Last Chance 見上げた空は、どこまでも青く広がっている。 浮かんでいる白い雲が青空に映えていて、気分を高揚させる。 そう、今日でなければ…。 数人のグループ、友人同士、あるいは一人の人もいるけれど、今日を境に着ることがなくなってしまう制服姿で正門から出て行く。 校舎を振り仰ぐ顔は人それぞれで、淋しそうに見ている人もいれば開放されたような顔をしている人もいる。 もうここで、学校で会うことはないんだと改めて思うと、胸が張り裂けそうだ。 彼が好きだと気がついたのは、夏の太陽が眩しいテニスコート。 それからずっと彼を見ていた。 彼の隣にいられたら、あの微笑みが自分だけに向けられたら、どんなに幸せだろう。 そう思ったのは、一度や二度ではない。両手両足の指では到底足りない。 だけど、あと一歩を踏み出すことができない。 「今日で最後…」 呟いて、は黒い瞳を閉じた。 ある時、乾に言われた言葉が蘇る。 ――あいつはいいのか? 肯定も否定もできなくて、ただ沈黙で返した。答えることができない質問だったから。 けれど、表情を取り繕うことなど出来なくて、乾の言葉に隠された意味を肯定したのも同じだった。 乾が気づいているのなら、彼自身は当に気づいているだろう。彼が直接言わないのは彼の優しさなんだろう。 だが乾は何も言わず、まるで励ますようにの頭をポンと叩いて去っていった。 撮りたくないわけじゃない。 だって出来るなら撮っている。 けれどダメなのだ。 練習や試合に集中してボールを追って走る彼の姿は撮れる。 でも、彼の瞳が、何もかもを見透かされそうな切れ長の瞳に見つめられると動けなくなる。 ファインダーを通して見ているのは彼。彼が見ているのはファインダー越しの私の瞳。 自意識過剰だと言うのは誰に言われなくても、自分が一番わかっている。 他の人は平気で、彼の隣に誰かがいるなら平気なのに、彼一人だけだと緊張してしまう。 「ちゃん!」 不意に名前を呼ばれてハッとなった。の瞳に人懐こい笑顔を浮かべた菊丸が映る。 今日で最後だから皆で写真を撮ろうと誘われ、写真を撮ってくれる人を探している最中だった。 テニス部のマネージャーでも部員でもない部外者が一緒でいいのだろうかとは迷った。 けれど大石が言ってくれた。 「ずっと応援してくれたじゃないか。俺達は仲間だよ」 「だよね」 「うん」 菊丸と河村がそう言って、手塚と乾が無言で頷く。 そしての好きな人――不二は、首を傾けて微笑んだ。 それが数分前のこと。 「探してきたよん。写真部部長の酒井君。適任っしょ?」 「任せてください、先輩」 片目を瞑って笑う菊丸と瞳を輝かせる写真部の後輩を見て、は心臓が跳ねた。 この後輩には不二が好きだということを知られている。無論、自分で言ったわけではなく、気づかれてしまったのだが。 「では撮ってもらうとしよう。だが…」 乾は言葉を区切って眼鏡をキラリと光らせた。 「のネガから焼き増しをしたら…わかっているな?」 「わかっていますよ!」 「そう怯えるな。念の為に言っただけだ」 けれどそれが言葉だけでないことを酒井は知っているので、絶対にしないと念押しした。 そしてのカメラを使い、卒業証書を手にした先輩たちの姿をフィルムに納める。 シャッターを切る音を数回響かせて、酒井は構えていたカメラを下げて笑みを見せた。 「ばっちり撮れました!」 そう言っての手にカメラを渡して、「先輩、卒業おめでとうございますっ!」と言うと、走り去った。 その背中に「ありがとー!」と菊丸が声をかける。 「…、彼にありがとうと伝えておいてくれ」 「俺からもお願いするよ」 「俺からもありがとうと伝えてくれないか?」 「俺も頼むとしよう」 さっさと立ち去った後輩のことを詫びて、手塚と河村と大石と乾には頷いた。 「僕は直接言いたいから、さん今度付き合ってよ」 微笑む不二には黒い瞳を瞠った。 「ダメかな?」 少し眉を寄せる不二には慌てて首を横に振る。 ダメだなんてことがあるはずない。 もう逢えないと思っていたのに、また逢える機会ができたのだ。 頷く以外に答えはない。 「フフッ、よかった」 色素の薄い瞳を細めて微笑む不二に、の心臓がドキンと跳ねる。 彼の優しい笑顔が好き。 落ち着いた口調で話す彼が好き。 時々見せる、熱く燃える瞳が好き。 私を見つけて手を振って笑ってくれる彼が好き。 テニスをしている真剣な瞳と姿が好き。 三年間で積み上げられた『好き』という気持ちに際限はない。 今また彼を好きになった。 「ところでさん」 「はい?」 「僕を撮ってくれないかな?」 「えっ?」 「君に撮って欲しいんだ」 「…うん」 は一呼吸分置いて、にっこり微笑む不二に頷いた。 一呼吸分開いたのは、緊張の為。心を落ち着ける時間が必要だった。 「えっと…どこがいいかな?テニスコート?正門前?あ、花壇の前かな?」 「クスッ、ここでいいよ。都合がいいから」 「都合?」 「フフッ、なんでもないよ」 不二の笑みに隠されたことを読み取る術がないは訝しげに思いながら、それならいいけど、と言った。 滅多なことで本心を見せないということも、彼を好きになって知った。 だから、彼は見た目と違う人だということもは気づいている。 知りたいけど知りたくないことはわからないけれど。 ファインダー越しに見る不二の瞳はまっすぐこちらを見ていて、緊張にカメラを持つ手が震える。 それを深呼吸してなんとか落ち着けた。ほんの僅かでもブレの原因となる。 決めていた。 彼を撮れる日があるなら、最高の写真にしたい、と。 そう決めていた。 まっすぐにこちらを見て柔らかく微笑む不二をカメラに収めて、はファインダーから目を離した。 「ありがとう」 数歩先にいる不二は礼を言うとのところへ歩みよった。 「お礼に僕が君を撮らせてもらっていいかな?」 一瞬、何を言われたのかわからなかった。 「君の写真が欲しいんだ」 「私、の?……て?」 喉の奥で絡まって声にならない。 やっと言えた言葉でさえ、震えていた。 「さんが…が好きだからさ」 ストラップがなかったら、驚いて手を離したカメラは地面に落ち壊れていただろう。 嬉しさと驚きと信じられない気持ちと様々な感情がせめぎあい、は固まって動けなかった。 息が止まり、心臓の鼓動が早さを増していく。 「……う?」 の唇から出たのは、声にならない声だった。 掠れた涙声だったが、不二の耳には届いていて、彼は頷いた。 「うん。ずっと君が好きだった…今も好きだよ。だからずっと僕の隣にいて欲しい」 「僕と付き合ってくれるよね?」 それは確認ではなく、確信のようだった。 「…はい、喜…んで…」 「ありがとう」 そう言いながら、不二はの細い身体をぎゅっと腕の中に閉じ込める。 なにが起こったのかすぐにはわからなかった。 彼に抱きしめられているとわかって、恥ずかしさがこみ上げてくる。 けれど、包まれた腕の温かさと重なる鼓動が嬉しくて、は不二のコートの胸元をきゅっと握り締めた。 「…好き。不二くんが好き」 囁くように言うと、抱きしめる腕の力がわずかに強くなった。 「僕も好きだよ」 耳元で甘く囁かれて、かあっと頬が熱くなる。 クスッ、と小さく笑う声が聞こえて顔を上げると、不二は嬉しそうに微笑んでいた。 「…」 名前を呼んで、不二は切れ長の瞳を細めた。 また少し、鼓動が早くなったような気がする。 「ハッピーバースデイ」 が驚きに瞳を瞠るのと不二の唇が柔らかな頬に触れたのは同時だった。 不二はの頬にキスをして唇を離すと、首を傾けてフフッと笑う。 「誕生日おめでとう。今日は君の誕生日なのに僕がプレゼントをもらったみたいだけど」 「…私の誕生日、知って…?」 「知らないわけないだろ。好きなコが生まれた大切な日なんだから」 本当はずっと言いたかったけど、校内で言うと騒ぎになるから言えなかったんだ。 毎年君が祝ってくれるのに僕は言えなくて…意気地なしだよね。 自嘲気味に笑う不二にはそんなことない、と首を横に振った。 「私も同じだから…」 好きだからあなたの瞳に見つめられるのが恥ずかしくて、一人で撮らせてと言えなかった。 だから…。 言葉に詰まってしまったに不二は小さく笑って。 「知ってたよ。が恥ずかしがり屋なのは…ね」 「不二くん…」 「周助って呼んでよ、」 「…周助」 「うん、なに?」 「なにって…周助が呼んでって言ったじゃない」 拗ねて頬を膨らませ、見上げてくるに不二は微笑んで。 「うん。呼んで欲しかったんだ」 不二はの頬を両手で包んで、可愛い唇へ甘いキスをした。 「…っ、しゅ…ここッ…」 「君は僕のもの、って宣言しなくて済むだろ?」 都合がいいから、と言った彼の言葉はこのことだったのかとがわかったのは、気持ちが落ち着いた翌日のことだった。 END いつもお世話になっている千波矢さんのお誕生日祝いに。 2008.03.03 BACK |