冬の夜




 はぁ、と吐き出した息が白く染まり、宙に消えていく。
 かじかむほどに冷たくなってしまった指先を擦り合わせて、は空を見上げた。
 漆黒の空には銀色の月と星々が光り輝いている。
 冬の夜は寒いけれど空気が澄んでいて、夜空が綺麗に見える。

「……周助くんと見たかったな…」

 ぽつりと呟いて、は瞳を悲しげに歪めた。
 本当なら今頃は海辺の街で――スカイガーデンと呼ばれる場所で、夜景を楽しんでいる筈だった。
 不二から誘われた時は本当に嬉しくて、は二つ返事で頷いた。そして、門限はないけれど、帰りが遅くなってもいいという許可を両親から得た。
 手帳とカレンダーに書き込んで、今日が来るのを楽しみにしていた。
 それがダメになってしまったのは、昨日の夜。
 急遽親戚の家に行かなくてはならない用事ができたから、今からでかけることになった。
 約束の時間までに帰れそうにないんだ。ごめん。埋め合わせは絶対するから。
 不二から電話でそう連絡があった。急いでいるらしく、が「うん。じゃあ、また今度ね」と言うと、彼は「本当にごめん」ともう一度詫びて、通話を切った。
 いつもの彼なら自分が電話を切るまで切らずに待っている。そのことからも時間がないということが窺えた。
 デートの約束がキャンセルになってしまったのは残念だし、哀しい。けれど不二のせいではないのはわかっているし、彼を怒ってもいない。
 それでも不二との約束がキャンセルになって空いてしまった時間に何かする気にはなれなくて、は家を出て不二と来る筈だった海辺の街へ一人でやって来た。
 ここに来てからそろそろ一時間が経過する。
 海の側だからとコートを着てきたけれど、何もせずに立っているだけというのは寒い。気温も低く、冷たい風に触れている頬や手はまるで氷のように冷たい。
 寒さを和らげるようにコートの襟を少し引き寄せて、は踵を返した。
 いつまでも夜風に当たっていたら風邪を引いてしまう。
 何か温かい飲み物を飲んでから帰ろう。
 がそう考えた時、名を呼ばれた気がして彼女は視線を滑らせた。黒い瞳に映ったのは、こちらに向かって走ってくる人。

「周助くん!」

 驚きに黒い瞳を瞠るのところへ、不二は真っ直ぐに駆け寄ってきた。
 走る彼の姿がスローモーションのように、の瞳には映っていた。

!よかった、無事で」

 駆け寄ったと同時に不二は華奢な身体を力強く抱き寄せた。普段の彼からは予想できないほど、情熱的な抱擁。

「…どうして…」

 聞きたいことがたくさんあるのに、喉の奥が詰まって言葉にならない。

を探しに来たに決まってるだろ」

 彼にしては珍しく、強い口調で言った。
 背中に回された腕の力が僅かに強められる。

「ごめんなさい」

 は申し訳なさそうに眉を曇らせて、不二を見上げた。
 
「謝らなくていい。は悪くない。悪いのは約束を破った僕だから」

 不二は痛ましげな顔をしていた。
 約束がダメになってしまったのは、不二のせいじゃないのに。
 ズキンと心の奥が痛む。
 きっと彼は昨日デートが出来なくなったことがわかった時から、悪いと思っていたに違いない。
 なぜなら、彼は優しいから。

「周助くんは悪くないよ。悪いのは」

 私、と言おうとしたの唇を、不二は人差し指を当てて遮った。

「君じゃない」

 きっぱり言う不二の手に、はそっと触れた。

「…じゃあ、悪いのは二人とも、ね」

 微笑むに不二は色素の薄い瞳を丸くした。
 柔らかな笑みを浮かべて見つめてくるに、不二は小さく苦笑した。

「君には適わないね」

「そんなことないよ。私だって周助くんには適わないもの」

 その言葉にクスッと笑って、不二はの頬へ口付けた。

「すっかり冷たくなってる」

 冷たい頬に触れた熱い唇の感触に、は白い頬を赤く染めた。
 誰にも見られてないかな、とか、見られていたら恥ずかしい、とか、優しいキスが嬉しい、とか色々な気持ちが頭の中を駆け巡る。
 俯くに不二は色素の薄い瞳を細めた。可愛い彼女が愛しくて仕方ない。

「閉館にならないうちに行こうか」

「え?」

 不二を見上げて、は瞳を瞬いた。

「約束した場所に」

 紡がれた言葉に、は花が咲いたように微笑んだ。
 今日は行けないと思っていたし、不二と一緒に過ごすのは諦めていたから、とても嬉しい。
 そしては不二がここに来た理由がなんとなくわかった気がした。

「…ありがとう」

「僕が君に逢いたかったんだよ」

 微笑んでそう言うと、不二は抱きしめている腕を解いて、左手での細い手をとった。
 驚くほど冷たいの手を不二は包み込むように握った。

「周助くんの手が冷たくなっちゃう」

「こうすれば大丈夫」

 慌てるに不二はにっこり笑って、繋いだ手を自分のコートの中へ引き入れた。
 それから右手でコートの右ポケットを探る。

、手を出して」

「手って、こうでいいの?」

 わけのわからないまま、言われた通りに左手を胸の前に出した。
 すると、ぽんと小さな塊が掌に乗せられた。オレンジ色の袋――ホッカイロが乗った場所から、じわじわと熱が広がっていく。

「左手は温めてあげられないから、それで温めて」

「でも周助くんは?」

「僕は平気。君と手を繋いでいるから」

 首を傾けてフフッと微笑む不二に、は返答に困ってしまう。
 彼の甘い言葉に耳朶まで熱くなっていく。

「あ、ありがとう」

 汗ばむ掌はカイロの暖かさか、恥ずかしさ故だろうか。
 ちらりと横を見ると、不二が微笑んでいた。

「右手は僕がたっぷり温めてあげるよ」

 その言葉にの顔は夜目でわかるほどに赤く染まる。
 不二は瞳を細めて微笑んで、と繋いでいる左手の力を少しだけ強くした。
 繋いだ手から想いが伝わるように。




END



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