3年6組の昼休み




 昼休みの教室で不二は友人の菊丸と談笑しながら、弁当を食べていた。
 話の内容はたわいないもので、昨日のテレビの話やテニスの話、宿題のことなどだ。
「そういえば、俺、今朝部室で見ちゃったんだけどさ」
 心なしか顔を青ざめて、菊丸は怯えたような表情で言った。
 どんな恐いものを見たのだろう。噂話というものには興味がないけれど、菊丸の話は少し気になる。
 部室と言ったら、自分と全く関係ない話とは思えないからだ。
「何を見たの?」
 不二が訊くと、見た時のことを思い出してしまったのか、菊丸はぶるりと肩を震わせた。
「乾汁」
「なんだ。そんなのいつものことじゃない」
 肩透かしをくらって、不二は気が抜けた。
 乾が部室で怪しげな液体を作っているのは、今に始まったことじゃない。
 緑色のドロドロした野菜汁名の乾特製野菜汁や真っ赤な液体のペナル茶、一口飲んだだけで瞬時に気を失う青酢など、これまでも疲労回復やスタミナ快復に効果があるのか全くわからない乾汁は作られている。
 それに不二は苦手な『酢』が入っている青酢を除けば、乾の作るドリンクは美味しいと思う。だから乾が新作ドリンクを作ろうと、ドリンクを改良しようと構わない。
「不二はそうかもしれないけど…っと」
「あ、ちょっと英二」
 菊丸は制止の声など聞き流し、不二の弁当箱から横取りしたエビフライを口の中に入れた。
 もぐもぐとエビフライを食べてから、菊丸は笑った。
「美味しかった。ごちそうさまー」
が作ったものだからね」
 不機嫌そうに色素の薄い瞳を細めて、不二は玉子焼きを箸でつかんで口にいれた。
 彼女が朝早くから愛情を込めて作ってくれた弁当のおかずをうっかり取られた自分に腹が立つが、それを横から取った友人にはさらに腹が立つ。
「…怒ってる?」
 恐る恐る口を開いた友人に不二は口端を上げて微笑んだ。だが笑っているのは口だけで、色素の薄い切れ長の瞳は全く笑っていない。
 不穏な空気を感じ取り、菊丸は背筋が寒くなった。
「怒ってないとでも?」
 フフッと微笑む不二は、見るからに怒っていた。
「えっと…ごめんなさい」
 青菜に塩をかけたような顔で菊丸は頭を下げた。
「仕方ないね」
 先程と違う柔らかな声――いつもと同じ不二の声に菊丸は安堵の溜息をついた。
 今度から不二の弁当には手を出さないぞ、と菊丸は堅く誓った。
 もっとも、不二の弁当が彼女の手作りだということは今日初めて知ったのだが。知っていたら最初から手を出していなかった。
 二人の間――と言ってもどちらかと言えば菊丸の中でだが、微妙な空気が流れていたのを、女生徒の声が断ち切った。
「食べてるところにごめんね」
 二人に声をかけてきたのはクラスメートの女子だった。
「なに?」
 タイミングがいいときに来てくれたと思った菊丸は、視線をクラスメートに向ける。
「二人の好きな動物、教えてもらえないかな」
「は?動物?」
 呆気に取られる菊丸と、声に出さないまでも顔に僅かに出した不二を気にせず、クラスメートは話を続ける。
「うん。お願い、教えて。罰ゲームなのよ」
「あ、そゆこと」
 菊丸は素直に頷いたが、不二はクラスメートの言葉が嘘だというのを見抜いた。
 自分達のいる窓側の席の反対、廊下側で数人固まっている女子がこちらを期待の眼差しで見ていて、その中に菊丸を好きだと言っていた子がいることに気がついたので。
 要するに好きな人のことはなんでも知っていたい、とそういうことなのだろう。ちなみに不二がそう考えたのではなく、いつだったかが言っていたからだ。
「俺は猫かな」
「あ、菊丸君ぽいね。じゃ、不二君は?
「黒いウサギ」
「黒いウサギ?」
 瞳を瞬くクラスメートに不二は首を少し傾けた。
「可愛くて好きなんだ」
 微笑む不二を間近で見たクラスメートは頬を赤く染めた。
「う、うさぎは可愛いよね、うん。二人ともありがとう」
 そう言ってそそくさと立ち去った。
「なあ、不二」
 クラスメートが離れてから菊丸は口を開いた。
「黒いウサギって俺見たことないんだけど、どこにいるの?」
 白いウサギや茶色いウサギならペットショップで見たことがあるけれど、黒いウサギは見たことがない。だから、純粋に見てみたいと思った。
「近くにいるよ」
 不二の言葉に菊丸は瞳を輝かせた。
 あまりに遠いなら無理だけれど、都内や近隣の県にいるのなら、見に行ける。
 どういうウサギなんだろうなあ、と菊丸は楽しみに心を弾ませる。
「近くって都内?」
「うん」
 菊丸は小さくガッツポーズして、身を乗り出した。
「どこ?」
「僕の家の隣」
 友人の言葉に菊丸は固まった。衝撃告白に咄嗟に言葉が出ない。というよりも、頭の中が一瞬真っ白になった。
 不二の家の隣……って、まさか…。
 いや、でも不二ならありえる。っていうか、それだとさっきの笑顔の意味と繋がるかも。
 不二が「可愛くて好き」というのは、彼女以外に思い浮かばない。
 菊丸はごくりと唾を飲み込んで、聞いてみることにした。
「…ちなみにさ、そのウサギってなんて鳴くのかにゃ?」
「『周ちゃん』だよ。フワフワですごく可愛いんだ」
 にっこりと満面の笑顔で聞いていないことまで言った友人に、菊丸は乾いた笑みを浮かべた。
 確かに不二の彼女は黒髪黒目で可愛いコだと思う。
 だが、よりによってクラスメートからの質問の答えにするだろうか。
 そんな菊丸の心が見えるかのように、不二はクスッと微笑んだ。
「ねえ、英二。やられたままなのは性に合わないんだよね」
 微笑する不二に、弁当のおかずを取った自分への『あてつけによる仕返し』だったことに気がついた菊丸だった。


 その日の放課後、部活が終わった後に部室で、黒ウサギはどこで見られるのか、と乾に訊く菊丸の姿を数人の部員が目撃した。その中の一部の人間は、機嫌のよさそうに菊丸を見ている不二を見て、なんとなく何かを感じ取ったらしい。




END



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