俺様でもキスは優しい




 放課後の教室が窓から差し込む夕陽でオレンジ色に染まる。
 窓から見える空は、優しい夕焼けの色に変わっていた。
 は読んでいる本から顔を上げ、黒板の上の時計に視線を滑らせた。時計の短針と長針は数字の6あたりを指している。
「……そろそろかしら?」
 今日はミーティングで、そのあと軽く自主トレをする。今朝、彼はそう言っていた。
 だから5時半頃に上がってくるかな、とは考えていた。
 は読書を切り上げることにし、読みかけの箇所に木の栞を挟んだ。美しい朱色の漆塗りのそれは誕生日に跡部から贈られたもので、使いやすく何より素敵なので気に入って愛用している。
 教室で待っていてもいいのだけれど、たまには迎えに行くのもいいかなと思い、本をかばんに入れては教室を出た。

 廊下に出来る自分の影を踏むように歩いて向かう先は、テニス部の部室だ。
 その途中、は見知った顔と会った。
ちゃんやないか。どうしたん?って訊くまでもないなあ。跡部なら部室におるで」
 何も言わずとも察せられてしまい、それが気恥ずかしくての頬がかすかに赤く染まる。
「ありがとう、忍足君。 忍足君も自主練?」
「ああ。 ほな、また明日」
「ええ、お疲れ様」
「おおきに。 あ、そや、ちゃん」
 すれ違った直後に名を呼ばれ、は足を止めて振り返った。
「なに?」
 緩く首を傾げるに忍足はにやっと笑って言った。
「部室で襲われんように気ぃつけ」
「なっ、…」
 絶句するに「ほんまやで」と言って、忍足はひらひら手を振って行ってしまった。
「…景吾が見境ないみたいじゃないの」
 呟いて、見境が全くないとは言い切れないかも、とは思ってしまった。
 不意に一昨日のことが脳裏に浮かび、の頬に朱が散る。はかぶりを振ってそれを振り払い、改めて部室へ足を向けた。
 男子テニス部正レギュラーの部室のドアを数回軽くノックする。
「誰だ?」
 ドア越しに聞こえた誰何する声は跡部だった。
「私」
 答えると、すぐにドアが開かれた。
 跡部はワイシャツを着ていたが、それのボタンがひとつもはまっていない姿だった。
「はめてから開ければいいのに」
 若干目の遣り場に困り、は視線を僅かに泳がせる。
「お前のタイミングが悪いんだ」
「はめる間くらい待つわっ――」
 言葉が終わらないうちに跡部に腕を引かれ、は部室へと足を踏み入れた。
 背後でドアが閉まる音がし、ついでガチャリという音が聞こえては瞳を瞠って跡部を見上げた。
「ん?なんだ?」
「…鍵」
「俺様が最後だから問題ない。 着替えるからそこで待ってろ」
 ソファを示されたのではそれに座った。部室にあるのは場違いなほど座り心地がいい。
「これ景吾の部屋にあるのと同じものかしら」
 跡部に訊くではない呟きだったのだが、静かな部屋での呟きは彼の耳に届いていた。
「ああ。そのメーカーが一番座り心地がいいからな」
 着替え終わった跡部は答えながら、との彼我を縮めた。
 跡部は彼女が座るソファの隣に座った。
「なんで景吾まで座るの?」
「立ったままじゃキスしにくいだろが」
「ちょっ、ここ部室じゃない」 
 抱き寄せられ、は頬をほんのり赤く染めた。
「昨日はおあずけだったんだ。これ以上待てるか」
 跡部は左手での柔らかな頬に触れ、右手で彼女の顎を上向かせた。
 ゆっくりと跡部の顔が近づいてくる。
「け、景吾っ」
、目を閉じろよ」
 吐息が唇を掠めて、は耳朶まで赤く染めた。
 俺様なんだからっ、と小さく抗議して、結局は瞳を閉じた。そんな彼女に跡部は小さく笑った。
 嫌ではないくせに中々素直にならないところが愛しい。

 好きだぜ、と囁いて唇が重なる。
 そのキスは俺様なのに優しくて甘く、思考が溶けていく。
 ………俺様なのに…
 一度離れ再びキスをしようとしていた跡部は、小さな声に動きを止めた。
 キスが優しいなんて反則だわ
「反則なのはお前のほうだろ」
 キスの合間の小さな囁き。それは心を煽るに充分過ぎる威力だ。
 ――どれだけ俺をお前に溺れさせるつもりだ
 そう胸の内で呟いて、可憐な唇にキスをする。
 先程とは違う深くて熱いキスには眩暈がして、溺れてしまいそうだった。



「さっき部室に来る途中で忍足君に会ったのよ」
「何を言われた?」
 声のトーンが僅かに下がったのを不思議に思い、は瞳を瞬いた。
「何って…」
 言いながら、の頬が赤く染まっていく。
 話題にするなんてバカじゃないの、と後悔しても遅い。
「…襲われないようにしろ、とでも言われたか?」
「どっ、どうして…」
「本当にそう言ったのか」
 跡部の瞳に不穏な色が浮かぶ。
「俺様に見境がないみてぇな言い方しやがって」
 見境がないとは言えないじゃないの、とは胸中で呟く。

「は、はい?」
「丸聞こえだ」
「えっ」
「驚くってことはお前もそう思ってるってことだな」
「…はめたわね」
 は跡部を睨むが効果はない。
 跡部はの右手を掴み、自分のほうへ引き寄せた。
「覚悟しておくんだな」
 甘い熱を含んだ熱い囁き。
 繋がれた手の力は強くないから振り払うことはできる。
 けれど。
「…やっぱりお前のほうが反則じゃねぇか」
「え?」
 視線を向けたのと同時、僅かに身をかがめた跡部に触れるだけのキスをされた。




END

ときめき10の瞬間【02.俺様でもキスは優しい】 恋したくなるお題様

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