rareness ― case of Fuji (Teduka ver) ―




 吹き抜ける冷たい風に、街路樹から落ちた紅葉した葉がカサカサと音を立て転がっていく。
 朝から気温は低く、昼になってもニ、三度上がった程度で肌寒い。


 三階建ての白い建物の玄関前に一台のタクシーが止まった。
 車から降りたのは若い男女で、寄り添い合う二人は仲睦まじく、一目で親密な関係であることがわかる。
、気分は?」
 タクシーから降りて、周助はまずそう訊いた。は乗り物にあまり強くない。長時間でなければ酔わないというのは知っているけれど、今は彼女の体調が万全ではないから周助は気が気でない。
「大丈夫よ。短い時間だったし」
 緩く首を傾げて微笑むにホッとし、周助も笑みを返した。
 二人がいるのは都心からはやや離れた都内の産婦人科医院で、周助の学生時代の友人である大石が紹介してくれた病院だ。の妊娠がわかった時に相談したら、大きくない病院で女医がいいというの希望に合うところを探してくれた。
 の手を取って病院へ入り、受付を済ませる。家を出る前に連絡をしていたからすぐに終わり、病室へと案内された。
 一通りの説明をし、看護師は病室から出て行った。
 二人きりになった病室でたわいない話を少しばかりした頃。
「あ、ねえ、周助。腕時計借りていい?忘れてきちゃったの」
「うん、いいよ」
 頷いて、ベージュのコートのポケットから銀色の腕時計を取り出す。がバースデイプレゼントにくれたもので、普段から愛用しているものだ。いつもは左腕につけているそれをつけていなかったのは、忘れそうになって慌ててポケットに突っ込んだからだった。
「ありがとう」
「…痛みの間隔、短くなってきた?」
 陣痛の間隔が短くなると出産間近なのだ。
「うん、短くなって……っ」
 痛みに眉根を寄せるを見て、周助は自らも痛そうな顔をした。

 腹を押さえるの手に手を重ねて包むくらいしかできないのがはがゆい。
「…だいじょう、ぶよ」
 とても大丈夫そうには見えないが、どうすることもできない。
 時間にしてたぶん二分ほど経過した頃、に名前を呼ばれた。
「そろそろ、かも」
 曖昧な言い方だったけれど、それだけで周助はわかった。
「うん」
 の代わりに部屋のナースコールを押した。



「旦那さんはここまでです」
 病室から分娩室前まで付き添ってきた周助は、看護師に言われて足を止めざるをえなかった。
 扉の上にある【分娩中】表示が赤く点等すると、鼓動が速さを増した。
…」
 檻の中の白くまのように、廊下を意味もなくそわそわと落ち着きなくうろつき回る。
 分娩室から時々漏れ聞こえるの苦しそうな声が、よりいっそう周助に落ち着きをなくさせた。
 は大丈夫だ、と落ち着こうと努めても、剥がれ落ちていく。
 しばらくして、周助は立ち止まった。
 ふと思いつき、コートの右ポケットから携帯電話を取り出した。ここでの携帯電話は禁止かどうかを確かめる余裕が周助にはなかったけれど、幸いにして禁止の場所ではなかった。
 メモリーに残る目当ての電話番号を選んで、電話をかけた。
 ツーコール目で呼び出し音が切れる。
「どうした、不二」
「なんでもないんだけど。 明日晴れるかな?」
「12度らしい」
 一瞬の沈黙が落ちる。先に口を開いたのは手塚だった。
「……まだなのか」
「うん、まだだよ」
 落ち着きがない周助は、意味もないのに手塚に電話して、それに手塚が驚かずに付き合ってくれている不思議に気がつかない。実は、周助がタクシーを呼ぶ電話をし、そのあと不二家にかけた電話から周助の友人たちに連絡網で回っていたのだった。
「一週間くらいかな?」
 何のことを言っているのか手塚にはわからなかった。けれど、周助に落ち着きがないことだけはわかる。
「……だと思うが」
 何のことだと訊くのを躊躇った手塚は、どうにでもとれることを言った。肯定でも否定でもなく、曖昧な言葉。
 それに、と思う。
 不二は気を紛らわせたいのだろう。



 もうすぐ麻酔が切れて目が覚める、と言われたの傍に周助は寄り添っていた。
「……
 額にかかる前髪をそっと梳き、愛しい人の名前を呼ぶ。
 出産が終わるまでの落ち着きのなさは見る影もなく、周助は落ち着きを取り戻していた。
 のこととなると落ち着きがなくなることはままあったけれど、あれほど落ち着かないことは初めてだった。
 思い出すとちょっと情けないような気もして、わずかに苦笑いをした。
 の顔を見つめていると、瞼がかすかに動き、ゆっくりと開かれる。

「周助」
 顔を覗きこんで名前を呼ぶと、はホッとしたように微笑んだ。
「お疲れ様、
「…ううん」
 はほんのり頬を赤く染めて、首を横に振った。
 彼女の照れたような、はにかむ微笑みに心が温かくなる。
、ありがとう」
「…っ、…周助…」
 は黒い瞳を潤ませて、両手で口元を覆った。
 周助は眦から落ちる涙を指で優しく拭って、瞳を細めて微笑んだ。
「愛してるよ、
「…わたしも――」
 が愛の言葉を囁くより先に甘く優しく唇が重なって、幸せなキスに愛してるの言葉が溶けて消えた。




END

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