腕の中の温もり




 肌寒い風が頬を撫で、流れていく。
 その風に攫われた胡桃色の長い髪を細い指で押さえた。
「暗くなってきたから、気をつけて帰ってね」
 首を傾けて柔らかく微笑む。
「はーい。 ありがとうございました」
 元気よく笑って、中学生の女の子は帰って行った。
 その姿を見送って、 は家の中に戻った。
 暮らし始めて5カ月目の新居は、まだかすかに木の香りが残っている。
「寒いから、今夜はポトフにしようかな・・・」
 ピアノの鍵盤をポロンと鳴らしながら呟く。
 部屋の中は暖房を入れているから、それほど寒くはない。
 けれど、今夜は一段と冷え込むと今朝の天気予報で言っていた。
 家の中で仕事をしている自分と違って、彼は寒い中を仕事から帰宅する。
 それを考えると、やはり温かいものにしようと思う。
 ちなみに の仕事は、趣味の延長にあるようなものだ。
 そう言うと周助が怒るので、口にはしないけれど。
 でも、ピアノの楽しみを知って欲しいという願いを形にできたのは、彼がいたから。
 あの時、彼に出逢ったから、今の自分がいる。
 そう思っている。

 は鍵盤の上に柔らかな赤い長布をかけて、ゆっくり蓋を閉めた。
 さきほど帰った生徒が最後で、今日のレッスンは終わりだ。
 キッチンに向かおうとして、 は立ち止まった。
 玉葱と人参がなかった。それを思い出した。



 足りない食材と必要な食品を近くのスーパーへ買いに行って帰宅すると、あたりはすでに暗くなり始めていた。
 11月中旬でも、陽が暮れるのは早い。夕方になったと思うと、すぐに夜になってしまう。
 切った野菜とソーセージを弱火で煮込みながら、 は時計に目を遣った。
 もうすぐ彼が帰宅する時間だった。
 くすっと小さく笑って、様子を見るために鍋の蓋を開けた瞬間。
「えっ?」
 突然、雨が激しく降り始めた。
 ざあざあと激しい雨音があたりに響く。
「周助、大丈夫かしら?」
  が心配そうに眉を曇らせる。
 駅に電車が着いたばかりだったらいいけれど、歩いている途中だったらずぶ濡れになってしまう。
 ただでさえ寒いのに、雨が降ったら気温はぐっと下がる。
 お風呂を沸かしておいたほうがいいかもしれない。
 そう考えて は風呂場に向かおうとした。
 だが――。
「きゃああっ!」
 大きな雷の音が響いたのと同時に、周囲が暗闇に包まれた。
 瞼を開けた は突然の暗闇に驚いて、胡桃色の瞳を瞠った。
「やだ・・・もしかして停電?」
 危なくないようにガスの火を消す。
 そして赤い光が見える場所に移動した。そこに常備灯がある。
 スイッチを入れると、小さな明りが暗闇を照らし出した。
 その明りを頼りにブレーカーのある廊下に向かった。
「・・・つかない?」
 落ちてしまったブレーカーを上げても、明るくならない。
 もしかしてと思い、リビングへ行き、外に視線を向けた。
 家の中と同じように真っ暗だ。外灯さえもついていない。
  はごくんと息を飲んだ。
 どうやら先程の大きな雷が原因で、このあたり一帯が停電らしい。
「・・・しゅう・・・」
 停電になっても暖房をつけていたため少しは温かい。
 けれど、冬の夜。しかも土砂降りの雨。体温が瞬く間に奪われていく。
  は震える身体を自らの腕で抱きしめた。
 毛布でもかけて少しでも暖を取ろうと考えた時だった。
 雨の音に紛れて、雫が落ちる音が聞こえる。
 空耳かと思ったが、それは段々リビングに近付いてくる。
 まさか泥棒?
  は瞳をぎゅっと瞑って身を固くした。
「・・・ ?」
 耳に届いた声に、 は泣き出しそうに瞳を細めた。
 突然の雨に雷。極め付けに停電。
 自分では気がつかなかったが、張り詰めていたらしい。
 周助はリビングから洩れるわずかな光に、そこに がいるのだとわかった。
、ただいま」
 顔を見せて優しく微笑むと、小さな身体が飛び込んで来た。
「おかえりなさい、周助」
、濡れるよ」
「あっ・・・」
 周助の言葉に、雨が降っていたのだと思い出す。
  はすぐに身体を離したが、すでに遅かった。
「クスッ。 も着替えた方がよさそうだね」
「そ・・・くしゅん」
  のくしゃみに周助の色素の薄い瞳が細められる。
 いつまでもこのままでは自分も彼女も風邪を引いてしまいかねない。
 電気がいつ復旧するかわからないから、濡れた身体を拭いて着替えるしかできない。
「タオル持ってくるね、周助」
「いいよ、 。僕も一緒に行くから」



 寝室で濡れた服を脱いでバスタオルで身体を拭いた。
 それから40分ほど経ったが、まだ暗闇は続いている。
 は重い溜息をついて、周助にもたれかかった。
 二人はリビングのソファに並んで座って、毛布に包まっている。勿論、一緒に。別々にいるよりは温かいが、火の気がないと寒い。
 夕食はロウソクをつけたりして取って、少しは身体が温まった。
 けれど、温かかった身体もこうも寒くては、あっという間に冷えていく。
「周助」
「ん?なに?」
「私はあったかいけど、周助は寒くない?」
 もたれかかった自分を周助は腕の中に抱きしめてくれた。
 周助が抱きしめていてくれるから、 はとてもあたたかい。
 けれど、これでは周助が寒いのではないだろうか。
 そう思って訊くと、クスッと笑い声がして、優しいキスが頬に落とされた。
「大丈夫だよ。僕もあたたかいから」
「・・・私も周助をあっためてあげられたらいいのにな」
 赤く色付く唇から溢れた言葉に周助は一瞬だけ瞳を瞠って、それから瞳を細めた。
「方法ならあるよ」
 そう、たったひとつだけある。
  が周助をあたためられる方法が。
「どんなの?」
 きょとんと首を傾けて訊いてくる の耳に、周助は唇を寄せた。
 その方法を耳元でそっと告げると、 の白い頬が真っ赤に染まった。
 それがとても可愛くて、周助は愛おし気に瞳を細めて を見つめる。
「僕を の体温であたためて欲しいな」
「周助・・・」
「もちろん は僕があたためてあげる。朝まで…ね」
 熱く囁きながら、周助は柔らかな唇に深いキスを落とす。
「・・・ん・・・しゅう・・・」
 ゆっくり唇を離すと、 は熱く深いキスに甘い吐息を零して、潤んだ瞳で周助を見つめた。
、いい?」
「・・・ん・・・でも・・・」
 頬を真っ赤に染める の言いたいことを読み取って。
 周助はクスッと笑うと、華奢な身体を抱き上げた。
「ソファの上じゃ君をゆっくり愛してあげられないから。続きはベッドで…ね」
 朝まで僕をあたためてね、――。




END

森島まりんちゃんに捧げます。
キリ番報告はいただいてるんですが、いくつだったのか解らなくなりました(汗)
『周助くんと同級生ヒロイン。新婚さんで、寒い夜だけど2人で寄り添ってたらあったかい、
みたいな雰囲気の甘いもの。ほんのりアダルトだと嬉しいかも』
というリクエストをいただいて書いたら・・・ほんのりアダルトを超える寸前に(苦笑)
でもまあ、表には置けるよね。あはは・・・。←笑って誤摩化す。
お気に召していただければ、もらってやってください。

2006.07.22 / 森 綾瀬

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