出会ったのは偶然。
 別荘を抜け出して、近くの森へ遊びに行った時だった。
 森の外れにあった小さな花畑で、小さな女の子が花を摘んでいた。
 華奢な小さい手にピンク、オレンジ、黄色など色とりどりの花を持っている。
 ふたつにみつ編みされた黒い髪を揺らして、楽しそうに笑っている。
「だれ?」
 耳に届いた鈴を転がしたような可愛い声に、少年はハッとした。
 少女がとても楽しそうだから、知らないうちに魅入ってしまっていた。
「あなたもおはなをつみにきたの?」
 少年が口を開くより先にそう言って、少女が愛らしく小首を傾げる。
「ぼくはおさんぽしてたんだ。おはなきれいだね」
 少年がにっこり笑うと、少女は満面の笑みを浮かべた。
 少女は嬉しそうに笑いながら、ピンク色の花を一輪少年に差し出す。
「はい、あげる」
「いいの?」
 色素の薄い瞳を丸くして驚く少年に、少女がこくんと頷く。
「うん」
「ありがとう」
 花を受け取って少年が笑うと、少女はにっこり笑った。




 Clover




 陽射しを弾いて、新緑色に染まった木々の葉が緩やかな風に揺れている。
 木の葉が擦れるサワサワとした音、時折小鳥たちのさえずりが聴こえる。
 呼吸をすると、緑の薫りが鼻腔をくすぐる。
 雲ひとつない青空の下、球場が三つ入る程の広大な森林公園を、二人は手を繋いで歩いていた。
 今日は祝日だが、桜の季節が過ぎてしまったからか、周囲を見渡しても人は数える程しかいない。
「空がすごく眩しい」
 不二と繋いでいない左手を額にかざし、は空を見上げた。
 明るく眩しい光に、黒い瞳を僅かに細める。
 彼女の横顔に不二はクスッと小さく笑った。楽しんでくれているようでよかった。
 本当は昨日――の誕生日である28日に来られたらよかったのだが、平日なので学校がある。
 授業が終わり放課後になっても試合に向けての練習があり、ゆっくり過ごせる時間は取れない。
 朝練前にの家に迎えに行き、「誕生日おめでとう」と言って、プレゼントを渡しただけ。
 放課後の練習後は部活が終わり待っていてくれたを家まで送り届けたけれど、これは毎日のことだから。
 は何も言わないけれど、寂しい想いをさせていることには気がついていた。
 だから誕生日は過ぎてしまったけれど、部活がオフの今日、をデートに誘った。
 今日を逃したらゆっくりデートできる機会はないに等しい。
「いい天気でよかったね」
「うん。ピクニックなんて久しぶりだし、昨日から楽しみにしてたの」
「僕も楽しみにしてたよ」
 会話を楽しみながら公園内を歩いていく。
 しばらく歩くと眼前に大きな池が見え始めた。
 ゆらゆら揺れる水面に太陽の光が反射して輝いている。
「ボートなんてあるのね」
 柵などの囲いがない池のほとりに二箇所桟橋のようなものがあり、そこに数隻のボートがあった。
 誰でも乗れるようになっているらしく、池にはボートに乗っている人たちがいる。
、乗ってみない?」
「え、でも、私漕いだことないよ」
 顔に乗りたいけど、と書いたが困ったように不二を見上げる。
「大丈夫だよ。僕が漕げるから」
 もし彼女が漕げたとしても漕がせるつもりは微塵もないが。
 不二はボートに乗り込みバスケットを置くとに手を差し出した。
、掴まって」
「途中で離さないでね?」
「もちろん」
 伸ばされた華奢な手を不二が取ると、はボートへ乗り込んだ。
 瞬間、少し揺れたボートにが小さな悲鳴を上げたが、揺れはすぐにおさまった。
 不二はを先に座らせてから、オールのある側へ座った。
 オールを漕ぐと、ボートはゆっくり桟橋から離れていく。
「…周助くんなんだか慣れてるね」
 ボートを漕いでいる不二に、がぽつりと呟いた。
「そう?普通だと思うけど」
「…嘘。誰かと乗ったことあるんでしょ」
 白い頬を膨らませてフイッとそっぽを向くに、不二はクスッと笑った。
 妬いているのだと一目でわかる表情も可愛い。
「ないよ。以外の女の子とは、ね」
 その言葉を聞いて、は見るからにホッとした。
「よかった。……ごめんね、周助くん」
 上目遣いで謝罪され、思わず抱きしめたくなった衝動を堪えて不二はいいよ、と微笑んだ。
 彼女に触れたいのに触れられないのはもどかしい。
 は無意識でやっているから仕方ないけれど、あとで責任を取ってもらおう。
 そう心に決めて、不二は再びオールを動かした。

 池の反対側までボートで向かい、二人はそこでボートから降りた。
 そして、先ほど歩いていた遊歩道から見えた花畑へ向かう。
 遠目からは花があるらしいことしかわからなかったが、こうして目の前で見ると美しさは格別だった。
 キンセンカ、サクラソウ、デージー、スターチスなど色鮮やかな花が交じり合って咲いている。
「あっ、クローバーが咲いてる」
 白い花が咲いているのを見つけたは弾んだ声を上げてそちらへ走っていく。
 彼女のその姿に、不二は切れ長の瞳をいとおしげに細めた。
 あの日と変わらない笑顔がそこにある。
 手招きで呼ぶにクスッと笑って、不二は彼女の傍へ歩いて行く。
「たくさん咲いてるね」
 うん、と頷いて、は目元を和ませた。
「小さい頃、シロツメクサで花冠を作って遊んだわ」
 懐かしいなと呟いて、いつだったか作った花冠を誰かにあげたことを思い出した。
 4歳か5歳の頃、家族で親戚の別荘がある避暑地へ行った時のこと。
 どこだったか場所は忘れてしまったけれど、とてもキレイな花畑があり、そこで一人の男の子に会って、滞在していた間、毎日一緒に遊んだ。
 翌日帰ることになっていたは、一緒に遊べなくなるのがとても寂しくて、花畑で泣いていた。
 泣いているに男の子は「はなかんむりをこうかんしようよ」と笑顔で言ってくれた。
?」
 ひょい、と顔を覗きこまれて、はハッとした。
 いけない。つい想い出に浸ってしまっていた。
「なに?」
「それは僕が聞きたいな。微笑みながら何を考えてたの?」
 その言葉にはギクリとした。
 まさか初恋の想い出を思い出していたとは言えない。
 どうしようと焦るの予想を裏切って、不二はクスッと笑った。
「僕もシロツメクサで花冠を作ったことがあるんだ」
 そう言って微笑んだ不二と想い出の中の男の子の笑顔がぴたりと重なった。
 入学式で不二を見た時、すごく似ていると思ったのは他人の空似ではなく、本人だったからだ。
「周助くんがしゅうくんだったの…」
「だから君が告白してくれた時、すごく嬉しかった。僕のことを覚えていてくれたんだなって。でも君は『しゅうくん』と気づいてくれたわけじゃなくて、でも『僕』を見てくれているってわかったから、複雑だったんだよ?」
「…鈍くてごめんなさい」
 恨み言のような睦言に他に言葉が見つからない。
 情けなくて穴があったら入りたいと思う。
 恥ずかしさで真っ赤に染まった顔を見せたくなくて俯いていると、クスッと笑う声が聴こえて。
 ぎゅっと抱きしめられてしまった。
「鈍いところも全部――好きだよ」
 真っ赤に染まった顔を上げると、優しく微笑む不二と目が合った。
 真っ直ぐに見つめられて、どきん、と心臓が跳ねる。
「あ、あの…」
「なに?」
「そ、そろそろ離して…」
「クスッ、どうしようかな」
「しゅ、周助くんっ!」
 耳まで赤く染めてうろたえるに、不二は口元を上げて微笑んで。
「もう少しこうしていたいな」 
「誰かに見られたら恥ずかしいよ」
 言いながら、が逃げ出す気配はない。
 それが照れ隠しであるのをわかっている不二は、抱きしめている腕の力を強くした。
「…君だけが好きだよ」
 耳元で囁くと、私も好き、と小さな声が届いた。
 顔を近づけると、黒い瞳が恥ずかしそうに閉じられる。
 不二はクスッと笑って、柔らかな唇に甘いキスをした。
「…も、いこ?」
 かあっと頬を染めて目を合わせてくれないに不二は愉しそうに笑って。
「もう少しだけ、こうしてたいな」
 そう言って、の前髪にそっと口付けた。




END

色々お世話になっている千春様のお誕生日祝いに。

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