カーテンを開けると、真っ青な空が胡桃色の瞳に映った。
 雲のない空に心が弾む。
 今日は久しぶりに婚約者とデートの約束をしている。
「今週末、デートしよう」
 彼がそう言ったのは三日前のホワイトデイだった。
 は高校を卒業してすでに春休みだが、教師である不二は変わらずに仕事がある。ゆえに平日どこかへ出かけるのは無理だったので、今日になった。
 だが、不二が何もしなかったわけではない。ホワイトデイにはの誕生石がついたネックレスをプレゼントしていた。
 けれど、彼はそれだけでなく、本当に贈りたいものが別にあって、をデートに誘った。
 当然ながら本当の贈り物があるというのは、彼女には秘密だけれど。

 空を眺めていると、優しい声で名を呼ばれた。
 振り返ると、色素の薄い切れ長の瞳と視線が合う。
「ミルク淹れる?」
「うん」
 ティーポットを手にして訊く不二には笑顔で頷いて食卓についた。
 今朝は不二が朝食を用意してくれると言うので、それに甘えて作ってもらったのだ。
 食事の用意、掃除、ゴミ出しなど、家事の全てを不二は手伝ってくれるので、の負担はあまりない。
「あ、ワッフル」
 弾んだ声を上げるに、不二はクスッと笑った。
 彼女がワッフルを好きなので、今朝の朝食はワッフルにした。だから喜んでくれて嬉しい。
 けれど、ワッフルならどんなものでもいいというわけではない。が好きなのは、駅から歩いて15分程の所にあるベーカリーのワッフル。外がサクサクしていて中がふんわりとした生地が気に入っている理由だ。ベーカリーまでは家からだと少なくとも30分はかかるので、そう頻繁に買いにいけない。
「周助さん、ありがとう」
「どういたしまして」
 嬉しそうに微笑むに不二も笑みを浮かべて言うと、彼女の向かい側に座った。




 君の笑顔が見たくて




 東京郊外の緑に囲まれた、静かな土地。
 自然公園のように開けていて、目の前にある建物以外にビルや住宅などの建物がない。
 遠出のデート、しかも車でのデートは久しぶりで、どこに連れて行ってくれるのかは楽しみにしていた。
 そして着いたのがここだった。
 ここを訪れたのは初めてだが、目の前の建物には見覚えがある。
「ここってもしかして天文台?」
 車から降りたは、白い建物を見つめて呟いた。
 建物の最上階がドームのように丸い作りになっているのは、天文台によくある構造だ。
「フフッ、あたり」
 不二はの言葉に驚くことなく、さすがだね、と微笑んだ。
 高校を卒業したので元ではあるが、は天文部で、天文関係についてそれなりに詳しい。ゆえに外観からこの建物が天文台だとわかっても不思議はない。
 ホワイトデイのお返しは彼女の好きなものを、と考えて浮かんだのが天文台デートだった。
 本当なら来月の方が流星群が見られてよいのだが、三月でなければ意味がないと思い、今日にした。
 不二がチャイムを押すと、玄関の扉が開き、一人の男性が姿を見せた。
「へえ…なかなかの美人じゃねぇの」
 ダブルのブラックスーツを着た男は不二の隣にいるを見て、口元を上げ不敵に笑った。
「フフッ。残念だけど僕の人だよ」
「人のモンを取る趣味はねぇよ」
 挨拶もなく舌戦を繰り広げる男性二人にが驚いていると、ふたつの視線に同時に見つめられた。
「えと…こんにちは。と言います」
 不二と目の前にいる男性が友人らしいというのは会話でわかった。
 だが、二人の視線の意味がわからないし、初対面の人だから挨拶をしておこうとは頭を下げた。
「ああ。俺は跡部景吾だ」
「跡部さん?あっ、手塚さんのお友達の人ですね」
 目の前にいる端整な顔立ちの男性に会ったのは今日が初めてだが、跡部景吾という名前に聞き覚えがあった。
 夏休みに不二と長野へ旅行した際に、手塚と不二の会話にでてきた人の名だ。
 不二と手塚曰く、テニスのライバル関係らしい。
 二人の言ったライバルという言葉を、は不二と手塚のような関係、つまり友人であると認識しているようだ。
 跡部は片眉を上げたが、表立って否定はしなかった。
「ま、ゆっくりしていくといい。機材の扱いは不二に教えてあるから問題ないだろう」
「ありがとう、跡部」
 礼を言う不二に続いて、も慌てて頭を下げてお礼を言った。
 あまり状況把握ができていないのだが、跡部がこの天文台の持ち主で、貸してくれたらしいことはわかったので。
「じゃあな」
 跡部は不二の横を通り過ぎる瞬間に何かを告げて、片手をひらと振りながら建物から出て行った。
「言葉だけありがたくいただいておくよ」
 不二の言葉の真意を読み取って、跡部は器用に片眉を上げた。
 だが跡部はフッと口元を上げ不敵に笑っただけで、歩きを止めなかった。


 天体観測ができるように暗くなるまで時間があったので、は天文台の中を見て回ることにした。
 一般公開している県や都の天文台とは違い、図書室や展示室などはない。個人で楽しむことを前提としているからだ。
 けれど、全くなにもないのではなく、一階は玄関口だが、二階には小さいながらもキッチンがある。
 そして最上階である三階には、メインである観測室がある。
 不二に続いて部屋の中へ足を踏み入れたは、驚きに胡桃色の瞳を瞠った。
「すごい…」
 部屋の中央に置かれている天体を観るのに必要な望遠鏡が想像以上に大きい。天文台によって望遠鏡の大きさは様々だが、目の前にある望遠鏡は口径が1メートルはある。
 望遠鏡の隣には、彗星や星雲のような広がった天体を観測をするのに便利な天体写真用カメラもあった。
「…本当に使っていいの?」
 こんなに大きな望遠鏡で観測できるのかという期待に満ちた瞳で、は不二を見上げた。
 嬉しそうに瞳を輝かせるに不二は首を傾けて微笑む。
「もちろん。使い方は聞いてるし、あとで説明してあげるよ」
「うん!すごく楽しみ」
 本当に嬉しそうに弾んだ声を上げるに、不二は微笑みを深くした。

 漆黒の空の遙か彼方で煌く星々の美しさに目を奪われる。
 肉眼では見えない星を観るのは初めてではないが、これほど鮮明な星を観るのは初めてだ。
 あまりにきれいすぎて、言葉が出てこない。
 は望遠鏡を覗き込んだまま、角度を変えた。中央が一際明るい、白色の渦状をしたものが見える。
「周助さん、観て観て。すごくキレイ」
 小さな子供のようにはしゃいで自分を呼ぶに、不二は色素の薄い瞳を細める。可愛い彼女が愛しくて仕方ない。不二は跡部に言葉だけ、と言ったことを少し後悔した。
「今度はなにが見えるの?」
 の細い身体を背後から包みこむようにして、不二が望遠鏡を覗き込む。
 天体写真用カメラは使い方を聞いている不二にしか扱えないが、望遠鏡は天文部の備品や一般公開されている天文台のものとサイズは違うが、使い方は同じなのでにも扱えるのだ。
が観たのを僕に見せてよ」
 不二がそう言ってに観る権利を譲ってくれたので、観測を始めてからずっと星雲や惑星を探しては声をかけている。
「…今度のもキレイだね」
「おおぐま座の銀河…だと思うんだけど…」
 は星座には詳しいが、星雲や銀河の知識は実はあまりない。
 興味はあるので有名なオリオン星雲やアンドロメダ星雲などはすぐにわかるのだが、星座の数と同じだけ星雲や銀河があるので、とても覚えきれない。
「僕はわからないからなんとも言えないけど、はかなりわかるほうじゃないのかな」
 天体図が手元になくても星座の位置が正確にわかるだけでもすごいと不二は思う。それは今夜に限ったことではないけれど、本当にそう思っている。
「そう、かな?そう言ってもらえると嬉しいけど」
 白い頬を僅かに赤く染めて照れたように微笑む婚約者に、不二は口元を上げてクスッと微笑む。
「…ねえ、周助さん」
「ん?」
 名前を呼ばれて、不二は望遠鏡から視線を外して、腕の中のに切れ長の瞳を向けた。
「素敵な贈り物をありがとう。すごく嬉しい」
 不二の頬に触れるだけのキスをして、が微笑む。
 キスを受け取った不二は、が照れてしまうほどの優しい笑みを浮かべた。
の笑顔が見られて僕も嬉しいよ」
 少し掠れた甘い声で囁くと、淡く色づいた頬を両手で包み込んで、柔らかな唇に甘いキスを落とした。




END



BACK