Heart to Heart



 ホームルームが終了すると、教室内がざわめきに満ちる。
 部活を引退し、委員会の仕事も後輩に託した今、別段急ぐ予定もないので、は今夜の夕飯は何にしようと考えながら、帰り支度をしていた。
 不意に名前を呼ばれ視線を上げると、目の前に友人のが立っていた。
 彼女は肩にバッグを背負っている。帰る用意が出来たので、の席に来たのだ。
「ちょっと付き合ってくれない?」
「いいよ。遅くならないなら」
 の問いに席を立ちながらが答えた。
 今日はいつもと同じ時間に帰るよ、と彼は言っていたので、寄り道して帰っても問題ない。
 ただ、夕食の買い物をして、帰宅したら夕食の用意をしないといけないので、遅くまでは付き合えない。
 もっとも、はそれを知っている唯一の人なので、言う必要もないのだけれど。
「ありがと」
 そうして二人は教室を出て、昇降口へ向かいながら話を続ける。
 途中で声をかけてくる友人に挨拶を返しながら。
「どこに行くの?」
「チョコレートショップ」
「あ、そうか。週明けはバレンタインだっけ」
、それ女の子のセリフじゃないわよ」
 呆れたようにため息をつくに、の眉がぴくりと動く。
「ちょっと忘れてただけよ」
 帰っちゃおうかなー、と呟くに、は慌てた。
さまー、私が悪かったです。許してください」
 手のひらを合わせて拝むはくすっと笑う。
「冗談よ。少し本気だったけどね」
 小さい声で付け加えられた言葉に、は引きつった笑いを受かべた。
 あの人と付き合うようになってから、はちょっと性格が変わったような気がする。
 そうは言っても、彼女の根本が変わったワケではない。それに、彼女は真面目すぎる所があるから、こういう変化はいいと思っている。


 五日後がバレンタインということもあってか、金曜日なのに店内は女性客で混みあっている。
「・・・、ちょっと待ってた方がよさそうよ」
「そうね・・・」
 自由に歩けないほど混んではいないが、もう少し人が少なくなってからの方がゆっくり見られそうだ。
 しばらく外で人が引けるのを待って、二人は店に入った。
「・・・うーん、これだけあると迷うなあ」
 呟くに、確かにね、とは同意を示す。
 ショーケースの中には、トリュフや生チョコ、ミルフィーユ、小さめのザッハトルテなど、色々なチョコレートが並んでいた。バレンタイン限定と表示があったり、トリュフでもホワイトチョコレートを使用していたり、ほろ苦いビターチョコレートだったり、何種類もある。
 そしてそれだけではなく、ショーケースの左右にある棚には、チョコチップクッキーやチョコレートペースト、板チョコの詰め合わせ、チョコレートフレイバーのコーヒーまでいろいろなものが売られている。
 これで迷わず買える人がいたらすごいなあ、と悩むを見て、は胸の内でこっそり思った。
 視線を動かして周囲を見ると、のように悩んでいる人もいれば、瞳を輝かせている人もいる。彼女たちに共通しているのは、きっと贈った相手の笑顔だ。
 去年は引越しをした直後で片付けに追われていたのもあったし、お世辞にも菓子作りが得意とは言えないので、彼に贈ったのは市販のチョコレートだったけれど。
 それでも彼は、「ありがとう、。嬉しいよ」とそれは優しい笑顔で言ってくれた。君の気持ちが嬉しい、と。
はどっちがいいと思う?」
「どれとどれ?」
 振り返るが訊いた。
「ホワイトチョコのトリュフか紅茶パウダーのかかった生チョコ」
 の言ったトリュフと生チョコには視線を向けた。
 白と黒で対照的な色のチョコレートだが、トリュフには模様が付いていて、生チョコはピラミッド型をしていて、どちらも凝った作りだった。もっとも、凝った作りなのはこの二つだけではないが。
「私だったらトリュフかな。でも、が贈りたいものを選ばないと意味がないと思う」
「やっぱりそうよね・・・」
 しばらくの間、はショーケースを睨んで、それから店員に声をかけた。
 悩んだ末に決まったようだ。
 が商品を頼み会計を済ませるのを待って、二人は外へ出た。
「そういえば、はどうするの?」
 駅に向かって歩きながら、が訊いた。彼女は電車通学なのだ。
 の住むマンションは駅の反対側にあるので、と一緒に帰る時は駅前で別れる。ちなみに、二人は幼馴染で家が隣同士だから、去年の一月末にが引っ越すまでは一緒に帰っていた。
「どうって?」
「それはもちろんこれよ」
 がチョコレートの入った金色の紙袋を上げてみせる。
「今年は頑張って手作りに挑戦しようと思って」
「うっかりしてたのに?」
「ちょっと忘れてただけ、って言ったでしょ。材料は用意してあるの」
「そうなんだ。で、何を作るの?」
「そんなに難しいのは作れないから、簡単なものよ」
「…要するに、秘密ってことね」
「うん、そういうこと」
 センセイだけのお楽しみって?熱々ねー、とが呟く。
 は「そんなんじゃないわよ」と返して、ふいと横を向いた。



 この時期は学校が午前だけで終わる日が多い。
 昼過ぎに学校を出たは、急いで家に帰った。
「今日は夕方には終わるから、僕が買い物して帰るけど、食べたいものはある?」
 朝、より先に家を出る不二が、玄関で見送りするに言った。
「…周助さんの作ってくれるものならなんでも好き」
 不二は頬を赤く染めるにクスッと笑って、柔らかな唇に口付けた。
 という経緯があったので、時間には余裕がある。
 帰宅したは、簡単なお昼を作って食べると、菓子作りに取り掛かった。
 道具と材料をテーブルに用意し、レシピを見ながら分量を量る。
 刻んだチョコレートを溶かし、クリーム状に練ったバターを加えて混ぜる。
「……白っぽくもったりしてきたかな?」
 泡だて器を持ち上げ、堅さを見てみる。
 卵黄と砂糖をすり混ぜたそれは、ちょうどよさそうだったので、先ほど作ったチョコレートとラム酒、生クリームを加えた。
 その後もレシピ通りに作業をして、出来上がった生地を型に流してオーブンに入れた。

 夕方には終わるから、という言葉通り、不二は暗くなる前にマンションへ帰り着いた。
 チャイムを鳴らして彼女が開けるのを待つのがいつもコトなのだが、今日はそうせず、不二は自分で鍵を開けた。
 扉を開く音が耳に届き、は笑みを浮かべて玄関へ向かった。
「周助さん、おかえりなさい」
 不二を迎えに出たは、胡桃色の瞳を瞠った。
 驚くに不二は瞳を細めてフフッと笑って。
「これを僕の愛しいフィアンセに。 誰よりも愛してるよ」
 真っ赤な薔薇の花束を不二が差し出す。
 は手を伸ばして花束を受け取った。
「バレンタインは好きな人に愛を伝える日だからね」
 軽く混乱しているに説明して、不二は可愛らしい唇に優しいキスをした。
 不二の唇が離れると、は我に返って嬉しそうな、幸せそうな笑みを浮かべた。
「周助さん、ありがとう。すごく嬉しい」
「君が喜んでくれて僕も嬉しいよ」


 不二が背広から洋服に着替える間に、は食材を所定の場所へ片付けた。
 それから、焼いたあと冷ましておいたスポンジをハートの型で繰り抜き、上から粉砂糖を振る。それを水色の縁取りの皿の中央に置いて、横にミントを飾った。
 そして、熱いコーヒーを淹れたマグカップと一緒にトレイ乗せ、リビングへ向かった。
 はトレイからスフレ・ショコラとコーヒーをテーブルに移し、不二の向かいに座る。
「周助さんの口に合うといいけど・・・」
 心配そうに見つめてくるに不二はクスッと笑った。
 いただきます、と不二はスフレ・ショコラにフォークを入れた。見た目の通りにふわふわしているそれを口に入れると、ほろ苦いカカオの味が広がった。
「…美味しいよ。甘すぎなくてちょうどいい」
 柔らかく微笑む不二に、は嬉しそうに笑った。
 彼の笑顔に頑張って作ってよかった、と心からそう思う。
「ねえ、
「はい?」
「聞かせて欲しいな。君の気持ち」
「あ・・・その・・・周助さん・・・愛してます」
 赤く染まった顔を隠すように、は頬に白い手を当てた。
 フィアンセの可愛らしい仕種に、不二の色素の薄い瞳が愛しげに細められる。
「僕もを愛してるよ」
 耳に届いた甘い囁きに、はくすぐったそうに、でも嬉しそうに笑った。




END



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