眠れぬ夜の過ごし方




 部活を引退してから朝練に顔を出さない日は、不二はを家まで迎えに行って、一緒に登校している。
 今朝もまた、いつもそうしているように、家のチャイムを押した。
 数秒後、玄関の扉が開き、が姿を見せる。
「おはよう」
「…ん、おはよう、周ちゃん」
 いくらか元気のない挨拶をされ、不二は首を傾げた。
 昨日登下校が一緒でなかったから気づいていないだけで、彼女は具合が悪いのだろうか。けれど、顔色は別に悪くない。
、どうかしたの?」
 ひょい、心配そうな瞳で顔を覗き込む不二に、は慌てて首を横に振った。
「具合が悪いとか、そんなのじゃないから心配しないで?」
 緩く首を傾けてが小さく微笑む。
 だが、彼女が大丈夫と言ったからといってすぐに納得する不二ではない。不二にとっては、自分以上に大切な存在だから。
「様子の変な君を心配しないわけないだろ」
 切れ長の瞳を細めてをじっと見つめる。
 すると彼の視線に観念したのか、は口を開いた。
「…一昨日と昨日と、よく眠れなくて…」
「寝不足なの?」
 不二が訊くと、コクンと首が縦に振られた。
 それで元気がないのか、と不二は胸の内でごちた。
「でも授業中とかは全然眠くならないし…」
「それはそうだろうね」
 は生真面目だから、寝ようとは思わないのだろう。
 だから、必然的に眠くならないに違いない。
 不二は今の彼女のセリフを同じクラスの友人に聞かせてやりたい、と心の片隅で思った。
「学校、休む?」
 返答は否と言うだろうけれど、一応訊いてみる。
 すると不二の予想通り、は頭を振った。
「大丈夫。行く」
「わかった。じゃ、行こう」
 そうして不二は足元はおぼついていないが、心配なのでを支えるようにして学校へ向かった。



 今日は土曜日なので、授業は半日で終わりなのが救いだった。
 不二は放課後のホームルームが終了すると、のクラスへ急いだ。彼女には教室で待っているように言ってあるから、ちゃんと待っているだろう。
 のクラスに着くとちょうどホームルームが終了したらしく、教師が教室から出てきた所だった。
 ざわついている教室へ入り、不二はを探した。すると教室に入ってきた彼に気づいていたらしく、彼女がこちらに向かっていた。
「周ちゃん」
 嬉しそうに微笑んで名を呼ぶ彼女に、不二は笑いかける。
 そして、白く華奢な手を取って、指を絡めるようにして手を繋ぐ。
「気分は悪くない?」
「うん、平気」
 朝より少し疲れが滲んでいるような気がしたが、平気と答えたの言葉を尊重することにした。
 万が一、帰り道の途中で眠そうに船を漕いだり、足元がおぼつくようなら彼女をおんぶして帰ればいい。その程度は鍛えている不二には造作も無いことだ。
 普段より幾分か遅いペースで歩いて、二人は下校した。
「ごめんね、周ちゃん」
 角を曲がれば家に着くあたりで、は小さな声で言った。
 心底申し訳ないと思っているのだろう。彼女の声はひどく沈んでいた。
「そんなこと気にしなくていいんだよ。僕がしたいからしてるんだ」
 ぎゅっと握っている手に力を入れて、不二は優しい笑みをに向ける。
 その微笑みに安心したのか、は「うん」と小さく頷いた。
「…今夜は寝られるかな…」
 自宅前に着くと、足を止めてが呟いた。
 心配そうに瞳を揺らすに、不二はなんと言うべきか逡巡した。
 そして不二は何か言うより先に、の声が耳に届く。
「…周ちゃんがいてくれたら、眠れそうな気がする」
 その言葉に、不二は色素の薄い瞳を驚きに瞠った。
「僕が?」
「うん。ちょっと前、周ちゃんが一緒に寝てくれた時に眠れたから」
 事情を知らない人が聞いていたら誤解を招く発言を、はさらりと言った。
 彼女は深い意味を考えていないから、仕方ないのかもしれない。深い意味をわかっているかどうかも怪しいものだが。
 不二はの言葉で、三年前のことを思い出した。
 それは、二人が小学校6年生だった。夏休みに不二のひとつ下の弟、裕太と三人で怪談をした日の夜。不二家にお泊りすることになっていただったが、恐くて眠れないと泣き出してしまった。その時、「僕が一緒にいてあげるから」と不二は添い寝をしてあげた。
 その時のことを言っているのだと察したが、不二は答えに困った。
 あの時はを安心させてあげたくて、そう言った。
 今も状況としては同じようなものなのだが、一緒にと言うのはいささか無理がある。
「…やっぱ無理だよね。我侭言ってごめんなさい。今日はきっと眠れるから」
 だから一人でも大丈夫だと言おうとしたが、それはできなかった。不二の人差し指が唇に触れて、言葉を封じてしまったから。
「鞄を置いたら、家に行くよ」
 不二がと微笑むと、は瞳を瞬いた。
「夜に来てくれるんじゃなくて?」
 不思議そうな顔で言うに、不二は首を傾げた。
 話がかみあってないと思うのは、気のせいじゃないよね。
 胸の内で呟いて、不二はその疑問を口に出した。
「どうして夜なの?」
「だって、早く寝て夜中に起きちゃったら困らない?」
 そう言われて、不二は色素の薄い瞳を丸くした。
 まあ、確かにそういうこともあるかもしれない。
 を早く休ませてあげたかったが、彼女はいつもどおりの時刻に眠りにつきたいのだと、不二は思った。
「わかった。じゃ、夜になったら行くよ」
「ありがとう、周ちゃん。大好き」
 笑顔で抱きついてくるを抱きとめて、頭をよしよしと撫でながら、小動物をあやしているような気持ちになった不二だった。



 そして、夜。
 不二はと約束した時間に家を訪ねた。彼女が予め母親に話をしていたらしく、すんなりと家に上げてもらえた。
「ごめんなさいね、周助君。我侭な娘で…」
 申し訳なさと親としての羞恥心とを合わせて割ったような顔で、の母は言った。
「いいえ。は部屋ですか?」
「あ、今お風呂に入ってるの。もうすぐ出ると…」
 最後まで言い終わらないうちに、がこちらに歩いてくるのが二人から見えた。
「あ、周ちゃん!」
 花柄のパジャマ姿のが、嬉しそうに笑って二人の傍へ歩いてくる。
 娘と娘の彼氏を気遣ってか、の母は「よろしくね、周助君」と言い置いて、その場から立ち去った。
「待たせちゃった?」
「今来たところだよ。タイミングよくてよかったよ」
 そうして二人はの部屋へと向かった。
「周ちゃん、先にベッドに入って?」
 思わず声を上げてしまいそうになって、不二はそれを喉の奥へ押し戻した。
 彼女の言葉に深い意味はないのだ。焦ってしまったのは、男のサガというものかもしれない。
 言われるままに綺麗に整えられたベッドへ入ると、小さなリモコンを手にもベッドへやってきた。
「これ便利なんだよ」
 不二の隣へ寝転んで、は手にしているものを見せた。
 今流行のリモコンで電気を点けたり消したりできる代物だ。
「へえ、確かに便利そうだね」
 点けたり消したりするだけでなく、省エネボタンというものまでついている。
 手の届く場所に置いて眠れば、電気を点けなければならない時に、電気のスイッチを手探りする手間がなくなるだろう。
「ここが少し光るの」
「へえ」
 よく見ると、ボタンの一部が蛍光色になっている。
「ん?どうしたの?」
 じっと見つめてくる視線に気づき訊くと、は少し頬を染めた。
「えっとね……もうちょっと近くにいってもいい?」
 わかっていたことだが、蛇の生殺しといえる状況で理性を保っている自分を、不二は褒めたくなった。
「それなら腕枕してあげるよ」
 近くよりも、より距離が近い――彼女に触れていれば、抱きしめていることで理性を無くすことはないだろう。
 それに、今夜はの睡眠不足を解消するために来ているのだ。改めて状況を確認することで、頭の中が冷静になった。
 華奢な手から「僕が消すよ」とリモコンを受け取って、不二は左腕を伸ばす。は彼との距離を縮めて、左腕へ頭を乗せた。
「今日は羊を数えなくても眠れそう」
「何匹数えたの?」
「579匹。でも眠くならなくて途中でやめたの」
 答えを聞いた不二は沈黙した。
 数えたがすごいような、でも眠れなかったのは可哀想で、なんと言ったらよいものか。
 戸惑う不二に気づかず、は言葉を続けた。
「周ちゃんが数えてくれた時は眠れたから試してみたのに」
 全然効果がなかったの、と拗ねた口調では言った。
「電気消すよ」
「あ、うん」
 ピッという機会音がして、部屋が暗闇に包まれる。
「おやすみなさい、周ちゃん」
「おやすみ」
 シンと静まり返った室内で、の寝息はなかなか聞こえてこない。
 数分経過した頃、不二は小声で声を出した。彼女が眠っていたら聞こえない程、小さな声を。
「眠った?」
「まだ」
 すぐに返事をされて、まだ寝付けないのだとわかった不二はふと思いついた。
 羊を数えてみたらいいかもしれない。 
「……羊が1匹…羊が2匹…羊が3匹…羊が4匹………」
「…周ちゃんの声安心する…」
 囁くような声に、不二は瞳を細めて微笑んだ。
 暗くて彼女の顔ははっきり見えないが、微笑んでいるのがわかる。
 彼女の声に返事をせずに、不二は羊を数えていく。
 そして、ゆっくりと羊の数を81匹数えた頃、小さな寝息が聞こえ始めた。
 規則正しい寝息に、不二はほっと胸をなでおろす。
 不二はとの距離ももう少しだけ縮めて、切れ長の瞳を閉じた。
 から褒美に何をしてもらおうかな…。
 腕の中の温もりを感じながら、眠りへと落ちていった。




END



羊でおやすみを聞いてふっと浮かんで、つい(笑)
スリープとシープをかけてるから、本当は羊が1匹とは数えないんですよね…。

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