授業が終わると同時に、は教室を飛び出した。
 いつもなら部活に出るのだが、今日はどうしても休みたい理由がある。
 一昨日、部活顧問の榊に休ませて欲しいと申し出た所、あっさりと許可が出た。
 私用で休むとは、と怒られるのを覚悟していたので、虚をつかれた。
 すぐに許可されたのが気になったので、休んでいい理由を聞いたら苦笑いするしかなかったけれど。
 ともかく、無断欠席ではないので気持ちは軽かった。

「あ、。今日も部活?頑張ってね」

 昇降口で上履きから革靴に履き替えていると、ぽんと肩を叩かれた。

「ううん、今日は休ませてもらうの。ばいばい、

 去年のクラスメイトであった他クラスの友人に手を振って、は足早に校舎を出た。
 その理由はふたつ。
 ひとつは当然、間に合うように。もうひとつは、男子テニス部の面々に見つからないうちに。
 今日休むことで明日が大変かもしれない、と駅に向かいながら苦笑いを浮かべた。



大好きな気持ち



 目的地である、青春学園に着いてから15分程経過している。

(着替えてきた方がよかったかも…)

 正門の前で待っているの前を、青学の生徒が下校していく。その生徒たちが通る度に見られているのが落ち着かない。
 制服が目立つのはわかっているから、制服が見えないようにコートを着ているのだが、の容姿が珍しいので人目を引いてしまうのだ。
 肩より少し長いストレートの髪は薄茶色で、瞳は一般的な日本人と異なる緑がかった色。
 染めていたり、カラーコンタクトを入れているわけではなく、これは生まれつきだ。
 隔世遺伝でだけが、祖父と母の血を濃く受け継いだらしい。
 自分の髪や瞳は嫌いではない。むしろ好きだ。けれど、今だけは普通の容姿になりたかった。

「…入っちゃおうかな」

 一人ごちて、は校内に視線を向けた。
 彼がいつ頃ここを通るのか、それはわからない。
 なぜなら、彼を待っているというより待ち伏せているという状況なので。
 ここでは気分が落ち着かないし、校内に入ってしまった方がもしかしたら目立たないかもしれない。
 そう結論付けて、はささっと他校の敷地に入り込んだ。

(えっとテニス部は…こっちだったよね)

 鞄を胸の前で抱えたは周囲を見回して、秋の合同練習をした時に訪れたテニスコートへ向かった。
 テニスコートの近くまで来たは、校舎の影に隠れてフェンスに囲まれたコートを見つめた。
 緑がかった瞳で彼がいないかな、と探してみる。

「…いない」

「あれ?君、氷帝の…ちゃん、だっけ?」

 呟いた声に重なるように聞こえた声に、は飛び上がるほど驚いた。
 顔だけを後ろに向けたの瞳に、青学の天才と言われる不二の姿が映った。
 その瞬間、早くなった鼓動の早さが更に早くなった。

「…ッ…こ、こんにちは。お邪魔しています」

 は焦ったが、なんとか平静を装って挨拶をすることに成功した。
 お邪魔しています、は必要なかったと思うのだが。

「こんにちは。こんなところでどうしたの?もしかして偵察?」

「まさか!そんなわけないじゃない!」

 首を傾けて訊いてくる不二に、は右手を左右に振って違うというアピールをしながらきっぱり否定した。
 そんな彼女がおかしかったのか、不二はクスッと笑った。

「冗談だよ。言ってみただけ。ごめんね?」

 不二の秀麗な顔は言葉とは裏腹に、悪びれた風には見えない。
 むしろイタズラが成功して喜んでいる、そんな顔だ。
 はまたやられた、と思ったが、こういう彼も嫌いじゃない。
 もし言った相手が跡部だったら平手をお見舞いしているけれど、好きな人相手では怒るに怒れない。
 は許すという意味で頷いた。

「それで、今日はどうしたの?」

 もう一度訊かれて、は言葉に詰まった。
 まさかここでチョコを差し出して告白するわけにはいかない。
 こんなことになるのなら、正門前でおとなしく待っていればよかった。
 そう思っても、すでに後の祭りだ。
 は抱えている鞄を更にぎゅっと抱える。

「…ふ、不二くんに用があって、それで…」

 一呼吸分おいて紡いだ声は震えていた。
 頭の中が真っ白で何を言っていいのかわからない。
 緊張で手と足が僅かに震える。

「僕に? じゃあ、あと30分位で終わると思うから、待っててもらっていい?」

「え?」

 一瞬、なにを言われているのかわからなくて、はきょとんとした。

「部活が終わるまで待っててくれる?って言ったんだけど、時間ないかな?」

「ううん、ある!待ってる」

 そう言うと、不二は色素の薄い瞳を細めて微笑んだ。

「よかった。じゃあ、あとでね」

 不二は手を振って、コートへ走っていった。
 は彼の後姿を見送りながら、優しい人でよかったと息をついた。
 ラケットを持っていなかったけれど、彼は少し汗を掻いていた。
 校内をランニングしていたのかな、と思いながら、はラリーを始めた不二を見つめた。

(…やっぱり上手い。それにすごいカッコイイ)

 不二がプレイしている姿は、試合は勿論、合宿でも、何度も見ている。
 それを目にするたび、いつも思う。
 どこに惚れたのか、と問われたら、テニスをしている姿だと戸惑いなく答える。
 無論、テニスをしていない時の彼も好きだ。
 あの優しい微笑みがいつも近くで見られたら、どんなに幸せだろう。
 青学に転校はしなかったけれど、転校を考えたことが数回ある。
 
 青学生徒に見られたり、青学の教師に見つかって注意されたら、という心配は頭の片隅にも残っておらず、は部活が終わるまで、不二の姿をずっと目で追っていた。



「待たせてごめん。寒くなかった?」

 突然来たにも関わらず、気遣ってくれる不二には首を横に振った。

「平気。それより私こそごめんなさい。突然来ちゃって…」

 不二はクスッと笑って、ベージュのマフラーをの首にかけた。
 コートの一番上のボタンが止まっていなくて、寒そうだったので。

「えっ?」

 驚いて声を上げるに、寒そうだから使ってよ、と微笑む。
 寒いと思っているのがわかってしまったのかと思うと気恥ずかしかったが、は言葉に甘えることにした。
 柔らかな肌触りのマフラーを首に巻くと、彼の香りがしたような気がした。

「ありがとう、不二くん。あったかい」

 頬を赤く染めて照れたように微笑むに、どういたしまして、と言って、不二は目元を和ませた。

「あ、あのね、不二くん。今日来た理由なんだけど…」

「うん、僕に用があるんだろ? ここじゃなんだから、公園でも行こうか」

 言われてみればそうだ。ここはテニスコートの脇で、校内だった。
 二人の横をテニス部員たちが、珍しいものを見るような目つきで通り過ぎて行く。
 誰一人として不二に声をかけて来ないのがは不思議だったが、その理由を彼女が知る由もない。

「出来たらでいいんだけど、あんまり人が…」

 いないところがいい。
 風が吹いたら聞こえないような小さな声で言うと、不二はそのつもりだよ、と言った。
 そして、じゃあ行こうか、とを促した。
 歩き出した不二に一歩遅れて歩き出す。不二はが横に来るのを待って、二人は並んで歩く。
 学校から公園までの道すがら話したのは、お互いに共通があるテニス部の話だったり、最近のテレビの話などだった。
 20分程歩いてたどり着いた公園は、丘の上にある森林公園だった。森林公園とは言っても、半分以上は落葉樹なので、今は葉のついていない木々ばかりだが。
 低地に比べて気温が低いためか二人以外に人はいない。
 空いているベンチに二人は並んで座る。

「貸切みたいだね」

「そっ、そうね」

 妙に上ずってしまった声に、はやってしまったとばかりに頬を赤く染める。
 はそれを隠すように、鞄を開けて15センチ程の箱を取り出した。
 その箱には金色のリボンがかけられていて、贈り物であるのが一目でわかった。

「あの、不二くん…私、不二くんが……す…好きですっ」

 言い終わった途端、熱くなっていた頬が更に熱くなっていく。
 それにともない、心臓の鼓動が早くなる。
 箱を持つ手が緊張と恐さで震える。
 けれど、本当に好きだというのをわかって欲しくて、瞳は不二を見つめていた。
 
「ありがとう。喜んでいただくよ」

 不二は細い手から箱を受け取って、切れ長の瞳を細めて嬉しそうに笑う。

「僕も君が好きだから嬉しいよ」

 さらりと言われた言葉に、は一瞬呼吸を忘れた。
 告白できればそれだけでいいと思っていた。
 それなのに。

「ほん…とに?」

 彼が嘘を吐くなんて思っていないのに、口から可愛くない言葉が出てしまう。
 もしこれが夢だったらと思うと恐くて。もし夢だったら目覚めたくないと思うほど、嬉しくて。

「そうじゃなかったら、待っててなんて言わないよ。
 今日はバレンタインだろ?だから僕に用があるって来てくれて嬉しかった。
 もしかして僕にチョコレートをくれるのかな、って期待してたんだ」

「…じゃ、じゃあ私が来た時、不二くんは理由がわかってたのね」

「それはちょっと違うかな。わかってたんじゃなくて、そうだったらいいなって思ってた。
 自惚れかもしれないけど、好意を持ってくれているのは気がついていた。
 だから、君に逢えたらいいなって、好きって言ってもらえたら嬉しいなってね」

 今度は我慢できなかった。
 あまりの嬉しさに、潤んでいた瞳から涙が溢れて、白い頬を伝い落ちていく。

「そんなに泣かないで、

「む、無理…嬉し…て…とま…ない」

「じゃあ、僕が止めてあげる」

 しゃくり上げている細い身体を腕の中に閉じ込めて耳元で甘い声で囁いて。
 の柔らかな頬にキスを落とした。
 突然のことに驚いて、は不二の唇が触れた頬を押さえて声を上げた。

「な、なにっ」

「なにってキスだよ。 ねえ、ココにもしていい?」

 しれっと答えて、不二は長い指で可愛らしい唇に触れた。
 の顔中が一瞬で熱くなる。
 返事の代わりに頷くと、嬉しそうに微笑んで。
 瞳を閉じたの柔らかな唇に、甘くて優しいキスをした。



END


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