それは、夏休みが始まる5日前のこと。
 図書委員の副委員長である は、委員会の仕事が終わると学校を出た。
 彼女の所属している天文部は休みだったが、委員会の仕事が長引いて、すでに夕方になっていた。
 夕方と言っても夏であるため空は明るく、グラウンドには運動部に所属する生徒の姿が見える。
 駅前で委員会の友人と別れた は、学校から自宅までの途中にあるスーパーへ向かった。今日の夕食と明日の朝食と昼の二人分のお弁当の食材を買うために。

 買い物カゴを手にした は、目当ての食材をカゴの中へ入れてゆく。
 野菜や生物は鮮度がよく美味しそうなものを、それ以外のものは賞味期限を確認して。
 今夜のメニューは、チリ・コン・カンとコンソメスープ、ミモザサラダ。
「人参、レタス、マッシュルーム、挽肉、ハム、トマト缶‥‥‥」
 カゴの中を見て、食材の確認をする。
 冷蔵庫の中になかった食材は全部あるから大丈夫だ。
「あとキドニービーンズを買えばいいわね」
 不二がリクエストしたメイン料理の食材を買い忘れては意味がない。
 乾燥したものはすぐに使えないので、美味しさでは乾燥ものより劣るが、水煮缶をカゴに入れた。
 レジで会計を済ませてスーパーを出た所で、制服のポケットの中で携帯が鳴った。
『あと1時間くらいで帰るよ。夕食、楽しみにしてるね』
 不二からのメールを読んで返事を打つ。
『いま買い物が終わったところなの。
周助さん、気をつけて帰ってきてね。夕食作って待ってます』
 しばらく歩いた所で再びメールが届いた。
『君も気をつけて帰るんだよ。またあとでね。
愛してるよ、
 メールを読んだ は、くすっと微笑んだ。
 委員会が終わったあと廊下ですれ違った時に「気をつけて帰るんだよ」と言った彼を思い出して、くすぐったい気持ちになる。
 出逢った時から優しい不二だが、あの日を境にして以前より彼が優しくなった気がする。
 いや、優しいというより、甘く包んでくれるような、そんな感じだ。
 不二がより優しくなった理由に行き着いたは、ぼっと顔を赤らめた。
 昨夜の彼の姿をリアルに思い出してしまった。
「早く帰って、周助さんが帰るまでに支度しなきゃ」
 自分に言い聞かせるように声に出して、 は歩く速度を少しだけ早くした。



 チリ・コン・カンを煮ている間に、ミモザサラダを作って冷蔵庫へ入れる。
 そしてコンソメスープに取りかかった。
「うん、美味しくできた。周助さん喜んでくれるといいなあ」
 出来上がった料理を味見して呟いた。
 は料理が得意な方ではない。どちらかといえば苦手な部類に入る。
 けれど、不二と同棲するようになって約7ヶ月。もともと手先は器用だったので、料理の腕は目に見えて上達してきていた。もっとも、あまりにも難しい料理はできないが。
 の目標は、不二の好物であるケイジャン料理のフルコースを作れるようになること。なので、日々努力して頑張っている。
「周助さん、そろそろ帰ってくるかな?」
 ダイニングテーブルにテーブルマットを敷いて、カトラリーを並べた所で壁掛け時計を見た。
 時刻は18時47分。不二のメールが届いてから50分程経っていた。
「どうしよう。お茶でも飲んで待ってようかな」
 そう口にしたと同時にチャイムが鳴った。この鳴らし方をするのは彼だけだ。
 は笑みを浮かべて、スリッパの音をさせながら、不二を迎えに出た。
「周助さん、おかえりなさい」
「ただいま、
 扉を開けて顔を覗かせた に、不二は微笑んで可愛らしい唇にキスを落とす。
  の白い頬が一瞬にして淡く色付く。
「近所の人に見られちゃうよ」
「クスッ、そんなの今更でしょ」
 教師と生徒が同棲しているなどと露見したら、大変な騒ぎになることは間違いない。
 だが、用意周到な彼に抜かりがある筈はなく。
 1月末にこのマンションに越して来た際、不二は を連れて近所に引っ越しの挨拶に行った。
 その時にしっかり根回しをしておいたので問題ない。

 婚約者同士がキスしていても、なんら不自然ではないのだ。

 だからと言って、周囲に露見するようなミスを冒す不二ではない。
 周辺に人がいないことなど確認済みだ。


、料理の腕がまた上がったみたいだね」
 その言葉に はパッと明るい笑顔になって。
「ホント?ふふっ、嬉しい」
 本当に嬉しそうに笑う に不二はクスッと笑って、再びチリ・コン・カンに手を伸ばした。
 たわいのない話をしながら、楽しく食事をしてから数分。話題が料理から夏休みに移った。
「今年天文部の合宿はないんだって?」
「そうなの。楽しみにしてたんだけど、合宿所が取れなかったんだから仕方ないわ」
 天体観測をするのが好きな は、毎年部活の合宿を楽しみにしていた。
 彼女の所属する天文部では、夏と冬、年二回の合宿がある。
 けれど、合宿所を取れなかったのなら、夜に活動する部としては、危険を考慮して中止せざるをえないのだ。
 拗ねた顔でサラダを口に運ぶ に、不二はにっこり微笑む。
「ねえ、 。終業式の翌日から二泊三日で旅行だから、支度しておいてね」
「しゅ、周助さん?旅行って?」
 は驚きに胡桃色の瞳を瞠った。
を連れて行ってあげたいなって思ったから」
「そういうことじゃなくて、どうしてそんなに急なの?」
「今日決めてきたから」
「え?今日?」
「うん、今日。天文部の合宿がなくなったって、もっと早くわかっていたらよかったんだけどね。君も今日顧問から聴いたんでしょ?」
「うん。もっと早く言ってくれればいいのにって思ったわ。今年は夏合宿の日程がでないから、もしかして…とは思っていたけど。でも、合宿がないことと旅行って何か関係あるの?」
 考えてもわからないなら、直接聴いた方が早い。
 そんな彼女の思考が手に取るようにわかる不二は、クスッと微笑んだ。
 訊きたいことや言いたいことを素直に言葉にできる。そんな彼女がとても愛しい。
と一緒に観る星はキレイだろうなって思ってね。春先に写真集を見て言ってたでしょ。だから、ちょうどいいかなって」
 その言葉に は花が咲いたようにふわっと微笑んだ。
 春先の――の誕生日に不二がプレゼントしてくれた、星空の写真集。
 それを見て言った時の言葉を彼は覚えていてくれた。
 ――N県の夏の夜空ってキレイなのね。まだ行ったことないから、行ってみたいなあ。今年の夏合宿、ここになったりしないかしら?
 あまりにも星空が美しくて、写真集を食い入るように見ていた。
 だから、 は知らない。
 その時の不二がとても優しい笑顔で を見つめていたことを。




 Sweet Summer Time




「涼しいね、周助さん」
 列車を降りると、肌に心地いい風が吹き抜けた。
 昼を過ぎたばかりで太陽は空の頂点にある。そのため日射しはきつい。けれど、湿度が低いからなのだろう。東京よりも涼しい。
「ああ、そうだね。よく晴れているし、星空もキレイに見えるよ」
「うん、すごく楽しみ。 ね、周助さん」
「なに?」
 胡桃色の瞳を不二に向けると、彼は首を傾けた。
「これからどこに行くの?」
 星を観られるということばかりに気を取られていたので、昼間はどこに行くのか聴いていなかった。
 そのことに今気がついた。
「そろそろ迎えが来る筈なんだけどね」
 腕時計に目を遣ってそう言った不二は、色素の薄い瞳で周囲を見渡した。
 すると、一台の乗用車がこちらへ来るのが見えた。
「あ、来たみたいだ。行こう、
 状況がいまいち理解できていないが、とりあえず、差し出された手に自分の手をのせた。
 不二は の歩調に合わせて歩いて、銀色の車の前で足を止めた。
 そこには、背の高い一人の男性が立っていた。
「不二。久しぶりだな」
「うん、久しぶり。元気にしてるみたいだね」
「ああ。お前も元気にしているみたいだな」
  が親し気に会話をする二人を不思議そうに眺めていると、不二が片腕で細い身体を抱き寄せた。
「周助さん?」
 首を傾けて不二を見上げた。長い髪がサラリと流れる。
「その人がお前の?」
「そうだよ。僕の婚約者のさん」
 フフッと笑う不二に手塚は苦笑して、切れ長の瞳を僅かに和らげた。
 話には聴いていたが、それを目にする日が来るのは思わなかった。
 いや、おそらく不二は結婚式に自分を呼ぶだろうから、遅かれ早かれ知ることになるのは間違いないが。
 どうして二人が付き合うことになったのか、その経緯は知らないが、知りたいとは思わない。
「そうか。 じゃあ、そろそろ行くか」
「そうだね。  、おいで」
 不二は頷いて、 の細い手を引いた。
 手塚の運転する車に乗って30分後、目的地へ到着した。
 余談だが、車内では不二が好き勝手に手塚のことを話題にしていて、手塚の眉間には深い皺が刻まれていた。もちろん がそんな手塚にに気がつく筈もなく、 は楽しそうに不二の学生時代の話に耳を傾けていた。
「どうする?すぐに支度しておくか?」
「そうだな… がちょっと疲れているみたいだから、しばらく休んでからにするよ」
「ああ、そのほうがいいだろう。 俺は様子を見に先に行っているから、いつでも構わない」
「ありがとう、手塚」
 ペンションの玄関前で別れて、二人は従業員に案内されて部屋へ足を向けた。
 手塚はペンションから二軒分程離れた場所にある、小屋へと向かった。
 案内された部屋で、お疲れでしょうから、とオーナーが淹れてきてくれた疲れを取る効能があるレモングラスのアイスハーブティーを飲みながら、二人はしばらく話をしながら休息を取った。


「ここすごく広いね」
 不二と手を繋いで草原を歩きながら、 が感嘆するように言った。
 一面に緑の芝生が広がる景色は、都会で見ることはできない。
「こういう所で乗馬とかしたら気持ちよさそう」
 ふふっと楽しそうに笑う に、不二はクスッと笑った。
「君ならそう言うと思ったよ」
「え?それってどういう――」
 意味なの?と、続く筈の言葉は、次第に近付いてくるものを瞳に捕らえて、音にならなかった。
 胡桃色の瞳を驚きで丸くする の所へ、手塚と二頭の大きな馬がゆっくり近づいてくる。
 一頭は雪のように白い色をした馬で、もう一頭は栗毛色の馬。どちらの馬も乗馬に最適とされる、中間種の馬。
「いいタイミングだね、手塚」
「ああ、お前たちの姿が見えたからな。いちおう二頭連れて来たが、どうする?」
の気に入った馬にするよ」
 不二は馬に魅入っている の、繋いでいる方の手を軽く引いた。
 それにハッと気付いた の胡桃色の瞳が、馬から不二へ移る。
「なに?周助さん」
「どうする?」
 訊かれて、 は首を傾けた。
 不二はそんな彼女にクスッと笑う。
はどっちの馬がいい?」
「え?どっちって言われても…」
「どちらの馬もおとなしいから、安心して好きな方を選ぶといい。二頭とも力があるから、十分に二人乗りできる」
 困ったように眉を寄せる の耳に、低めの穏やかな声が届いた。
 手塚の言葉を耳にした は、胡桃色の瞳を瞠った。
「え?二人で乗るの?てっきり一人で乗るのかと思ってた」
 勘違いに淡く染まった頬を隠すように、白い両手を頬に添えた。
 すると、長くしなやかな指が胡桃色の髪を優しく梳いて。
「うん、僕と でね。だから、好きな馬を選んでいいよ」
 その言葉に は思わず不二の顔を見つめる。
「周助さん乗馬もできるの?」
 運動神経がいいことは知っていたが、まさか乗馬までとは思わなかった。
 しかも二人乗りができるのなら、腕前は相当なのだろう。
 不二はフフッと笑って頷く。
「それで はどっちがいい?」
「うーん…白馬も憧れるけど、栗毛色のコがいいな」
「だってさ、手塚」
「わかった。俺はスノウを連れて戻るから、あとは任せるぞ」
 栗毛色の馬の手綱を不二に渡して、手塚は白馬を連れて馬小屋へ戻っていった。
「ねえ、 。どうしてヒュークを選んだの?」
 馬の頭を優しく撫でながら、気になっていたことを訊いた。
 不二は がスノウを選ぶと思っていたから がヒュークを選んだのは意外だった。
「瞳が穏やかで可愛かったから。それにね…周助さんと二人乗りするなら白馬じゃない方がいいなって思ったの」
「その理由、教えて欲しいな」
 そう言うと、 はかあっと顔を赤く染めて、恥ずかしそうに不二から視線を逸らした。
「童話に出てくる王子様って白馬に乗ってるでしょ?でもね、周助さんには私だけの王子様でいて欲しいなって」
 消え入りそうな小さな声が耳に届いた。
 不二は驚いたように色素の薄い瞳を瞠って、ついで嬉しそうに笑った。
「だからヒュークを選んだんだ?フフッ、可愛い」
 不二は瞳を僅かに細めて、 の細い身体を片腕で抱きしめた。
 彼女の耳元へ唇を寄せて囁くように告げる。
、僕にしっかり捕まっててね」
 それに頷くと、不二は を抱えたまま騎乗した。
 騎乗してから引き上げるより難しそうなことをやってのけた不二に、 は「周助さんてやっぱり天才なんだわ」と意味のよくわからないことを思った。


 を前方に乗せ、その細い身体を守るように腕を回して不二は手綱を持っている。
 ヒュークはおとなしい馬なので、脅かされたり、目の前に動物が飛び出てこない限り暴れたりしない。
 けれど危険なことがあってはいけないので、 は不二にしっかり捕まっている。
「すごいキレイな風景ね。周助さん、写真撮りたいんじゃない?」
 真っ青な空に広がる草原。
 鮮やかに咲く野花。
 連なる山々。
 カメラが趣味で、人物より風景を撮ることが好みな不二なら、きっと撮りたいと思っているに違いない。
「フフッ、そうだね。でも今はいいよ。キレイな景色の中で を独り占めしていたいからね」
 一瞬での白い頬が赤く染まった。
 胸の鼓動がどんどん早くなる。
「しゅ、周助さん。湖とかってないの?」
 どうしていいかわらなくて、誤摩化すように口にする。
 するとクスクス笑う声が聴こえた。
「小さいけど、キレイな場所があるよ」
「そこ、行ってみたい」
「フフッ、いいよ。 、僕にしっかり捕まってるんだよ。走らせるからね」
「うん」
 コクンと頷いて、不二にギュッとしがみつく。
 それと同時に、ヒュークが走り出す。
 景色が流れて見える。スピードは出ていないので、景色を楽しむことができる。
 乗馬が初めての を怖がらせないように、と不二が気遣っているからだ。
 森林の中の道を駆け抜け、緩やかな丘を駆け上る。
 不二は小高い丘の頂上でゆっくり馬を止めた。
「わあ。すっごくキレイ」
 開けた視界の先に、太陽の光が射し込む小さな湖が見えた。
 水が澄んでいるのは、自然の創り出した湖だからだろう。
「夕方だと湖に夕陽が浮かんで、もっとキレイなんだよ」
「そうなの?私も見てみたいな。満月の夜とかに」
 不二は色素の薄い瞳を僅かに開いたあと、小さく吹き出した。
 なんとも らしい答えだ。星や月を観るのが好きな彼女 らしい。
「夕方はいいけど、夜は危ないから を連れて来てあげられないよ」
「やっぱりダメ?」
 拗ねたように唇を尖らせる にクスッと笑って、胡桃色の長い髪を優しく梳く。
「夜はダメだけど、夕方だったらいいよ」
 夏でも山の近くであるこの場所は、街中より日が暮れるのが早い。
 あと2時間ほどすれば、辺りは黄昏色に染まるだろう。
 けれど――。
「明日の夕方、見に来よう」
「え?どうして?待ってればいいのに」
「夏でも夕暮れの風は冷たいからダメだよ。大事な が風邪でも引いたら大変だからね」
「…きっと連れて来てね」
 渋々と納得した に不二は色素の薄い瞳を僅かに細め、大きな手で白い頬に優しく触れた。
「約束するよ」
 優しく甘い声に「うん」と頷く。
 不二はクスッと小さく笑って、可愛らしい唇に蕩けるように甘いキスを落とした。



 その夜――。
 満天の星空を観るのを楽しみにしていた は、不二の腕に包まれて幸せそうな寝息を立てていた。




END

『綾瀬ちゃんは周助くんと乗馬ね』と、まりんちゃんに決められたので(笑)
しっかりと”不二センセイ”でアダルティなカンジに書かせていただきました。
チャットに参加していた皆様に押し付ける約束でしたので、押し付けます(笑)
【Anjelic Smile】 Ayase Mori


ってコトで、皆様に押し付けました(笑)チャット開催の度に誰かにSSを押し付けてますね^^; 迷惑極まりない。
手塚の設定→手塚の彼女の両親がペンションを経営していて、長期休暇の際に彼女はそれを手伝っています。手塚も彼女に合わせて休暇を取って、ペンションの手伝いをしつつ彼女と休暇を過ごしています。
周助は遊びに来ては手塚をからかっているようです。周助が馬と親しい理由はこれです。
手塚の馬の扱いが上手いのは、彼女のために努力したのと、馬が好きになったからです。多分。


BACK