 けれど、穏やかな彼の表情はいつもと少し違っていて、すぐに何かあったのだと察した。

。今、帰りなんだ? 家まで送るよ」

「え…でも、周くん疲れてるでしょ。私なら平気よ」

 全国大会まで、あと6日。夏休みに入ってからは、毎日ハードな練習をしているのを知っている。
 今日も朝早くから夕方まで、テニスコートで練習していた。
 一緒に帰れるのは嬉しいし、一緒にいたいと思う。けれど、彼が疲れているのをわかっていて、申し出には甘えられない。彼の負担にはなりたくない。

と一緒にいたいんだ」

 抑揚を押さえたような不二の声に は頷いた。
 滅多にないことだが、彼が甘えたい時に言うセリフだったから。

 手を繋いで歩きながら聞かされたのは、 にとっても衝撃的な出来事だった。
 いつかはくることだから、と不二は言っていたけれど。でも落ち込んでいない筈はない。
 彼が『天才』と呼ばれるのを好きではないことはよく知っている。
 努力をしてきたからこそ、今の彼がいるのだ。
 その努力の結晶とも言える、不二のトリプルカウンター。

「・・・トリプルカウンター、破られたよ。
 全国で勝ち抜くためには新しい技を身につけないと、ね」

「周くんならきっとできるわ」

 胸の奥がツキンと痛むのを隠して、 は柔らかく微笑んだ。
 直接なにかできるわけではないけれど、信じているという気持ちを込めて。

「ありがとう、 。 頑張るよ」


 
「声・・・かけなくてもいいよね。周くんが頑張ってる姿を見るだけで・・・」

  には応援してくる、と言ったものの、練習の邪魔はしたくない。
 明後日には全国大会が始まる。
 彼なら新しい技を完成させていると思うから、こっそり姿を見よう。
 そう決めて、 は室内練習場の扉を静かに開けた。

「き、君!危ないよ!今度は三台なんてっ!?」
「やめるんだ!」

 緊迫した男性の声が重なって の耳に届いたのと、マシンからボールが打ち出されたのは、ほぼ同時。
 驚愕に彩られた黒曜石の瞳が、ボールを待ち構えている不二を見つめる。
  は我知らず、祈るように両手を固く合わせていた。
 不二のラケットが全てのボールを包み込んだように見えた…ような気がする。
 次の瞬間には、バスッと大きな音とともにボールがネットの中心へ当っていた。
 不二がラケットを下ろし、荒い呼吸を整えている。

「今のは・・・」

 柔らかな唇から吐息に似た呟きが洩れた。
 


 耳に届いた声に の瞳がハッとしたように不二に向けられる。

「ごめんなさい・・・周くんの邪魔をするつもりはなかったのだけど」

 しゅんと項垂れる に不二は困ったように笑って。
  の傍に移動すると、優しく頭を撫でた。

「邪魔なワケないでしょ。来てくれて嬉しいよ」

「周くん・・・今のって」

 愛おしそうに瞳を細めて微笑む不二に安心して、 は口を開いた。

「うん。完成したよ。・・・フォースカウンターが、ね」

 フフッと嬉しそうに笑う恋人に、 は満面の笑みを浮かべた。

「おめでとう、周くん。 どうなってるのかよくわからないけど…すごかった」

 素直に感想を述べると、不二はクスッと笑って首を傾げた。

「ありがとう、 。君が応援してくれたおかげで完成したよ」

「私はなにも・・・」

「いや、してくれたよ。僕を信じてくれてたでしょ?」

 どこか確信したような笑みを浮かべる不二に は瞳を丸くした。
 そんな彼女に不二の笑みが深くなる。
 
「ありがとう」

「周くん…お疲れさま。全国大会、頑張ってね」

 その言葉に不二は頷いて、 の手を引いた。

「応援に来てくれる?」

「うん。いっぱい応援するね」

 嬉しそうに笑う を幸せそうに瞳を細めて見つめた。

「ありがとう。君の応援があれば、どんな相手にも勝てるよ」

 華奢な身体をそっと抱き寄せて、不二はゆっくり顔を近付ける。
  が白い頬を僅かに赤く染めて瞳を閉じると、不二はクスッと小さく笑って。
 柔らかな唇に甘いキスを落とした。






END

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