傍に居て欲しい 手を伸ばしたら触れられるところに これからも、ずっと―― ずっと、君と 学校へ登校し、教室に向かう途中、後ろから名を呼ばれて立ち止まった。聞いたことのない声だったが、呼ばれて無視はできない。 振り返ったの黒い瞳に映ったのは、肩より少し長い髪の女子生徒。見覚えはなかったが、彼女は自分を「先輩」と呼んだ。となると、は二年生だから後輩の一年生だろう。 不意に呼び止められた理由は不明だし、目の前の少女がどうして名を知っているのだろうという疑問で、は緩く首を傾げた。部活といくつかの授業以外ではおろしている背中の中程まである艶やかな黒髪が、彼女の動きに合わせてさらりと流れる。 「これもらってください!」 突然のことに驚き、瞳を瞠る。後輩が差し出しているのは、コミック本程度の赤い包み。形は四角ではなく、ハート型。今日はバレンタインデーで、日本では好きな男性へ女性がチョコレートを贈るという風習がある。海外では逆らしいが、日本ではそれが一般的だ。だから驚いて思考回路が一瞬停止しても仕方がないことだった。 は数秒の沈黙後、形の良い唇を開く。 「私に?」 少女の目の前には自分しかいないのだから、そりゃそうだろ、と廊下で何事かと目を止めた幾人かの生徒が胸の内で突っ込んだのは当然だ。が、は至って真面目――というより、ほかに言葉が見つからなかったのである。 「ダメですか?」 泣きそうな顔で言われて、受け取れないと言えなくなってしまった。 だからと言って気軽に受け取るのもどうかと思われる。なにしろ相手は女の子、同性なのだ。 「駄目ってわけじゃ……」 こういう時はなんと言えばいいのか困惑し、は言葉に詰まる。 誰か知り合いが通らないものかと第三者に助けを求めて視線を左右へ動かしたけれど、世の中そう上手くことは運ばない。自力でなんとかするしかなさそうだった。 そして数分後、後輩の好意は異性と違う次元にあることを確認し、それならとチョコレートを受け取って、足早に教室へ向かった。はとにかく早く教室に行って、落ち着くため友人の誰かに話を聞いて欲しかった。だから、チョコレートをバッグにしまい忘れていることに気がつかなかった。 まだ登校していなかったり、部活が長引いているらしく、教室に友人の姿はなかった。軽く溜息をつき、窓際の自分の席へ行く。 「おはよう」 左隣の席の男子生徒――不二に挨拶され、「おはよう」と返したは、彼が右手の方へ瞳を向けていることに気がついた。彼の視線を追って右手を見、うっかりチョコレートをしまい忘れていたことに気がついた。 「あ、あの、これはねっ…」 誰にも秘密だが、は不二が好きだ。好きな人に女の子から貰ったことを知られて変な目で見られたくなくて、とても焦った。けれども。 「さんも誰かにあげるんだ?」 「へ?」 間抜けな声を出すに不二は不思議そうな顔をする。彼の反応は至極もっともだ。彼はが女の後輩からチョコレートを貰ったことを知らないのだから。 「そのチョコレート、誰かにあげるんじゃないの、って言ったんだけど、聞いたら駄目だったかな?」 「え、違う違う!」 は顔とぶんぶんと大きく横に振った。それは大変な誤解だ。 「ふ、……」 不二くんに渡すのは別にある、と口が滑りそうになり慌てて言い留まる。 「ふ?」 「ううん、なんでもない。 あっ、あのねこれは、貰ったの」 言った直後、不二の色素の薄い瞳がスッと細められたが、一瞬であり、説明に必死になっていたこともあり、は気がつかなかった。 「へぇ、男が女性に贈るなんて、中学生で珍しいね」 言葉の裏に隠された不二の心などにわかるはずなかったが、それは一秒後、否定された。 「女の子なの」 「……………え?」 珍しく反応が遅かった不二にはわずかに苦笑を滲ませて、 「やっぱり驚くわよね。さっきの私、きっと不二くんみたいな顔してたんだわ」 「、今日一緒に帰ろうよ」 教室の窓側、前から四列目の自分の席へ着くと、声をかけられた。は左斜め前に優雅な顔で座る声の主を、わずかに睨んだ。彼女の黒い瞳は、ほかに言うことはないの、と語っている。だが、彼女の睨む瞳にその人は痛くも痒くもないようで、楽しそうな微笑みを口元に刻んでいる。 「ちょっと、周助、ほかに言うことあるでしょ」 言いなさいとばかりにはすごむが、不二はこういう顔も可愛いなあと思うだけだ。けれども、あまり怒らせると口を聞いてくれなくなるのを知っているから、眺めるのはほどほどでやめておいた。 「置いていったのは、全員女の子だったよ」 そういうことを聞いているのではないのだが。いや、でも、女の子からなら男の人から貰うより困らずに済む。 って、そうじゃないでしょ、私! バレンタインデーに女の子からチョコレートを渡される、という衝撃的な初体験をがしたのは、中学二年――四年前のこと。その年はそれだけで済んだのだが、翌年、三年生の時、事件は発端した。 登校し下駄箱――扉付きなので、開けるまで何が入っていようとわからないのだ――を開けると、どさっと何かが足元に落ちた。ひとつではなく複数の物が落ちた音に自然と視線を落とし、は言葉を失った。それらは下駄箱に詰め込まれたチョコレートだったのだ。 さすがに茫然自失になっていたは、ちょうど登校してきた友人に肩を叩かれ、我に返った。 友人に手伝ってもらい、鞄と図書室に返す本を入れている紙袋があったので本を取り出し、チョコレートを詰め込んだ。そして友人と一緒に教室へ行き、自分の席――机の上に山積みされたチョコレートに呆然となった。 そういうことが三年前から続いていた。 付属の高校――同じ青学だが、入試に合格しなければならない――に進学し、開放されたと思っていたから、のショックは大きかった。 人から嫌われるより好かれるほうが嬉しい。嬉しいのだが、なぜこんなに、しかも女の子に好意を持たれるのか、と困惑する気持ちが大きい。 お返しはできないと言っても「いいんです」と置いていくから、純粋な好意を向けられているのだというのはわかる。けれど、だからと言って素直に喜べない。正直、いつまで続くのだろうかと考えると、憂鬱にな気持ちになる。 「もうっ、それが彼氏のセリフ?」 膨れっ面をすると、不二は微笑みを消した。ちょっと来て、というように不二の手が動いたので、は彼我を縮めるため、彼の隣席のイスを拝借してそれに座る。 「僕だって嫉妬するんだよ。わかってる?」 「見――」 「見えなくても」 不二はの声を遮って言った。 「受け取らないで欲しいって言っても、君はできないだろ。それに、数が多すぎる」 その通りなので、は小さく頷いた。 「……自分でも心が狭いってわかってるけどね。だから――」 意識したくなかった、と告げる声はやっと聞き取れるほどに小さかった。 「…………だったら、そのぶん周助といる時間を増やすわ。 …そんなんじゃ、駄目?」 「そうだね、それじゃ足りない」 不二は切れ長の瞳を細めて、にっこりと不敵な微笑みを浮かべる。恋人の変わりように、まさかいままでのは演技だったんじゃ、とが思っても罪はない。ちなみに、不二の名誉のために言うと、演技ではなく、本気――本心からであって、立ち直りが早かっただけのこと。の言葉が彼の気持ちを浮上させるに足る言葉であったからだ。 がどうすればいいかと問うより先、不二が言葉を重ねる。 「君の28日を全部欲しいな。もちろん来年も」 少し気が早いのではないかと思ったけれど、否はないし、としても彼の誕生日――厳密には違うけれど、一緒にいられるのは嬉しいし、お祝いをさせて欲しいと思っているから、迷うことなく頷いた。 「けど、今年と来年だけじゃ全然足りないから、これからもずっとがいいんだけど」 「……その言い方だとプロポーズみたいに聞こえるわよ」 は思わずくすっと笑みを零す。 「みたいじゃなくて、そうなんだけどな」 そう言って、クスッと笑う。 「え…ええっ!?」 「そんなの大きな声を出さないほうがいいと思うよ」 何事かと向けられた数対の視線に気付き、がなんでもないように取り繕うには努力が必要だった。 そんな彼女を見て、不二は微笑みを深める。 「ねえ、」 柔らかく優しい声で名を呼ばれた。 「君に傍にいて欲しい。手を伸ばしたら触れ合えるところに」 これからも……ずっと、君と歩いていきたい。 大好きだよ、――。 耳元で、甘く愛を囁かれる。 バレンタインに初めて男性から貰った愛の言葉に頬を真っ赤に染めて、はしばらく動けなかった。 END Can't stop loving you お題「いつまでも」 BACK |