FILL




 教室に入るときは、決まって後ろ側のドアから。座席が一番後ろという理由は一昨日からのもので、それ以前の理由は好きな人の席が後方だったからだ。
 は教卓の正面列の一番後ろの席に座った。彼女は新しい席から右隣の無人の席にちらりと視線を向けた。この席の人――不二はまだ来ていない。
 テニス部は朝練があるし、運動部だから着替えなきゃだし、先に来てることは滅多にないし、仕方ないよね。
 胸の内で呟いて、こっそり溜息をついた。



 久しぶりの席替えで、一番後ろの席に決まって嬉しいと思ったのもつかの間、移動してから教卓正面の列だったことに気がついて、少し嫌だなあと思った。なんとなくなのだが、授業中に指されることが多いような気がしたから。
 けれど、右隣の席に決まった人を知って、そんな気持ちは吹き飛んだ。
「よろしく、さん」
 そう言って柔らかく笑ったのは、が片想いしている人――不二周助だった。
「こ、こちらこそ」
 不二くんが隣なんて夢みたい。どうしよう、嬉しい。


 翌朝。が教室に入ると不二が来ていた。
 本を読む姿も素敵だな、なんて見惚れながら席まで行くと、
「おはよう」
 にっこり微笑みながら挨拶されて、心臓が跳ねた。どきどきと高鳴る鼓動が不二に聞こえてしまわないか心配になる。
「…おはよう、不二くん。早いのね」
「早めに部活が終わったんだ。 あ、さん」
「なに?」
「髪に葉っぱがついてるよ」
「どこ!?」
 どこだろうと慌てて空いている手を髪にやると、すっと腕が伸びてきた。不二の手だと理解したのとほぼ同時にそれは離れていく。
「取れたよ」
「あ、ありがとう」
 どこから葉っぱをくっつけたまま来てしまったのだろうという恥ずかしさと、不二が取ってくれたということにどきどきして、顔が赤くなる。
さんの髪、柔らかいね」
 笑顔で言われて頬が熱くなる。耳も熱い。
「だからついちゃったのかもね」
 不二はフフッと笑って、の髪から取った赤いモミジの葉を指先でくるりと回した。



 机に置いたバッグから教科書やペンケースを出しながら席替えした日のこと、昨日の朝のことを思い出し、顔が少し熱くなった。
 席替えがなかったら。
 不二が隣でなかったら。
 偶然と、運と。
 いろいろなものが重なった結果がこの席なのかもと思うと、嬉しさが増した。
 そして、いままでよりももっと、不二が好きになった。
「おはよう、さん」
「ふっ、不二くん。おはよう」
 ちょうど不二のことを考えていたから、声をかけられてどもってしまう。
「指、どうしたの?」
 不二は緩く首を傾げた。彼女の右手の人差し指と中指に絆創膏が巻かれている。
 は驚きに瞳を瞠った。目立たないように肌色の絆創膏を貼ってきたのに、気がつかれるとは思わなかった。ちらりと自分の右手を見て、再び不二に視線を戻す。
「今朝ね、サボテンを落としそうになっちゃって。慌てて手を伸ばしてサボテンは大丈夫だったんだけど、トゲが刺さっちゃって」
 心配そうに不二の色素の薄い瞳が細められるのを見て、は慌てて言い添えた。
「でもミニサボテンだし、トゲは小さいからそんなに痛くなかったし、全部抜いたし、大丈夫」
 不二がほっとしたのがわかり、もほっとした。
「不二くんはこんなことないだろうし、不二くんのサボテンは幸せよね」
さんのサボテンも幸せだと思うよ」
「えっ、落とされそうになったのに?」
「迷わず助けたんでしょ」
 確かにトゲが刺さるなんてことは考えなかった。落ちると思った時には手を出していた。サボテンを鉢ごとキャッチできたのはいいがトゲが刺さり、痛いのを我慢して慌てて安全なところにサボテンを置いて、ようやく息をついた。咄嗟のこととはいえ、素手でサボテンを掴んでしまうとは、育て始めた時には思わなかった。
「そ、それはそうなんだけど…」
「なら、幸せであってるよ」
 にこっと笑顔で断言されて、は「う、うん」と小さく頷いた。
「ところで、大きなサボテンは興味ある?」
 椅子を引いてそれに座った不二はに訊いた。
「うん。まだ家にないけど、大きいのも可愛いよね。お花とか咲いてるのを見るといいなあって思う」
 嬉しそうに言うに不二はクスッと楽しそうに笑った。
 チャイムが鳴ると同時にクラス担任がきて話は終わりになってしまったけれど、思いがけず不二とたくさん話せて嬉しかった。




「おはよう、不二くん」
「おはよう。ごめんね、急に」
 は首を横に振った。
 昨夜、不二から電話があって、明日会えないかと言われた時はびっくりして、声がでなかった。
 断る理由はなかったし、は喜んで承諾した。
「ううん、全然」
 休日にも逢えて嬉しい、と胸の内で呟いたは不二が手に持っているものに気がついて、黒い瞳を瞬いた。
 の視線に気がついた不二はにっこり笑って言った。
「誕生日おめでとう、さん」
「えっ」
「今日…10月25日は君の誕生日だよね」
「そ、そうだけど、どうして知って…・」
「クスッ、秘密。 それより、これを貰ってくれるかな?」
「嬉しいけど、でも、いいの?お花が咲いてるのに」
「だからだよ。ダメかなと思ったけど、今朝ちょうど咲いてくれたんだ。僕の気持ちが伝わったみたい」
「そうなの?不二くんサボテンに愛されてるね」
 楽しそうに笑うに不二はフフッと笑って、まるで天気の話をするかのように自然に言った。
さんにも愛されたいって思うけどね」
 驚いて声が出ないの耳に穏やかで優しい声が届く。
「君のことが好きなんだ。僕とつきあってください」
「――っ!」
 驚いて、嬉しさで胸がいっぱいで、声が出ない。
「……あの、……す…好き……私も……」
 俯きながらやっとの思いで告白すると、体が柔らかなものにあたった。
 目の前にはサボテン。顔を上げると嬉しそうに微笑む不二と視線が重なって、彼に抱き寄せられたのだと気がついた。
「ふっ、不二くん…っ」
「ごめん、嬉しくて。もうちょっとだけこうしていたい。いいかな、?」
「っ、……ん」
 蕩けるように優しい微笑みを浮かべて名を呼ばれたら、ダメなんて言えない。
 反則すぎる、不二くん。
 でも、とは火照った頬を緩めて、不二を見上げた。
「今までで一番幸せな誕生日よ。すごく嬉しい。ありがとう」
 色素の薄い瞳が答えるように細められて、こめかみに優しいキスが落とされた。




END



Dear.千春さん

Operaglasses10周年おめでとうございます!
これからも素敵なお話を紡いでいってくださいね。
一ファンとして応援しております(^^)

From.森綾瀬