夏休みが始まって一週間が過ぎた。
  は二階にある自分の部屋で、夏休みの宿題を片付けていた。
 正午過ぎに始めた英語の宿題は、二時間経っているにも関わらず、終わっているのは三分の一程度だった。

「――っ。英語は苦手なのにぃ」
 教科書の英文に目を走らせながらぼやく。
 英語の宿題は”星の王子様”を丸一冊和訳することだった。

「…はぁっ」
  ため息をついて、広げているノートの上にシャーペンを転がした。
 宿題が中々進まないせいで、集中力は欠けてきている。
 続きは一息入れてからにしよう。
 そう考えて、 は椅子から立ち上がった。

 階下へ続く階段をおりて、キッチンへ向かう。
 冷蔵庫を開けよく冷えている麦茶を取り出し、お気に入りの青いグラスに注ぐ。それを持って、 は部屋へ戻った。
 再び椅子に座り、麦茶を一口飲んでグラスを机の上に置く。
 その時、机の片隅においていた携帯が鳴った。
「もしもし?」
『あ、 だけど。今電話してて平気?』
「うん。宿題やってただけだし」
『あ、そうなんだ。私は今部活から帰ったところなの』
「お疲れ様〜。毎日大変ね、女テニも」
『大変と言えば大変だけど、テニスが好きだからね』
「ふふっ・・・」
『ところでさ、明後日は町内会の夏祭りじゃない』
「うん、それがどうかしたの?」
『今日ね、部活が終わったあと、すごい情報を手に入れたのよ』
 突然弾んだ声でそう言った に、 は何事かと首を傾げる。

「すごい情報って何?」
『明後日の夏祭りに菊丸君が来るんだって〜』
 菊丸というのはのクラスメートであり、なおかつの片思いの相手だったりする。更に付け加えるなら、 が想いを寄せている相手と仲がいい。
「よかったね、
『何言ってるのよ 。あなたも喜ばなきゃダメじゃない』
「なんで私が」

『菊丸君が来るならとうぜん不二君を誘ってるハズよ!だから偶然会えるかもしれないでしょ』
「あっ」

『明後日の楽しみが増えたでしょ?』
 そう訊いてきた親友に、は笑顔を浮かべた。

「うん、不二くんと会えるといいな」
『きっと会えるよ』




a summer fete




 が英語の宿題と格闘した日の二日後の夕方。
 は浴衣を着て下駄を履くと、との待ち合わせ場所に向かった。
  とは神社入口の狛犬の前で、午後7時に待ち合わる約束をしている。
 腕時計を見ると、待ち合わせた時間まであと5分だった。

 もうすぐ来るかな?
 そう思っていると、 に向かって手を振っている人物を彼女の黒い瞳が捕えた。
「待たせてごめんね」
「平気よ。今来たところだから」

 そう答えると、はホッとしたように微笑んだ。
 の姿を上から下まで見て目を丸くした。

「浴衣新しいのにしたの?」

「うん、今年の誕生日に買ってもらったの」
 高校二年生になって、少しは大人っぽくしたいと思い、生地色は黒で赤い小花の絵柄の浴衣を は選んだ。そして帯は浴衣の色と合うように、木蓮色の落ち着いた色にした。
 いつもおろしているかバレッタで留めている背中の中程まである艶やかな黒髪は、せっかくのお祭りなんだから、と気合いを入れてアップしてみた。

「いつもと雰囲気が違っていいんじゃない?可愛いよ」
「本当?よかった」

「じゃあ、そろそろ行く?」
「そうね」
 そうして二人は大勢の人で賑わう神社の境内へ歩いていった。
 辺りからは、焼きトウモロコシや焼きイカ、タコ焼きなどのイイ匂いが漂っている。
「ねえ、お腹すかない?」
 夕飯をまだ食べていないことを思い出して に訊ねると、彼女も と同じ気持ちだったらしく、すぐに答えが返ってきた。
「私トウモロコシが食べたいなぁ」
「私はトウモロコシよりタコ焼きが食べたいんだけど」
「う〜ん。どうしようか?」
 焼きトウモロコシを売っている店とタコ焼きを売っている店は、まったくの逆方向にあった。
 大勢の人で賑わうこの場所で別々に行動するとなると、はぐれてしまうだろうことは明確だ。
「ねえ、 。それなら社の前で待ち合わせようよ」
 確かこの神社の社前には、休憩ができるようにベンチが用意されていたはずだ。それを思い出した がそう提案すると、 は頷いた。
「そうね。それが分かりやすくていいかも」
 二人は合流する場所を決めて、それぞれ目的の店を目指した。
  はタコ焼き屋の前で足を止めると、列の最後尾に並んだ。
 最後尾と言っても、前に並んでいるのはカップル一組と親子連れが二組だけだったので、すぐに彼女の番になった。

「ひとつください」
「あいよっ。熱いから気をつけてな、おじょうちゃん」

 愛想よくそう言った店の人に、「はい」と答えてタコ焼きを受け取り、代金を支払うと はその場をあとにして、先程 と決めた待ち合わせ場所に向かった。
 社の前はあまり人がいなく静かだった。
 もっとも祭りの太鼓の音や音楽は、ここまで聞こえるほど賑やかだけれど。
  は…まだ来てないのね。
 周囲を見回してみたが はまだ来ていないようだった。
 座って待ってよう。
 そう思い、空いているベンチがないか探していると、ふいに後ろから肩を叩かれた。
「あ、?」

 親友の名前を呼びながらは振り返る。けれどそこにいたのは ではなく、見たことがない二人の男だった。
「きみ、ひとりなの?」
 二人のうちの一人がニヤニヤしながら、そう訊いてきた。
 瞬時に、逃げた方がいいと は判断した。
 人気のあるところへ行こうと踵を返すと、腕を掴まれて動きを封じられてしまった。
 手に持っていたタコ焼きは、地面に落ちてグチャッと潰れた。
「ムシしなくてもいいじゃん」
「そうそう。俺らにちょっと付き合えって」
「ちょっ…離してください!」
 なんとか腕を外して逃れようと試みるが、女の力で男の力に適うはずもなく、掴まれた腕は自由にならない。それどころか、そんな の行動は男たちを喜ばせるだけだった。
「へえ。可愛い顔して気が強いのな」
「ホントホント。でも気が強いコ、タイプなんだよね〜」
「やだっ…離してッ」
 恐くなって目を瞑りながらも、必死になってもがく。
 これがテレビドラマや恋愛小説ならば、誰かが助けにくるのだが――。
 やだやだやだっ・・・誰かっ!
 そう心で強く叫んだ、瞬間。
 掴まれていたはずの腕は、自由になっていた。
 恐る恐る目を開けると、目の前には誰かの背中があった

 だ…れ?
「なんだ、お前!」
「いてぇじゃねえか!なにしやがる!」

「僕の彼女に手を出さないで欲しいね」
 耳に届いた聞き覚えのある声に、 は無意識に彼の名前を呟いていた。
「不二…くん?」
さん、大丈夫?」
 不二が振り返って訊ねる。は今にも泣き出しそうな瞳でコクンと頷いた。

「おい!シカトしてんなよ!」
 その声と同時にの腕を掴んでいた男が殴りかかってきた。
 男の拳が不二の顔をめがけて飛ぶ。
 不二は を守るように細い身体を抱き寄せて、それを余裕でかわした。すると、男は勢い余って地面に倒れこんだ。

「この野郎!」
 そう言いながらもう一人の男が不二に殴りかかる。
 不二はその拳を今度は楽々受け止めて、いなしてしまった。

「いい加減消えたら?それとも…僕を本気で怒らせたい?」
 冷ややかに告げると、 にからんでいた二人の男は不二に適わないと判断したのか、「覚えてろ」と、お決まりの捨てゼリフを残して逃げ出した。

 男達の姿が完全に見えなくなったのを確認すると、不二は を腕の中から解放した。
 不二は先程の冷ややかな声とは全く違った優しい声で話かけた。
「もう大丈夫だよ。…掴まれたところ赤くなってるね。痛いでしょ」
 不二は の細い腕をそっと取って、心配そうに言った。
 その言葉に はフルフルと首を横に振る。

「大丈夫。助けてくれてありがとう」
 心の底から安堵した笑顔で答える に、不二は微笑み返した。
「さ、行こうか」
 不二が の華奢な手を取って言った。
「え?どこに?」
 疑問を思ったまま口に出すと、不二はクスッと笑った。
さんのところだよ」
のところ?」
 鸚鵡返しにそう言うと、不二は笑顔で頷く。
「うん、むこうで君を待ってるよ」
 そうしては不二に導かれるまま、が待っているという場所までやってきた。

!ケガしてない?」
「大丈夫。不二くんが助けてくれたから」

「よかった〜。からまれてる を見た時は、気が気じゃなかったわ」
 焼きトウモロコシ屋の前で菊丸と不二に偶然会った は、と不二を会わせようと二人と一緒により少し遅れて社の近くまで来たのだが、そこでからまれているを発見した。
 不二はを助けるべく彼女の元へ。
 は巻き込まれないように菊丸と一緒にここで待っていたのだと、そうは説明した。

「それにしても、不二の判断は早かったにゃ〜」
「ホントにね。二人は向こうに行っててって言ったかと思うと、すごい早さで のところへ走っていくんだもん。びっくりしたわ」
「俺も俺も。あんなに険しい表情の不二、見たことないよな」
「うん」
「でもさ、俺も ちゃんが危ない目にあってたら、不二と同じことするだろうな」
「え?」
 菊丸のセリフに驚いて、不二と が同時に声を上げた。
「ごめんね、 。今まで内緒にしてたけど、私と英二くん付き合ってるんだ」
 ほんのりと頬を赤く染めて が言うと、菊丸はにゃはは〜と楽しそうに笑って。
「じゃあ、そうゆうことで。俺たちは消えるから、二人でゆっくりしなよね〜」
 そう言って、菊丸と が仲良く手を繋いで人込みの中へ歩いていく光景を、 は呆然と、不二は苦笑しながら見送った。
 二人の姿が見えなくなって先に口を開いたのは――。
「ねえ、 さん」
「あっ、なあに?」
「まだ帰らなくても平気だよね?」
「うん」
「じゃあさ、これからデートしようよ」
 そう言って、にっこり笑った不二に、 は黒い瞳をパチパチさせた。
 彼女の表情は、信じられないと雄弁に語っていた。
 その反応に不二は面白そうにクスッと笑った。
「僕とデートしてくれませんか?」
「えっ、あのっ・・・」
 ようやく不二に言われたのは夢じゃないとわかった は、頬はもちろんのこと、耳までも赤く染めた。
 彼女可愛らしい反応に、不二は蕩けるように微笑んだ。

が好きだよ」
 真っ赤になっている の耳元に唇を近付けて、甘く囁くように言った。





END

ラム様へ相互リンク記念に。

BACK