乙女心 2月初めの土曜日、午後。 は友人の携帯へ電話をかけた。 テニス部の練習は午前中で終わりだと彼は言っていたから、この時間なら家に帰っているだろう。 もっとも、練習後に冬の浜辺へ遊びに行ったりしていなければの話だが。 数回の呼び出し音が鳴り、電話が繋がった。 「もしもし?」 「佐伯?練習で疲れているところ悪いんだけど、これから会えない?」 「それはかまわないけど、どうして?」 友人の至極もっともな質問に、は簡潔に説明した。 「相談に乗って欲しいコトがあるのよ」 詳しい内容を言ったら、俺じゃなくて本人に訊いたら?と言うだろうから、あえて言わない。 それが功を奏して、佐伯は俺でよければ、と返事をくれた。 「ありがとう。じゃあ、3時に駅前のコーヒーショップでいい?」 現在の時刻は2時20分。お互いの家から駅までは歩いて15分位なので、それくらいの時間でいいだろうと見当をつける。 「ああ、いいよ。じゃあ、あとで」 「うん」 は電話を切ると二階にある部屋へ戻った。 服をどうしようかと考えてクローゼットを開けたが、着替えなくていいか、とライトブラウンのコートを出して扉を閉めた。 恋人、しかも学校が違うため頻繁に逢えない彼に逢うのなら最大のお洒落をしていくけれど、会うのは友人だ。 一緒にどこかに出かけるわけでもないのなら、ジーンズに黒いハイネックセーターで問題ないだろう。 待ち合わせた時間には少し早いが、店の中で待っていればすぐに時間になるか、とは今冬に買ったコートに袖を通した。 肌に刺さるような冷たい風が頬を撫でる中、駅前のコーヒーショップに向かった。 この店は駅前であるが、二階建てなので、ちょうどお茶にしようと思うこの時間も比較的空いていた。 カウンターでモカを注文して、出来上がるのを待っている所へ、佐伯が店内へ入ってきた。 「あ、佐伯。早いわね」 その言葉とは反対に、の瞳は少しも驚いていない。 おそらく、自分と同じ位か時間より早く来るだろうと予想していたので。 「時間が中途半端だったからね。すぐに出てきた」 「私も同じよ。今すぐ、にすればよかったかしらね」 が出来上がったモカコーヒーを受け取る横で、佐伯はブレンドを注文して、に視線を戻す。 「俺に悪いと思ったから時間を決めたんだろ」 俺たち友達なんだから、気を遣わなくていいって言ってるのになあ。 まあ、それがらしくていいんだけど。 そう言って、佐伯はカウンターから出されたブレンドコーヒーが乗ったトレイを受け取った。 は佐伯の言葉を肯定も否定もしないで、トレイを持って歩き出す。 それが照れ隠しであることがわかっているので、佐伯は気にすることなく、の後ろを追った。 二階席の中央、壁際の席に向かい合って腰を下ろす。 「それで、相談って?」 湯気を立てるコーヒーを一口飲んで、佐伯が訊いた。 切れ長の瞳には、心配そうな光が浮かんでいる。 は両手でコーヒーカップを包んで、口を開いた。 「うん、あのね…不二くんて甘いもの好きよね?」 「は?」 は深刻な顔で言ったけれど、その内容に佐伯は素っ頓狂な声を上げるしかなかった。 彼の反応がお気に召さなかったのか、は秀麗な顔を僅かに険しくした。 「だから、不二くんは甘いものが好きかって訊いてるのよ」 「わかってる、聞いてるよ」 不二が関わると人が変わるよな。 普段の彼女の姿を思い浮かべて、佐伯は心の内でごちる。 自分の幼馴染と付き合うようになってから、少し過激になった気がするんだが。 これは不二の影響なんだろうかと考えて、佐伯は考えるのを止めた。 なんだか恐い答えにたどり着きそうだ。 「それでどうなの?」 「好きだと思うよ。不二にお姉さんがいるのは知ってるかい?」 「ええ。ご挨拶程度だけど、一度会ったことがあるわ。由美子さんって言うのよね」 その時のことを思い出して、の瞳が優しくなる。 言葉を交わしたのは数秒だったけれど、とてもキレイな人で、恋人に良く似ていた。 「ああ。で、そのお姉さんがお菓子を作るのが好きみたいで、不二がラズベリーパイが美味しいって言ってたよ。 俺も小さい頃、ごちそうになったことあるけど、あれは美味しかったね。 だから、少なくとも嫌いじゃない筈だ」 の質問に答えると、佐伯はコーヒーに口をつけた。 少し冷めてしまったコーヒーを二口程飲んで、コーヒーカップをソーサーに戻す。 が静かになったのが気になったのだ。 勢いに乗ってちょっとしゃべり過ぎたのかもしれない。 「…佐伯」 ちょっと低めの声に、名前を呼ばれた本人は身構えた。 彼女の黒曜石のような瞳が怒っている。 「乙女心がわかってないわね」 「…ごめん」 佐伯は謝るしかなかった。 ラズベリーパイの話は余計だったようだ。 「ホントよ。あんな話聞かされたら、手作りなんて無謀だって言われたも同然よ」 溜息とともに吐き出された言葉に、佐伯は首を傾けた。 「どうして?家庭科、得意だろ?」 試合で差し入れくれた弁当は、お世辞抜きで上手かった。 自分だけでなく、テニス部みんなが上手いと言っていたし、後輩の葵剣太郎はダダを捏ねて、にお菓子を作ってもらっていたこともある。 そして葵は美味しいと絶賛していたのだ。 なにより、一昨年の家庭科で見た腕前は、すごいとしか言い様がなかった。 「そうだけど、それとこれは別よ。 そんなにお菓子作りの上手なお姉さんの手作りを食べてる不二くんに手作りチョコをあげるなんて無謀だわ」 一息にそう言って、はコーヒーを飲んだ。 温くなったコーヒーが、喉を潤していく。 それと同時に、少し気分が落ち着いた気がする。 「…不二は、君の作ったものなら美味しいって絶対に言うと俺は思うよ」 が落ち着くのを待って、佐伯は静かに口を開いた。 「理由は?」 「好きなコがくれたチョコをマズイなんていう男はいないよ」 少しくらい甘すぎても、多少焦げてしまったり、形が悪くても、好きなコが作ってくれる、しかも自分の為にとなれば、それは世界で一番美味しいだろう。 それに、誰かと比べることなどできない。 極端な例として、おまじないと称してチョコの中にトカゲの黒焼きを入れたり、髪を入れたりとか身の毛もよだつものなら別だが。 そもそもそれはすでにチョコレートと呼べない代物だし、そういったことをする女性は皆無だろう。 「不二はお姉さんとのを比べるなんてことは絶対しない。幼馴染の俺が保障するよ」 「…そうか…そうよね」 肝心なことを忘れていたわ。 そう呟いて、は苦笑した。 「佐伯、ごめんね。ありがとう。 でも」 は言葉を区切って、白い人差し指を友人につきつける。 「乙女心を傷つける言葉はNGよ」 その言葉の割りに彼女は笑っている。 佐伯は左手で前髪を掻き上げながら、わかったよ、と言った。 「佐伯のおかげですっきりした」 「それはよかった」 ようやく肩の荷が降りた、と佐伯は冷たくなってしまったコーヒーを飲み干した。 「ところで、このあと暇?」 「うん、まあ暇だけど?」 佐伯の返事を聴きながら、は残りのコーヒーを流し込むようにして飲んだ。 そして、口元を上げてにっこり笑う。 「買い物に付き合って?もうちょっと細かく、不二くんの好みが知りたいの」 ここまできたら、乗りかかった船だ。最後まで付き合うか。 そう決めて、佐伯はいいよ、と頷く。 「そのかわり、俺と買い物したことを不二に言うなよ」 「どうして?」 「不二が妬くから」 いや、妬くというより静かに怒ると言った方がいいかもしれない。 口元は笑っているのに、瞳が怒っているから余計に恐いのだ。 文句を言うのは自分にではなく彼女にして欲しいと心底思う。 「でも、不二くんに隠し事したくないからな…無理矢理付き合わせたことにしておくわ」 それならいいでしょう?と言外に告げるに、佐伯は溜息をついた。 いや、結果は同じだよ。 佐伯は心の中で呟き、がっくりと額を押さえる。 そして、ヤキモチ妬きの幼馴染を思い浮かべて、もう一度盛大な溜息をついた。 END BACK |