His Room




「日当たりのいい出窓には、サボテンが二鉢。その隣にある棚にもサボテンが三鉢。
壁には自分で撮影した写真や、お気に入りの写真が飾ってある。あいつの話では、季節ごとに替えているらしい。
それから、巨大なクローゼットがあって、洋服や本が収納されている。見せてもらったことはないが、興味深いだろう?」
 ノートを片手に眼鏡を逆光でキラリと光らせる乾に、はうんともすんとも言えなかった。


 男子テニス部マネージャーであるが昼休みを利用して一年五組を訪れたのは、乾に部の用事を伝えるためだった。
 乾は教室の中程、一番後ろの自分の席で、分厚い本を読んでいた。
 が側に行くより先に彼女の存在に気がついた乾は、読んでいた本から視線を上げた。そして、机の中から一冊のノートを取り出し、ぱらぱら捲った。
 またなにかデータを取るつもりなのだろうとは気に止めなかった。言っても無駄なことはよくわかっている。乾がデータを悪用しないと信じているし、データを取られることは諦めていた。
「乾君、今日のミーティン――」
「ああ、その話は聞いているよ。それより、いいことを教えてあげよう」
 そう言って乾は先程の言葉を言ったのだった。


 乾の話の内容はなんとなくだがわかった。
 サボテンと写真という言葉から連想できる人物に、一人だけ心当たりがある。
 その人とは同じ部活に所属していて、中等部の頃から想いを寄せている。
 だが、突然そんな話をされる意味が全くもってわからない。
 の沈黙を意に介さず、乾はなおも話を続ける。
「これは最近仕入れた情報なんだが、ケルト音楽が好きらしい。あいつの部屋にはアナログオーディオセットがあるから、聴かせてもらうといい。ジャズやクラシックのレコードもかなり持っているから、お前の好きな曲もあるだろう」
「えーと、乾君」
「ん?他に聞きたいことがあるのか?」
 ノートを閉じた乾が僅かに首を傾げる。
 俺にわかることならなんでも教えるぞ、と言う乾に、は首を横に振った。
「そうじゃなくて、どうして急にそんな話をしたのかなって思って」
「お前があいつの部屋に行った事が無いと知ったからだ」
「それを知ったからってどうして?」
 納得できないと顔に書いたに、乾は口元だけを上げてフッと笑った。
「知りたかったのは、だろう?」
「な…っ…」
 の白い頬にさっと赤みがさす。
 一言も誰にも言ったことがないのに、どうしてそんなことを乾が知っているのだろう。
 いや、でも四六時中データを取っている彼だから、気づかれてしまったのかもしれない。
 は動揺と焦りが隠せずに、あれこれ考えをめぐらせてしまう。
 そしてふと気がついた。
 もし彼が知っていたらどうしよう?
 体中からさぁっと血の気が引いていく思いがした。
 気がついていないで欲しいと願うように両手を握り合わせたの耳に、落ち着いた声が届く。
「心配するな。あいつは知らない」
 その言葉に、はホッと安堵の息を零した。
 よかった。彼が――不二が知らないならいい。乾は嘘は言わないし、今自分と話した内容も口外しないだろう。だから、心配はいらない。
 けれど、まだ疑問がある。
 は気を取り直して、乾を見た。
「……ねえ、乾君」
「なんだ?」
「どうして知ってるの?」
「企業秘密だ」
 眼鏡のブリッジを右手の人差し指でくいっと直す乾に、は苦笑するしかなかった。
 企業秘密イコール答えは教えない、ということだ。いくら問い詰めても乾は言わないだろう。彼の集めたデータを無理矢理にでも引き出せるのは、が知る限りおそらく一人――不二だけだろう。どうやって聞き出すのかは知らないが、それを言っていた時の菊丸の顔を思い出す限り、聞かずにいたほうが心中穏やかでいられそうだ。好きな人のことはなんでも知りたいと思うけど、知りたくないことというのも存在するんだ、と思った記憶がある。
「他に知ってる人はいないのよね?」
 はっきりとしておきたくて訊くと、乾は深く頷いた。
「ああ」
「それならいいわ。……ありがとう」
「いや」
 じゃあね、と手を振って踵を返したに背中に、乾は心の中で呟いた。
 気がついていないのは、――お前だけだぞ。
 は上手く隠せていると思っている。けれど、それは彼女だけ。彼女以外の仲間は本人も含めて、気がついている。が不二を好きで、不二もまた彼女が好きだということに。


 出窓から見える空は青く広がっている。雲がない空は、雨の心配がないことを告げていた。
 その窓から柔らかな暖かい冬の陽射しが、部屋の中へ差し込んでいる。
 はいつものように彼のベッドに座った。初めて彼の部屋に入った時は緊張していたけれど、今ではすっかり慣れてしまって、自分の部屋にいるよりも彼の部屋にいるほうが好きになってしまったくらいだ。
 視線を窓辺に滑らせて、は黒い瞳を和らげた。
 心なしか窓辺に置かれたサボテンたちが喜んでいるような気がする。
 不二に言ったらどんな顔をするだろう?
 そんなことを考えていたら、はふと『不二の部屋情報』を思い出した。
「どうかした?」
 部屋へ通した彼女が不意に小さく笑ったのに気がつき、不二は訊いた。
 アナログオーディオセットにクラシックのレコードをかけようとしていた手を止めて、ベッドの上に座ったの隣に自分も腰を下ろす。二人分の体重が乗ったベッドのスプリングが僅かに軋んだ。
「乾君の話を思い出したの」
「乾の話?」
 色素の薄い瞳が細められ、僅かに剣が滲む。不二の雰囲気が瞬時に変わって、は慌てた。
 極稀にしか見ない少し怒っているような瞳は、妬いている時に彼が見せるものだ。
「そういうんじゃないから!」
「それならいいんだけど」
 納得顔をしてはいるが、不二の心中は穏やかではなかった。
 自分が知らない彼女がいるのは仕方が無い。そう頭では理解していても、感情は別だ。自分以外の男の名前が彼女の口から出ただけで、嫉妬にかられる。案外自分は心の狭い人間なのだ。
 はっきり言ってしまってもいいのだけれど、格好悪い気がして言えない。彼女に見破られている時点ですでに格好もなにもないのかもしれないけれど。
「僕といる時に他の男の名前を出したら、罰としてキス一回、なんてどう?」
 冗談めかして、でもあながち冗談ではないことを言うと、は白い頬をほんのり赤く染めた。
「ま、またそういうことばっかり言って」
 は怒ったような顔をしたが、はっきりとダメともイヤとも口にしなかった。そのことに不二は満足そうにクスッと笑みを零す。
「半分は冗談だよ。それで、どんな話なの?」
「あ、うん。去年の秋頃のことだけど、部の用事があって乾君のクラスに行ったの」
 半分冗談ならあと半分は本気で言ってるということだろうか。聞くのは恐いので、聞かなかったことにし、はその時の出来事を話した。
 ちなみに、その日の放課後、乾が不二の部屋の間取り図をくれて、自分の部屋の家具の配置を同じにしようかな、などと考えたのはむろん秘密だ。恥ずかしすぎて絶対に言えない。
 彼女の話を聞き終えた不二は僅かに首を傾けて微笑んだ。
「乾の話を聞いて、はどう思った?」
「どうって?」
「知りたかったことがわかって、どう思った?」
 にっこり微笑む不二の意図がわかって、は視線を彷徨わせた。
 彼は自分が何と答えるのかわかっていて聞いている。絶対そうだ。
「…周助くん、わかってるんでしょう?」
「なんとなくは、ね。でも、の口から聞きたいな」
 ねぇ、教えてよ。
 耳元でそう囁かれて、は一瞬にして顔が熱くなった。頭から湯気でもでているんじゃないかと思うほど、顔がとても熱い。
「…ずるい」
 口の中でもごもご反論しても、不二は微笑みを崩さない。

 優しい声で名前を呼ばれたら、もう負けるしかない。
「……嬉しかった」
 周助くんの部屋に来たことなかったから。  
 小さな声で渋々とだが素直に告げると、不二は色素の薄い瞳を細めた。
「ありがとう」
 嬉しそうに微笑む不二に、はやっぱりずるいと思った。
 彼と付き合い始めて、明日で――2月29日でちょうど一年になる。今年は閏年でないから29日はないけれど。
 勝てた試しが一度もない。どうしても勝ちたい訳ではないけれど、負けたことしかないのは、少し悔しい。
 は紺色の紙袋から不二の瞳と同じ色――ウォルナットブラウンの包装紙に白いリボンをかけた包みを取り出した。
 それを微笑みながら不二へ差し出す。
「一日早いけど…お誕生日おめでとう」
「ありがとう、
 不二の両手がプレゼントに触れた瞬間。は彼との距離を縮めた。不二が驚きに瞳を瞠った時には、の唇は彼の頬から離れていた。
 思いつきで思わずキスしたは、耳は勿論、首筋まで赤く染めて、不二から視線を逸らした。ちょっとだけ勝てたかなと思うのだが、今更ながらとても恥ずかしい。
 そんな彼女に不二はクスッと愛しげに微笑む。
 不二は受け取ったプレゼントを脇に置いて、右手での左手をそっと取った。
 不意に手を取られたが不二に瞳を向ける。
「勝ち逃げはさせないよ」
 色素の薄い瞳を細めて微笑んで、の左手の甲へチュッと音を立ててキスをした。
 驚きに黒い瞳を瞠ったは、瞬く間に落ち着いた顔を真っ赤に染める。
 不二は楽しそうにクスクス笑って、細い身体を腕の中に閉じ込めた。




END

Dearest You 〜Syusuke's Birthday〜 お題「部屋」

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