空は突き抜けるように青く、柔らかな陽射しが窓から注いでいる。
 春らしくていい天気と言えるのだが、この陽気は眠気を誘う。
 教師に見つからないように、はチラリと斜め後ろに視線を向けた。
 すると案の定、船を漕ぎ出す寸前の友人の姿があった。
 やっぱり・・・。
 昨日も夜遅くまで練習していたようだし、今朝も朝練をしているから疲れているのだろう。
 加えて、この心地よい陽気では眠くなるのも仕方ない。
 教師の様子を窺うと、まだ黒板に数式を書き写している最中で振り返る様子はなかった。
 シンと静まり返った教室で友人の名前を小声で呼んだが、やはり眼を覚ます気配はない。
 はペンケースから定規を取り出して、腕を伸ばすと友人の腕を突付いた。
「・・・っ!?」
 少し強めに突付いたのが功を奏したのか、寝ていた友人はバッと顔を上げ周囲を見回す。
 彼の瞳が苦笑しているの顔を捉えた。裕太は彼女の顔から起こしてくれたのだと悟る。
 バツの悪そうな表情をしながらも、裕太は声に出さずに礼を言った。




 世界で一番好きな人




「さっきはサンキュ。助かったぜ」
 学校からの帰り道、と並んで歩きながら裕太は声に出して礼を言った。
 放課後の部活が今日は休みなので、これから不二家にお邪魔することになっている。
 初めに誘われたのはで、裕太は家に帰る気はなかったのだが、兄に「裕太、をエスコートしてきてね」と笑顔で言われてしまった。
 裕太が知る限り、兄は人や物に執着を持たないのだが、恋人であるをことのほか大切にしているのを知っているし、なにより断ったあとを考えると少し恐かった。
「ううん。先生に見つかる前でよかったね」
 6限目の数学を担当している教師は、授業で寝ていた者に宿題を出すという厳しい教師だった。それを裕太も肝に銘じていたのだが、睡魔に勝てなかった。
「ああ。それよりお前、思い切り突付いてくれたな」
 裕太が二の腕に手をやり、渋面を作る。起こしてくれて助かったが、突付かれた痛さは相当だった。
「一回で起きてくれなかったら先生に見つかるかも、って思ったの。ごめんね。まだ痛い?」
 すまなそうな瞳でが見上げてくる。
「いや痛くはない。その・・・オレが寝たのが悪かったんだ。お前が謝る必要ねーよ」
 ふいっと裕太がから視線を逸らす。ぶっきらぼうな言い方は彼が照れているからだということを、周助より裕太との付き合いの長いはわかっている。
「うん」


 学校を出て不二家に着いたのは、少し日が翳ってきてからだった。
 夏が近いので太陽が沈むのは遅くなったが、それでも夏よりは太陽が沈むのは早い。
 チャイムを鳴らそうとしたを裕太が止めて、裕太はテニスバッグから鍵を取り出して玄関の扉を開けようとした。
 だが、裕太が鍵を出すより早く、玄関の扉が開いた。
、久しぶり」
 扉を開けた人物が、嬉しそうに微笑む。
 周助は腕を伸ばすと、の華奢な身体を引き寄せ抱きしめた。突然の抱擁にの頬が瞬く間に赤く染まる。
「兄貴、そういうことは部屋でやれよ」
 僅かに顔を赤く染めた裕太が呆れたように言うと、周助は色素の薄い瞳を細めて弟を見た。
「裕太もいたんだっけ。ごめんごめん」
 悪びれた様子を微塵も見せない兄に、裕太は溜息をつく。
 明らかにからかわれているのがわかって、怒る気が失せた。
 ここで食って掛かってもあしらわれるのが関の山。それならば怒る分だけ疲れるというものだ。
 少し前までは怒るのが普通だったが、本気で相手をするのもバカらしいと悟ってきていた。
「兄貴がをエスコートして来いって言ったんだろ。約束は守ったからな。オレは帰る」
「僕はいいけど、裕太が困るんじゃない?」
 玄関の扉に手をかけた裕太が、兄を振り返る。
「オレは困らない」
「朝練にマネージャーがいなくても?」
「なっ・・・!」
 兄の言葉に裕太の顔が真っ赤に染まる。
 周助は裕太がうろたえるのを予想済みだから驚かない。むしろ楽しんでいるように、クスッと笑う。
「冗談だよ。裕太が観月に怒られるのは可愛そうだからね」
「兄貴にからかわれるより観月さんに怒られたほうがマシだ!」
 そう怒鳴ると同時に、裕太は家を出て行ってしまった。
「しゅ、周助先輩、裕太君怒ってましたよ」
 いまだに抱きしめられたままのが心配そうな瞳で周助を見上げる。
「クスッ、大丈夫だよ。本気で怒ってないから」
「そう…ですか?」
 あまりそうは見えなかったが、裕太の兄である周助が言うのならそうなのかもしれない。
 ただ本気で怒っていなくても、怒っていたのは確実だが。
「それよりも、また先輩って呼んだね」
 周助が切れ長の瞳を細めて、腕の中に閉じ込めたを見つめる。
「ご、ごめんなさい。まだ慣れなくて・・・」
 恋人に名前で呼んで欲しいと言われたのは、付き合って間もない頃。
 けれど、は呼び捨てすることができなくて、先輩をつけて呼んでいた。それから一年が過ぎて、周助から呼び捨てで呼んで欲しいと言われた。
 だが、ふとした折に「先輩」と言ってしまう。特に人前だとそう呼んでしまうことが多い。
「ダメだよ、慣れてくれなくちゃ」
「ごめんなさい」
 謝ると、クスッと笑う声がして。
にはお仕置きが必要かな」
 甘い声で囁いて、周助はの唇に甘いキスを落とす。
 軽く触れただけのキスだが、の頬は林檎のように赤く染まった。
 そんな彼女が可愛くて、周助は口元を上げて微笑んだ。
「キスだけじゃ終わらないから、覚悟していて?」
 追い討ちをかけるように、の耳元で甘く囁く。
 それがどういう意味を持つのか瞬時に理解して、の頬が更に赤く染まる。
「・・・フフッ、嘘だよ」
「えっ?」
 驚いて顔を上げたの瞳に映ったのは、笑いを堪える恋人の顔。
 からかわれていたのがわかって、は頬を膨らませてそっぽを向く。
「周助のばかっ!知らないっ!」
 少し期待してしまった自分が恥ずかしくて、顔がまともに見られない。
 それを隠すために怒ったふりをしたのだが、周助にそれがわからない筈がない。
 彼女のこういうところが可愛くて、ついからかってしまうのだから。
 ちなみには周助の言葉のどこまでが真実なのかを図る術がないので、結果、周助の望むがままになっている。
「僕はのこともっと知りたいんだけど?」
 恋人が逃げられないように更に抱きしめて囁く。
「・・・・・・周助はズルイ」
 そんなに熱い瞳で見つめられたら、降参せざるを得ない。
 周助にからかわれるのは、本当は嫌じゃない。
 ――僕は好きなコをからかいたくなるクセがあるから・・・。
 そう彼が言った時、はそれでもいいと言った。
 からかわれても周助が好きだから、隣にいたい。
 それに、からかうのも彼の愛情表現の一部だと思うから。
「仕方ないよ。が好きで好きでたまらないんだから」
 柔らかく微笑んで、さらりと甘い言葉を口にする。
 は周助の胸にぽすんと顔を埋めた。
 彼の顔を見ながらではとても言えそうにない。
「・・・私も周助が好き」
 の小さな声に、周助は嬉しそうに瞳を細めて。
「愛してるよ、
 少し掠れた声で囁いて、周助はの細い身体を軽々と抱き上げた。
 そして、そのまま自室へ向かったのだった。




END

サイト移転企画にて、「裕太君とクラスメートで不二先輩と付き合っている。甘々傾向で。
裕太君と一緒に不二先輩に構われちゃうような感じで」というリクエストを氷桜真珠さまよりいただきました。

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