Believe



 空が暁色に染まり、見慣れた風景が黄昏色に染まっていく。
 自分の影を踏むように歩いて、は駅の改札へ向かっていた。
 恋人と逢う時、彼はいつも会社に迎えに来てくれている。だから今日のような日は新鮮な感じがする。
 は先に来て待っているだろう恋人の顔を思い描いて、くすっと微笑んだ。
 そしては少し早く歩き出す。
 周助のコトを考えていたら、早く逢いたくなった。
 
 駅に着き、が周助を見つけるより僅かに早く、周助がを見つけた。



 名前を呼んで優しく微笑む周助に、の顔にも自然に笑みが浮かぶ。

「周助」

「早かったね」

 今日は休日だが、は仕事だった。
 14時過ぎには終わると思うから、と言ったに対し、それなら会社の外で待ってるよ、と周助は言った。
 けれど、14時という時間は目安だし、なにより寒空の下、大切な人を待たせたくない。
 だからは周助と駅で待ち合わせすることにした。それでも待たせてしまうことに変わりないけれど、終わったら連絡するというの提案を周助が笑顔で却下したので、妥協しないわけにいかなかった。

「うん、ヘルプの人が来てくれたから。 それより、いつから待ってたの?」

 心配そうに見上げてくる恋人を安心させるように、周助は微笑んで。

が来る10分位前だよ。だからそんなに待ってない」

「そんなにって…私が遅かったら30分以上待たせちゃったじゃない」

「僕はかまわないよ。を待つの好きだし」

「周助がかまわなくても私がかまうの」

 ・・・こんなに寒いのに
 
 周助は瞳を一瞬だけ丸くして、ついで細めると口元を上げ微笑んだ。

だって人のコト言えないだろ。数日前に校門で待ってたのは誰だったかな?」

「っ・・・私だけど、でも・・・」

 口ごもる彼女に周助は意味あり気にクスッと笑って。
 白く細い指に自分の指を絡めるように、手を繋いだ。
 周助は待っている間、ポケットに手を入れていたから温かい。けれどはその逆で、手が冷たい。

「ダメよ。周助の手が冷たくなっちゃう」

 慌てて手を離そうとするが、しっかり握られていて離せない。

と手を繋いでいたいんだ」

 にっこりと微笑まれたら、頷くしかできない。
 たとえ自分が断れないように彼が言っているコトがわかっていても、だ。
 周助と手を繋ぐのはイヤじゃない。むしろとても好きだ。
 面と向かって言えないけれど、周助は気付いているに違いない。

「・・・周助。今日はありがとう。私に気を遣って誘ってくれたのでしょ?」

 の両親は、彼女が留学先のオーストラリアから帰国する数日前、仕事の都合でアメリカに行っている。
 両親と入れ違いに帰国したは、実家より職場に近いアパートを借りて一人暮らしをしている。
 それはまだ周助と再会するより前で、広い家に独りなのは寂しいというコト、そして、周助に逢う勇気がなかったから。
 周助と想いが通じ合った今でも職場に近いので、実家には帰っていない。
 そんな自分を気遣って、周助は自宅のクリスマスパーティに誘ってくれたのだろう。

「僕はと二人きりで過ごしたいんだけど、母さんと姉さんがを独り占めするなって言うからね。
 姉さんなんてが来るのがよっぽど嬉しいみたいで、朝から張り切ってたよ」

 フフッと笑う周助には黒曜石のような瞳を細めた。
 いつでも自分のコトを考えてくれる彼の優しさが心にしみる。
 嬉しさに泣き出しそうなのを堪えて、は微笑んだ。

「おばさまと由美子ちゃんに会うのが楽しみだわ」





「おかえりなさい、周助」

 周助が玄関の扉を開けると、彼の母が出迎えてくれた。
 淑子は息子の隣に立つを見て、顔を綻ばせた。

「いらっしゃい、ちゃん。しばらく見ないうちにキレイになったわね」

「こんにちは、おばさま。お久しぶりです」

「今日はゆっくりしていってちょうだいね。私も由美子も楽しみにしていたのよ」

 穏やかに微笑みながら、スリッパを出し、上がるように勧める。

「お邪魔します」

 はパンプスを脱ぎ家に上がりスリッパを履いて、脱いだパンプスを玄関の隅に揃えて置いた。
 その間に淑子は用意の続きをしにキッチンに戻っていた。
 周助とリビングへ向かうと、由美子がテーブルに料理を運んでいた。

「あ、ちゃん。久しぶりね〜。元気にしてた?」

 由美子は手に持っていたサラダをテーブルに置くと、嬉しそうに微笑みながら二人に近づく。

「うん、元気よ。・・・長い間連絡しなくてごめんね、由美子ちゃん」

 心底申し訳なさそうに顔を曇らせるに、由美子はいいのよ、と微笑む。
 そしての耳元へ形のいい唇を寄せた。

ちゃんの気持ち、知っていたから。 これからも周助をよろしくね」

 だけに聞こえるように耳元で囁いて、由美子はにっこり微笑む。
 由美子の言葉には僅かに瞳を瞠り、それから細めて静かに頷いた。
 彼女は自分の気持ちも、そしておそらく弟の気持ちにも気づいていた。
 その上で見守っていてくれたのだ。

「由美子ちゃん、ありがとう。色々・・・ホントにありがとう」

「ふふっ、いいのよ。ちゃんが笑ってくれていたらそれでいいわ」

「由美子」

 キッチンからの呼び声に「はーい」と返事をして。

ちゃん、すぐに出来るから周助と座って待っててね」

 そう言って、由美子はキッチンへ戻っていった。

「姉さんがああ言ってるし、座って待っていよう」

 うん、と頷いて、紺色のコートを脱ぎ、コートハンガーにバッグと一緒にかけた。




 温かな料理を囲み、食事を始めてから数十分が過ぎた頃。
 不二家の次男、裕太が顔を見せた。
 明日は平日で遅くならないうちに寮に帰るという彼を交えて、パーティはに賑やかものとなった。

「姉貴、今日のデザートは?」

 テーブルに並んだ料理が減り始めると、甘い物が好きな裕太は右側に座る姉に問いかけた。
 ちなみにどこに誰が座っているかというと、裕太の左側に周助、その隣にが座っていて、向かいが淑子で隣が由美子、裕太はいわゆるお誕生日席に座っている。

「オレンジケーキよ」

「オレンジケーキかあ」

 楽しみだと笑う裕太の隣で、周助はフフッと笑った。
 オレンジケーキはの好きなケーキで、彼女が不二家に来る時には、由美子は必ずそれを焼いていた。
 そのケーキは特別らしく、が来る時以外には焼かれない。要するに、のためだけに焼かれるケーキだ。
 由美子はに小さくウィンクして、立ち上がるとケーキを取りに行った。
 ほどなくして、切り分けたケーキを皿に乗せ戻ると、それを配った。

「さすが由美子ちゃん。美味しそう〜」

 こどものように嬉しそうに瞳を輝かせるに、由美子の顔に笑みが浮かぶ。

ちゃん、食べてみて?」

「うん、いただきます」

 フォークで一口大にしたケーキを口に運ぶ。
 オレンジの程良い酸味と、甘すぎない蜂蜜の甘みが口いっぱいに広がる。
 しっとりしたスポンジは柔らかく、ほのかにブランデーの味がした。

「・・・やっぱり由美子ちゃんの作るオレンジケーキ、最高に美味しいわ」

 が普段あまり見せるコトのない無邪気な笑みを見せた。
 その笑みに由美子も嬉しそうに微笑んで。

「ありがとう。ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいわ」

 そんな二人のやりとりを淑子は微笑ましく見守っていた。
 周助は先程からとあまり話せていないので面白くなかったが、自分といる時とは違う笑顔で楽しそうにしているを見るのは久しぶりで嬉しかった。
 そして裕太は「上手い!」と絶賛しながらケーキを食べていた。




 
 時間は瞬く間に過ぎていき、夜の帳が落ちた。
 それほど遅い時間でも朝練があるから寮に帰ると言う裕太をみんなで玄関で見送って、後片付けのためにリビングへ戻った。

ちゃん、片付けはいいわ」

「え?」

 食器類をまとめようと伸ばした白い手を止めて、は淑子に視線を向ける。

「もう9時になるから・・・」

 そう気遣ってくれる淑子には首を傾けて微笑む。

「大丈夫です。明日、休みなので」

 だから遅くなっても大丈夫だと告げた。

「ありがとう、ちゃん。でも気持ちだけもらっておくわ」

「でもご馳走になりっぱなしじゃ悪いです」

「いいのよ。私と由美子がちゃんと一緒に食事がしたかっただけだから。
 でも、そうね・・・それなら、これからも小さい頃のように家に遊びに来てくれたら嬉しいわ」

 春休みが明けたら由美子と二人になってしまうから、と胸の内で呟いた言葉はには届かない。
 これは息子が言うべきことであって、自分が言うことではないから。

「私も楽しみにしてるわ、ちゃん」

「由美子ちゃん・・・」

 は淑子と由美子を交互に見つめて、瞳を細めて微笑んだ。
 二人の優しさに心が温かくなる。
 隣にいる周助に視線を向けると、微笑んで頷いた。
 それには小さく頷いて。

「はい、近いうちにまた」

「ええ。楽しみにしているわ」




 淑子と由美子にお礼と挨拶を済ませたは、周助と住宅街を歩いていた。
 漆黒の空に銀色の月と数え切れない星が輝いている。

「あっ。ねえ、周助。ちょっと寄ってもいい?」

 住宅街の外れにある公園にさしかかったところでが言った。
 周助はクスッと微笑んで、いいよ、と返事をする。
 初めからこの公園に寄るつもりでいたのだが、そんな素振りは一切見せない。

「うわ〜、ブランコ懐かしい」

 はしゃぐに周助はクスクス笑って。

「乗ってみる?」

「そうね・・・久しぶりに乗ってみようかな」

「フフッ、じゃあ一緒に乗ろうか」

 周助は瞳を丸くして驚いているの手を引いて歩き出す。
 ブランコに隣り合わせに座って遊んだコトはあるけれど、一緒に乗ったコトはない。
 周助はブランコへ先に座り、が抵抗する間もなく自分の膝の上に座らせ、細い腰に右腕を回した。

「し、周助?」

 夜も遅いし、園内に他に人がいないのはわかっているが、なんだか恥ずかしい。
 赤く染まった顔で振り向くと、周助は愉しそうにクスッと微笑んだ。

「大丈夫。絶対に落としたりしないから。僕を信じて」

 ね?と首を傾けてにっこり微笑まれたら、イヤなんて言えない。
 それに、周助のコトはいつでも信じているから。
 はうん、と頷いて、持ち手のチェーンに掴まった。
 それと同時に周助は地を蹴った。
 小さな揺れが大きくなり、宙に弧を描くようにブランコが前後に移動する。
 スピードも出ていなく、一人で乗る時より高く上がってはいない。
 けれど、それが無性に楽しい。
 まるで二人で空を飛んでいるような気分だ。

「ちょっと冷たいけど、気持ちいい」

 風に黒い髪を躍らせて楽しんでいるの顔は周助には見えない。
 けれど、彼女がどんな顔をしているのか、周助にはわかる。

、楽しい?」

 そう訊くと、は少し振り向いた。
 柔和な笑みを浮かべる周助を見て、の心臓が跳ねる。

「う、うん。周助は?」

「僕も楽しいよ。と一緒だからね」

 その言葉にかあっと頬が熱くなるのが自分でもわかった。
 は周助から見えないように視線を前に戻して。

「・・・ずっとこうして周助といたいな」

 風に溶けて消えてしまいそうな小さな声が周助の耳に届く。
 周助はの細い身体を後ろからぎゅっと抱きしめた。
 ザザッという音が足元から聞こえて、ブランコがゆっくり止まる。
 そして完全に止まると、周助は両腕でをぎゅっと抱きしめた。

「・・・・・・春休み明けに留学するんだ」

 ひどく静かな声だった。
 
「・・・一緒にいようって約束したのに守れなくてごめん」

 その言葉とともに、更にぎゅっと抱きしめられた。
 は黒い瞳を閉じて、自分を抱きしめている腕に両手で触れた。
 
「いますぐじゃないのよね?」

「うん、新学期が始まってから」

「それなら・・・もう少し一緒にいられるね」

・・・」

「周助のお誕生日、一緒にお祝いできるわね」

 震えた声が小さく響く。
 周助は抱擁を緩めて、の顎を捕らえて顔を自分の方へ向けさせた。
 すると案の定、彼女は瞳を潤ませていて泣き出す寸前だった。
 周助はの身体を横向きになるように抱きなおして、切れ長の瞳でをまっすぐに見つめた。
 
「浮気なんてしないから心配しないで。僕にはずっとだけだから」

「うん、信じてる・・・」

 周助が隣にいないのは寂しいけれど。
 でも、小さな頃からの夢を叶えて欲しいから。
 だから、周助を信じて待っている。
 が瞳を閉じると、眦から透明な雫がひとつ零れた。
 周助はその涙を長い指で優しく拭って、両手で白い頬を包み込んだ。

「愛してる、

 の唇に吐息が触れる距離で囁いて、柔らかな唇に甘くて深いキスを落とした。
 角度を変えて繰り返される深いキスに、の呼吸があがる。
 それでも周助はやめようとはしない。そしてもそれを拒まない。

「しゅ・・・う・・・んっ」

 唇が僅かに離れた瞬間に名前を呼ぼうとするが、すぐに熱いキスで唇を塞がれる。

・・・」

「ん・・・ッん・・・しゅう・・・愛し・・・っ」

「僕も・・・愛してる」

 周助は気を失った細い身体を抱きしめて、の耳元で囁いた。




END



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