白いモミの樹が夜闇にぼんやりと浮かんでいた。 樹を飾っているのは、金と青のテニスボール程の大きさの球、そして真珠のように小さい銀色の珠だ。派手好きな彼にしては控えめだと思ったけれど、「お前は好きだろ」と、フッと口元を上げて満足そうに笑う彼に小さく笑った。 特別な夜 目的の場所――跡部邸につくと、広々とした庭は眩い光に溢れていた。庭に植えられた木々の全てが白や青に輝いている。 駅前や街中のイルミネーションよりも豪華絢爛なイルミネーションに圧倒される。 「綺麗だけど…」 ちょっとやりすぎじゃないの? そう思ったが、彼らしいと思うと納得できる。 派手好きというよりパフォーマンス好きで、意外にもイベントが好きな彼がクリスマスを見逃す筈がない。経済力があり、なおかつ企画実行できる力があるから、街中以上のイルミネーションが可能なのだけれど。 真っ直ぐに邸に向かってしまうのはもったいないような気がして、は光で溢れた庭を眺め渡した。 しばらくそうして庭を眺めていると、不意に名を呼ばれた。声がした方へ視線を向けると、邸から出てくる人影が見えた。顔ははっきり見えないけれど、誰なのかは名を呼んだ声でわかっている。 「何やってんだ」 跡部は少し不機嫌そうな顔で言った。怒っているのではなく、子供が拗ねているのと大差ないだけというのをわかっているので、は軽く溜息をついた。仕方ないんだから、とでも言いたげに。 「庭を見てたのよ。綺麗だから」 「そんな事わかってる。俺様をいつまでも待たせるな」 「いつまでもって、まだ着いてから数分よ」 は黒い瞳に微かな剣を滲ませ跡部を見上げる。偉そうな言い方しか出来ないというのをわかっているけれど、反射的に言い返してしまう。 「俺様は朝からお前を待ってるんだよ」 その言葉には瞳を見開いて、ついでくすくす笑い出した。たまに素直な彼の言葉が可愛らしい。 跡部は小さく舌打ちして、の細い腕を掴み引き寄せる。そして彼女の顎を持ち上げ、柔らかな唇をキスで塞ぐ。 「……っ…見られたらどうするの!」 笑いを止める手段にすぎないキスだったのに、強引ではなかったことが嬉しくて、でもそんな事を言える訳がないから怒って誤魔化す。けれど、怒ったフリを彼は簡単に見抜いてしまう。得意のインサイトで。 「見せつけてやればいい」 口元を上げ不敵に笑い、柔らかな唇へもう一度素早くキスをした。 「け、景吾っ!」 振り上げられた華奢な手を頬へ届く前に捉えて掴む。 「そう簡単に殴られねぇよ」 面白そうにククッと喉の奥で笑う。 跡部に捕まえられた腕は簡単に解けないのを経験からわかっているが、少し癪だからは爪先で彼の足を軽く踏みつけた。 パーティ会場になっている部屋へ近づくと、ピアノの音が聴こえてきた。 華やかで楽しい曲。アレンジされているが、クリスマスソングだとすぐにわかった。 「……この音、もしかして鳳君?」 なんとなく聴き覚えのある音だったので、は隣を歩く跡部に訊いた。 「ああ。よく覚えているな」 鳳の弾くピアノの音をが耳にしたのはたった一度。今年の春先に彼の家のお茶会に招かれた時に聴いただけだ。 跡部は何度も聴いているからわかるが、が覚えている事に少し驚いた。 「はっきり覚えてるわけじゃないけど、好きな音だったから」 傍で聴きたいわ、と嬉しそうに微笑むに跡部は瞳を鋭く細める。 好き。 その単語が指すのは鳳が奏でる音にであって、彼に対してではない。 それはわかっているのに、ひどく心がざわつく。 「」 いつもより低い声は不穏な色をしていて、は何事かと首を傾けた。 「……景吾?」 「…いや、なんでもねぇ」 嫉妬なんてらしくない、と自らに言い聞かせるように胸の内で呟く。 「………ちゃんと言って。でなきゃわからないわ」 が跡部のスーツの左腕を右手でツンと引いた。 「らしくないから言わねぇ」 「頑固ね」 彼は言わないと決めたら絶対に言わない。それを知っているからはそれ以上の追及を止めた。 それに、たぶんだけれど、深刻な事ではないのだろう。 跡部はの言葉には答えず、彼女を連れて広間へ向かった。 二人が広間へ入った間際、ふっと演奏が止み、一斉に拍手が鳴り始めた。 「え?全然聴いてないのに終わり?」 はがっかりした顔で肩を落とした。春先以来で、音が聴こえてから楽しみにしていたのに。開始時間に間に合わせるように来たかったけれど、途中クリスマスプレゼントを取りに店へ寄ったから、間に合わなかったのだ。彼にプレゼントしたいと思った物が品切れで、店に届くのが昨日だったらよかった。けれど、絶対にこれだと決めていたから、もし事前に鳳が演奏すると聞いていても、買い物を優先しただろう。 「…そんなに聴きたかったのか?」 「ええ、綺麗で優しいもの。景吾もそう思うでしょ?」 「……なら、二人で聴かせてもらうか?」 「え?」 驚くの手を取って、跡部はピアノから離れて仲間たちと合流した鳳の元へ歩いて行く。先程はらしくなく妬いていたが、が望むなら叶えてやりたいと思う。 俺様が負けるわけがねぇ。 は俺のモノだ。だから奪わせない。 「鳳」 「跡部さん」 呼ばれた鳳が人懐こい笑みを向ける周りで、氷帝テニス部の面々が一斉に話し出す。 「跡部跡部、これおいCーよ」 「なんや跡部、遅かったな」 「よぉ」 「よっ、」 「ウス」 「一斉にしゃべんな」 跡部はわざとらしく溜息をつく。 「鳳に話があるんだよ。ちょっと黙ってろ」 鳳以外の面子は「はいはい」と適当に返事をして、自分たちだけで会話を再開した。 邪魔が入らない事を確認して、跡部は鳳に向き合う。 「なんですか?跡部さん」 「ピアノを聴かせてくれ」 「え?」 「ちょっと聴きそびれてな」 「と喧嘩でもしてたのか?」 「ちゃうやろ。跡部のことやからちゃんとイチャついてたんやろ」 「聞き耳立ててんじゃねぇよ、向日!忍足!」 鳳は先輩たちの茶々に小さく笑ってしまった。が、向かいにいる跡部に睨まれて笑いを止める。 「すみません」 「鳳君、嫌なら断っていいのよ。無理を言ってるんだもの」 鳳が返事をする前にが口を挟む。跡部は聴きそびれたと言ったけれど、自分のために彼が頼んでくれているのがわかったから。それに楽しそうに盛り上がろうとしていた矢先だ。その時間を邪魔してまでというのは申し訳ないと思った。 「いえ、そんなこと。いいですよ。ですけど…」 「ああ。ここは無理だから別室で頼む」 言いよどむ鳳の言葉の先を読み取って跡部は言った。ピアノは今違う人物が演奏しており、しばらくは空かない。だから、了承を得たら別室で聴かせてくれうように言うつもりだった。 広間から離れた一室、防音設備が整った部屋には一台のグランドピアノがある。鳳家にあるベーゼンドルファーではなく跡部家のはスタインウェイグランドピアノだが、名器という点では同じだ。 そのグランドピアノで奏でられたのは、シルバー・ベルズ、ホワイト・クリスマス、ウィンター・ワンダーランドのクリスマスソング。そして、チャイコフスキーのくるみ割り人形というラインナップだった。 演奏が終わると、は鳳に丁寧に礼を述べた。 「ありがとう、鳳君。すごく得しちゃったわ」 「いえ。喜んでもらえて嬉しいです」 「無理言って悪かったな、鳳」 「跡部さん…」 鳳は跡部の言葉に軽く瞳を瞠った。彼にしては珍しくて少し驚いたが、面と向かって「珍しいですね」とは言えない。 「いいえ。スタインウェイを弾けるとは思わなかったんで、嬉しかったです」 それから三人はパーティが続いている広間へと戻った。 夜空に輝く月が天高く上った頃、クリスマスパーティはお開きとなり、招待客はゆっくりと引けていった。けれど、はまだ跡部邸に残っていた。跡部がテニス部の面々に車で送ると言うので一緒に帰ろうとしたのだが、引き止められたので。 「、お前はまだ帰るな」 「どうして?」 の疑問には答えず、跡部は彼女の華奢な右手を左手で取り手を繋ぐ。 「こっちだ」 「もう、強引なんだから」 ぐいと手を引かれて抗議をするけれど、それぐらいで跡部は動じない。不遜この上ない行動。だが、歩く速度はに合わせているし、繋いだ手の力は包み込むように優しいから振り払えない。大切にされているのだと気がつくと頬が熱くなり、気恥ずかしい気持ちになる。 口を開いたら普段は言えないことを言ってしまいそうで、は跡部を見られない。 「どうした?」 「う、ううん、なんでもないわ」 は明らかに何か隠してますという顔をしているが、跡部は口端を僅かに上げてフッと笑っただけだった。彼女は長い黒髪を結い上げ左右の髪を少し残す髪型をしているのだが、そこから僅かに覗く耳がほんのり赤く染まっているのに気がついたからだ。 白と黒の菱形の柄を施した廊下で、二人の足音だけが聞こえる。邸の中はとても静かで、高鳴る心臓の音が聞こえてしまわないか心配になる。 跡部は邸の三階、一番奥にある部屋の前に着くとドアを開き、に中へ入るように促した。 繋いでいた手を解かれ部屋の中へ一歩入ると、白い光が目に飛び込んできた。けれど、すぐに明るさの正体は光ではないことに気がつく。 「真っ白なモミの樹…」 建物の中にあるとは思えない大きさの樹をは見上げた。葉も枝も幹も全てが真っ白なモミの樹を飾っているのは、金と青の球体、そしてキラキラ光る小さな球。 月明かり程の明るさしかない室内は薄暗く、それがモミの樹を幻想的に見せている。 「お前は好きだろ」 「……もしかして、私の好みにしてくれたの?」 「当然だ」 跡部はフッと不敵に微笑んで、華奢な身体を抱き寄せた。誘うようにの左頬に跡部の右手が触れる。求められるままに彼を映す黒い瞳を閉じると、噛み付くように唇を塞がれた。吐息が重なるキスに頭の奥がしびれ、足に力が入らなくなる。 「……」 「……け…っん」 唇が離れた僅かな間に呼ばれた名に応える前に再び塞がれる。酸素を求めて唇が離れた隙に口を開けば、キスは更に深くなった。 「ま…っ…も…」 息苦しさになんとか腕に力を入れて跡部の胸を押す。 跡部はキスをやめたが、腕の中に閉じ込めたは離さない。それは彼女が一人で立っていられなかったのと、離したくなかったからだ。 「…、俺だけのモノになれ」 耳元で囁かれたのと同時に、背中に回された腕の力が強くなった。 「……とっくに景吾のモノじゃない」 「少し鈍いってこと忘れてたぜ」 苦笑して、跡部は名残惜しげにを離す。右手をスーツのポケットに入れ、そこに入れたものを取り出した。 「こういう意味だ」 言いながら、の左手を取り薬指へ銀色の指輪をはめた。指輪には月を閉じ込めたような色をした宝石がついている。彼女の誕生石であるシトリンだ。 「……………」 「おい、。なんか言えよ」 彼女に好かれている自信はあるが、黙りこまれたら不安ではないか。 顔には出さないが、それなりに緊張だってしている。 「……バカ…プロポーズなら…ちゃんと言ってくれなきゃわからないわよ」 責めるように小さな声で抗議して、跡部の胸へ顔を埋める。 「…愛してる、。俺と結婚しろ」 こんな時まで「結婚してくれ」とか「結婚しよう」とか「結婚して欲しい」とかではないあたり、すごく跡部らしい。けれど、偉そうなのに不思議と嫌ではない。どんな言葉であっても、望まれているということが嬉しい。 「浮気は許さないわよ」 「バーカ。するわけないだろ。欲しいのはだけだ。お前以外いらない」 吐息とともに、耳元で甘く囁かれる。 「その証拠をこれから見せてやるよ」 蕩けるように甘く熱い声に白い頬が瞬く間に赤く染まる。 「も、もう帰らないと」 慌てて身体を引こうとするけれど、鍛えられた腕に押さえ込まれ適わない。 「帰せるわけないだろ」 離したくない、と囁かれ、さっと身体が抱き上げられた。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。 「ちょっ…誰かに見られたらっ」 「今夜は俺しかいないから安心しろ」 下ろしてというの要求を却下して、跡部はすたすた歩き出す。 跡部の自室に連れて行かれるまで、は恥ずかしくて恋人の胸に顔を埋めていた。その仕草が甘えているようで、部屋についたとたん跡部に火がつく要因となってしまったのだが、は知る由もなかった。 そして、特別な夜は殊更に甘く更けていった。 END 聖夜に7つのお題「02.特別な夜」 / 1141 様 BACK |