PM 5:00




 二月末日の前日――27日、学校から帰宅した不二は、自室の机に一枚のハガキが置いてあることに気がついた。
 山葵色のハガキには消印がなく、宛名には住所が書かれておらず、『不二周助様』とだけ書いてある。
 訝しげに思いながら裏面を見た不二は、文面に目を通してクスッと小さく笑った。

【P.M 5:00に仕掛け時計の前で】

 時間の指定だけで、日付や詳しい場所のことは何も書かれていない。
 けれど、これだけで不二は全てを察した。
 キーワードは、仕掛け時計。街角やデパートなどで見かけるそれはいくつもあるけれど、そこを待ち合わせに指定する人物は、一人しか思い浮かばない。
 そして、日付は明日だということもわかる。
 今日が27日なら、明日は28日。29日のない今年は、一日早いが自分の誕生日だ。
 それに、今日のように郵便ではなく、直接ポストにハガキが届くのは、初めてのことではない。
「…明日が楽しみだな」
 一人ごちて、ハガキを机の引き出しへ大切にしまった。


 翌日。
 放課後の部活が終わると、不二は飛び出すように学校を後にした。
 土曜日の部活はだいたい三時間程で終わるのだが、今日は30分程終わるのが遅かった。しかも、帰り際に部室近くで、数人の女生徒に待ち伏せされていた。
 部活が長引いたので、急いでも着くのは17時ぎりぎりになってしまう。
 朝練後や授業と授業の間の休み時間にも同様のことがあって辟易していたし、今日はこれから予定がある。「受け取れない」と言う時間さえ惜しくて、不二は適当にかわして駅へ急いだ。
 誕生日を祝ってくれるという気持ちは嬉しい。けれど、プレゼントは受け取れない。
 ちょうどホームに来ていた電車に飛び乗り、五つ目の駅で電車を降りた。
 学校や会社帰りの人で込み合う駅構内を抜け、駅前の広場に向かう。
 そこに――広場にある仕掛け時計の前に、彼女がいる筈だ。
 待ち合わせをしている人がたくさんいるのに、どうしてだろう。
 不思議なほど、好きな人の姿はすぐに見つかる。
 目立つほど背が高い訳でもなく、目立つ格好をしている訳でもないのに。

 名を呼ぶと、は左手を胸の辺りで振りながら微笑んだ。
 時刻は17時ちょうど。頭の上で仕掛け時計の人形がワルツを踊り始めた。
 どうにか間に合ったことに、不二は胸を撫で下ろした。
「待たせてごめん」
「今来たばかりだから平気です」
 首を傾けて微笑むの手を取ると、氷のように冷たかった。
 春先でこんなに冷たい手をしているということは、かなり前から来ている証拠だ。
「嘘吐き」
 不二に僅かに険しい瞳で言われて、は言葉に詰まった後で謝った。
 ずっと待っていたなんて知られたくなかったし、待っていたと知ったら彼は自分のせいだと気にするに違いない。
 だから言わなかったのに。
「…急に手を取るなんて反則ですよ」
 ぼそりと呟いた言葉だが、それは不二の耳にしっかり届いていた。
「反則なのは君の方だろ」
「え?」
 は黒い瞳を瞬いた。
 反則って、何かしただろうか?
 思い当たることがまるでない。
 困った瞳を不二に向ければ、彼は仕方ないというような顔で軽く溜息をついた。
「あのさ、二週間も連絡くれなかったのに、急に『逢いたい』って言われた身になってよ。
嬉しいけど、反則だって思わない?しかもそれが自分の誕生日なんだよ」
 優しい声なのに少し棘を含んでいるように聞こえるのは、きっと気のせいではない。
 彼の口元は弧を描いて微笑んでいるのに、色素の薄い瞳が笑っていない。
 本気で怒っている訳ではないのはわかるけれど、本音を言っているのは間違いない。
「だ、だって連絡したら言ってしまいそうだったんです」
「でも、今はもう聞いていいことなんだろ?」
 の手を取ったまま、不二がじり、と距離を縮める。
 詰め寄られた以上、黙ったままではいられない。
 それに、不二の言うとおり、もう言ってしまって構わないのだ。
「どうしても今日に間に合わせたかったんです」
 は不二を見上げて、言葉を続ける。
「先輩、手を離して目を瞑ってくれますか?」
 不思議に思いながらも不二は言われた通りにの手を離し、瞳を閉じる。
 数秒して、耳の横で空気が微かに動いた気がした。
「目、開けてください」
 彼女の言葉に瞳を開けた不二は驚きに瞳を瞠った。
 色素の薄い瞳に映っているのは、真っ白なマフラー。
 自然に手を伸ばしてそれに触れる不二の耳に、の嬉しそうな声が届く。
「お誕生日おめでとうございます、不二先輩」
「ありがとう」
 連絡を取れなかった理由が自分へのプレゼントなら、怒るに怒れない。
「…もう怒ってないですか?」
 上目遣いに訊かれて、不二はにっこり微笑んだ。
「さあ、どうかな」
「……そんな言い方、意地悪です」
 むぅっと眉を寄せて拗ねるに、不二は色素の薄い瞳を細める。
が悪いんだよ。罰として――」
 今日から『周助』って呼んで。
 の耳元へ唇を寄せて囁くと、彼女の白い頬は一瞬で真っ赤に染まった。
「む、無理ですっ。恥ずかしくて呼べないです」
「呼べなくても構わないけど、名前で呼んでくれないと返事しないよ」
 フフッと微笑んで言われた言葉に、は固まった。
 不二の笑顔は嘘じゃないよ、と雄弁に語っている。
「ねえ、呼んでくれないの?」
「………しゅ……さん」
「聞こえない」
 にっこり笑顔で駄目出しをされて、は「意地悪」と小さく呟く。
 だが、悪態をついても、不二の無敵の笑顔は崩れない。
「……しゅ、周助さん」
 視線を彷徨わせながらも名前を呼ぶと、不二は嬉しそうに微笑んだ。




END


Dearest You 〜Syusuke's Birthday〜 お題「放課後」


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