My Darling




 ビルから出ると外はすでに暗くなっていた。
 時刻は18時を少し回ったくらいだが、今は冬であるため陽が落ちるのが早い。
 時折冷たい風が強く吹き の黒髪を攫う。その度に はモスグリーンのシングルコートの襟を引き寄せた。
 会社を出て10分ほど歩いた頃、 は腕時計に目を遣った。
「よかった。間に合いそうね」
 つぶやいて、 は歩く速度を早め、恋人と待ち合わせしている駅前の喫茶店に向かった。

 店に入り、すでに着いているだろう周助を探すために、そう広くない店内を見渡す。
 すると、店の奥のテーブルにいる男性が に向かって笑顔で手を振った。それに応えるように も軽く手を振って、周助がいる席へ急いだ。

「周助、ごめんね。待ったで…どうしたの、その格好」
「全然待ってないよ。僕もついさっき着いたばかりだから」

「そうなの?よかった。…って、そうじゃなくて!」
「ん?…ああ、この服のこと?気になるの?」
「当たり前でしょ。驚いたわよ」
「うん、それはわかった。でも、そろそろ座ったら?」
 余裕たっぷりににっこり笑って周助に言われて、 は自分が座っていなかったことに気がついた。
 彼の向かいのイスを引いて座った。
 そして、改めて周助の着ている服を見た。
 彼が着ているのは高校の制服ではなく、品の良いダークグレイのスーツだった。
「スーツ姿なんて初めて見たわ」
「フフッ」
「すごく似合ってる」
 自然に口から漏れた言葉。
 その言葉に周助は悪戯っぽく微笑む。
「惚れ直した?」
 それが的を得ていたので、 は驚いて目を見開いた。
 けれどそれを周助に悟られたくなくて、わざとはぐらかす。
「さあ、どうかしら?」
「クスッ、惚れ直してくれたんだ?表情と台詞が合ってないよ、
「うそっ?」
「うそだよ」
「しゅうすけぇ〜っ」
  は頬を膨らませ周助を睨むが、恥ずかしさで赤くなった顔で言っても効果があるはずもない。
「嬉しいよ、
 いつになってもこの年下の恋人には勝てそうにない。
  はそれを再認識した。


 しばらくたって、コーヒーを飲んでいた手を止めて、 は思い出したように口を開く。
「ねえ、周助。お腹空かない?」
「そうだね、もう7時になるし。食事に行こうか?」
「うん」
 嬉しそうに返事をする彼女に周助はクスリと笑う。
を連れていきたい店があるんだ。由美子姉さんのお薦めの店なんだけど」
「由美子の?へえ、行ってみたいわ」
「決まりだね。じゃあ行こうか」


 由美子のお薦めだという店前で、 は驚いた瞳で周助を見上げた。
「ここって…もしかしなくても料亭…よね?」
「うん。オーナーシェフお薦めのディナーが絶品なんだって。さ、入ろうか」

「ちょっ、ちょっと待って」
 自分の手を引いて店に入ろうとする周助に は声を上げた。
 いかにも『高級料亭』と言わんばかりの立派な外観。
 そのような場所に慣れているはずもなく、 は不安気な表情で周助と繋いでいる手をギュッと握った。

「心配しなくても大丈夫だよ。僕がついてるんだから」
 そう言って周助は を連れて店に入った。
 二人は長い廊下を歩いて、座敷き部屋へと案内された。二人を案内した従業員は、会釈をして戻っていった。
 周助がスラリと襖を開ける。
「待たせちゃったかな?」
「私達も10分位前に着いたばかりよ。 久し振りね、
「由美子!?」
 大学時代の友人との突然の再会に は驚いた。
 このような場所でなければ話に華が咲いていたかもしれないが、驚きが続いて親友の名を口にするだけで精一杯だ。

 そして、驚いている に追い打ちをかけるように、彼女の耳に別の声が届いた。
「あなたが さんね。初めまして、周助の母です。話に聞いていた通り可愛らしい方ね」
「は、初めまして。 と申します」
  が慌てて頭を下げると、周助の母の隣に座っている男性が口を開いた。
「緊張しなくてもいいよ。気楽にしておいで」
「父さん、それは無理だと思うぜ?」

「そうか?」
「ああ。いくら兄貴が傍にいるとはいえ、突然恋人の家族と対面させられて平然としていられると思うか?」

「それもそうだな」
 周助の父と弟がそんな会話を交わしている間に、周助は を促して席につく。
 周助は隣に座った綾瀬に、父から順番に家族の紹介を始めた。
  が知っているのは学生時代の友人である由美子だけで、話には聞いていたが、彼の両親や弟に会うのは今日が初めてだった。


 初めのうちは緊張していた だったが、周助や由美子のフォローもあって、徐々に彼の家族と打ち解けて話せるようになっていた。
 食後の抹茶と茶菓子を食べ終えた頃、時刻は21時を回っていた。
「そろそろ帰ろうか。 周助」
「何?父さん」
「もう夜も遅い。お前は さんを送っていきなさい」
「うん、わかってる」

 そして周助と は料亭の前で彼の家族が車で帰るのを見送った。
  のアパートへ続く道を二人は手を繋いでゆっくり歩く。
 夜風は刺すように冷たいけれど、繋いだ手から感じる温もりがとても心地よい。

「さっきから何もしゃべらないね」
「そう?」
「…君をだましたのは悪かったよ。ごめん。でも、家族に紹介したいって言っても、 は素直に応じてくれそうになかったから」
 周助が14歳で が20歳の時、二人は付き合い始めた。
 それから4年の歳月が流れている。
 ゆえにお互いのことを理解しているのは当然で、周助が家族に紹介したいと言い出すのも時間の問題だった。
 けれど。

「ちゃんと時間をくれたら、私だって断らないわ」
「うん」

「今度だましたら一週間キス禁止だからね」
「うーん。それは困るな。あ、でも、キスじゃなければいいんだよね」
「もうっ、そんな訳ないでしょ」
 は呆れて溜息をく。
 そんな彼女に周助は楽しそうにクスッと笑う。

「冗談だよ。きちんと約束するから、機嫌直してよ。ね?」
 周助はの細い身体を抱き寄せ、彼女の柔らかな唇にキスを落とした。


END

華蓬倫様へ相互リンク記念に。

BACK