雪よりも




 いつもより少しだけ早く、目が覚めた。
 冬の気温は低く、ひんやりとしているが、今日は更に寒い気がした。
 周助はベッドから起き上がり窓際に向かうと、ベージュのカーテンを開けた。
「道理で…」
 呟いた色素の薄い瞳に、薄暗い空からひらひらと花弁のように舞い落ちてくる雪が映る。
 数分前に降り始めたばかりなのだろう。雪は庭や隣家の屋根にまばらに落ちているだけだ。
 今日はと映画を観にいく約束をしているが、天気予報次第では中止にした方がいいかもしれない。積るようなら、出かけるには不向きだ。
 もし外出に向かないようなら、を家に呼ぼうかな。
 先日買ったばかりの、彼女が聴きたいと言っていたレコードを聴くのもいいかもしれない。
 もしもの場合に何をして過ごそうかと考えながら、周助はパジャマから洋服に着替えた。
 部屋を出てリビングに行くと、ソファに座りテレビを見ている姉が視線を寄越した。
「周助、おはよう」
「おはよう、姉さん。珍しいね」
 言いながら、周助は姉の隣に腰を下ろした。
 弟の言葉に、由美子は秀麗な顔に僅かな剣を滲ませる。いつもながら笑顔で嫌なことを言う弟だ。
 仕事が休みの日に早く起きるのが珍しくて悪いわね、と胸中で文句を並べた。声に出して言うと負けた気になるので。
 周助は姉が気分を害した様子にクスッと楽しそうに笑って、テレビへ視線を向けた。
「天気予報、やってた?」
 流れているニュースを聞きながら、周助は横にいる姉に訊いた。
 もう終わったあとなら、テレビを見る必要はない。
「まだよ。このあとじゃないかしら」
 由美子の言葉に重なるようにして、テレビに映るものがスタジオから待っていた映像へ切り替る。
 気象予報士によって伝えられた今日の天気を知った周助は、ソファの背もたれに背中を預けた。
 天候はこれからますますひどくなるらしい。雪の降る量も増えていくのでは、外出はやめた方がいいだろう。都会では大雪になることが滅多にない。そのため、大雪になった際の交通機関への影響が大きい。
 それに、遠出する予定ではないが、寒い中外出して彼女が風邪を引いてしまっても困る。
 あれこれ考えていると、不意にチャイムが響いた。
「あら、誰かしら。こんな時間に」
 現在の時刻は午前7時を数分過ぎたばかりで、早朝と呼んでいい時間だ。
…かな」
 周助の呟きに由美子は瞳を瞬いて、ついで笑った。
「それは周助の願望でしょ。こんな朝早くにちゃんがくる訳ないじゃない」
 由美子はくすくす笑いながら、玄関へ向かった。
 残された周助は当たってると思うけどと胸中で呟いて、驚いた顔で戻ってくるだろう姉を待った。
 ほどなくして、姉は周助の予想通りの顔でリビングへ戻ってきた。彼女の傍らには、周助の愛しい彼女が微笑んでいる。
「おはよう、
 そう言って微笑むと、もふわっと微笑んだ。
「周ちゃん、おはよう。早くにごめんね」
「全然。に逢えて嬉しいよ」
 周助は腕を伸ばし、傍らに歩いてきたの細い腕を掴んだ。ぐいっと引き寄せ、細い体を抱き寄せる。
 腕の中に閉じ込めたの身体は、ほんの少し冷たい。彼女の家は隣なのに身体が冷たいということは、それだけ外の気温が低いのだろう。
 そしてふと周助は彼女の黒髪がきらきら光っていることに気づいた。
、雪がついてる」
「え?ほんと?」
「傘は差してこなかったの?」
 癖のない髪についた雪を手で払いながら訊くと、はコクンと頷いた。
「だってすぐだもの」
 まだ本格的に降りだしていないから、彼女が傘を差してこなかったのも道理かもしれない。
 彼女が風邪でも引いたら、と思ったのだが、さすがに過保護過ぎかと思い直す。
「はい、とれたよ」
「ありがとう」
 少し恥ずかしそうな顔でが微笑む。
 そんな彼女を可愛いなと見つめていると、コホンと空咳が聞こえた。
 二人は揃って視線を滑らせて、困った顔をした由美子には真っ赤になって慌てて、周助はまだ居たんだという顔をした。対照的すぎる反応をした二人に、由美子はふぅっと息をついた。仲がいいのはよいが、存在を忘れられてしまうのは複雑な気持ちだ。
 由美子は緩くかぶりを振って、気持ちを切り替えた。
ちゃん、朝食は摂った?」
「あ、まだ。周ちゃんと雪が見たくて、起きてすぐ来ちゃったから」
 恥ずかしそうに頬を染めるが微笑ましくて、由美子はくすっと微笑んだ。
「じゃあちゃんの分も用意するわね」
 その言葉には黒い瞳を瞬いた。
「え?朝食はいつもおばさまが用意してるのに?」
「ええ、そうよ。だけど、一昨日からアメリカに行ってていないの」
 不二家の家長が単身赴任でアメリカに行っていることはも知っているので、すんなり納得した。は由美子の料理の腕を疑っているのではなく、ただ単純に不思議に思っただけなのだ。周助の母も料理上手で殊にケイジャン料理は絶品だが、姉の由美子もまた料理が上手い。



 由美子が用意してくれた洋風の朝食を食べたあと、二人はリビングの窓近くのカーペットに座り、外を眺めていた。
 数十分前まで小降りだった雪は強くなり、少しづつ大地を白く染め始めている。部屋の中は暖房が効いていて暖かいが、外はかなり寒いに違いない。冬は好きだし、雪も嫌いではない。けれど、大雪になると少しだけやっかいだと思う。
「…積るかな?」
 周助の足に挟まれ後ろから抱きしめられている状態なので、は外を見つめたまま言った。
 少し恥ずかしい体勢だけれど、背中に感じる体温と、身体に回された腕が心地よくて安心する。由美子は気をきかせてくれて自室へ行ってしまったので、見られていないということもあるが。
「積ると思うよ」
 柔らかな声が届いたのと同時に、左肩が少し重くなった。
 あれ?と視線を動かしたの瞳に、周助の顔が映る。肩が重くなった原因は、彼が顎を肩に乗せたからだった。
 彼の甘えているような仕種に、は小さく笑った。周助が可愛く思えて。いつも甘えてばかりなので、新鮮な気持ちがする。
「何笑ってるの?」
 クスクス笑いながら更にぎゅっと周助は細い身体を抱きしめる。
「言わなくても、周ちゃんわかってるでしょ」
 彼が自分をからかっているのがわかって、も楽しそうな笑みを零す。
「じゃ、当てたらキスしていい?」
「なっ、何言って…っ」
 切れ長の瞳を細めて微笑む周助に、は耳朶まで真っ赤に染めた。
 対等だったはずの立場は、一瞬のうちに周助の優位となる。
「……可愛いな、って思った?」
「えっ?な、なんでわかったの?」
 驚きに瞳を瞠る彼女に、周助はにっこり笑った。
「僕がいつも思ってるから」
「…周ちゃん、意味がわからないんだけど」
 眉根を寄せて困るに周助はフフッと微笑む。
 からかうのが楽しくてたまらないと言った顔だが、がそれに気づくはずもない。は周助の言葉の意味を考えることに必死なので。
「ご褒美、もらうよ」
 嬉しそうな声で言って、周助は柔らかな唇へ甘いキスを落とした。
「……雪もいいけど」
 彼女の唇をゆっくり堪能して、唇を離しながら周助は呟いた。
「僕は雪よりを見ている方が好きだな」
 甘い囁きには顔は勿論、首までも赤く染めて、周助から視線を逸らした。
 火照るように熱い身体は、しばらく冷めそうになかった。




END



BACK