十二月の花火




 風が窓ガラスを叩く音に、は読んでいた推理小説から視線を上げた。窓の外へ目を遣ると、風に枯れた木の葉が舞っていた。植樹された木々も風に煽られるように、しなっている。
「…すごい風…大丈夫かしら…」
 は心配そうに眉を寄せた。彼女の心配事は下校する際の強風にではなく、今部活中の彼の身を案じての事だ。不意の強風で巻き上げられた土が目に入っていたりしていなければいいのだけれど。
 ちょっと様子を見に行こうかな…。
 夏の全国大会が終わり、U-17の合宿が終わり、テニス部のマネージャーは引退した。けれど、三年生レギュラーだったみんなが部活に顔を出しに行くように、もまた時々だが顔を出している。は顔を出してもコーチができるわけではないけれど、現部長である海堂に「先輩が来るとやる気を出しやがる」とぼやかれてしまったら、顔を出したくもなる。なにしろ、やる気を出しやがると評されるのは、が付き合っている人なのだ。彼が普段からやる気がないわけではなく、いつも以上にやる気が上昇すると聞いたら嬉しいに決まっている。
 今日はクラスの友人に頼まれて、放課後に教室で勉強会をしていた。時間は数十分だったが、部活に顔を出すには中途半端な時間であったし、部活が終わるまで図書室で待っているつもりだった。でも、ここにいて心配しているより、直接見に行って確認したほうが安心できる。何事もなければ、だが。
 本に栞を挟んで鞄にしまい、隣の椅子の背もたれにかけた茶色いコートに袖を通す。鞄とワインレッドの紙袋を持って静かに図書室を出、テニスコートへ向かった。


 まだ風がおさまらずに吹いている中、風にあおられる髪を押さえて向かったテニスコートに、部員たちの姿はなかった。
「…終わりにしたのかしら?」
 考えられる答えを導き出すのに時間はかからなかった。
 この強風ではボールを使った練習をするのはまず無理だ。コーン練習やゾーンディフェンス練習をするのに強い風が吹いていたのでは、練習にならない。場所を移動して練習するにも、体育館は他の部活が使用中だ。
 部室の近くまで近づいたは首を傾けた。
 やけに静かだ。部室から声が少しも聴こえない。無言で部活後の着替えをする部員たちでないのを、はよく知っている。
 ではまだ終わりにしたわけではないのだろうか。
 体育館以外で部活を続けているとしたら、校内のどこだろう。
 筋トレ程度なら出来る広いところ……なんて、ないわよね。
 うーん、と首を捻ったは不意に左肩を叩かれ、驚いて思わず小さい悲鳴を上げた。考え事に没頭していたから、足音なんて気がつかなかったのだ。
「先輩、こんなとこで何やってんの?」
「越前くん!?」
 は驚きに瞳を見開いた。振り向いた彼女の瞳に映った越前が制服姿だったから。
 瞳を瞬くに越前は軽く首を傾げる。
「なんでそんなに驚いてるわけ?」
「だって、制服着てるから」
「ミーティングだったんだから、着替える必要ないじゃん」
「ミーティング?」
 呆然と言うに越前は口端を僅かに上げる。
「勘違いしてここに来たんだ?」
 ずばりと言い当てられて、は何も言えなかった。
「珍しいね、先輩。今夜雪でも降るんじゃない?」
「…降るとしたら明日よ」
 心配した私がバカみたいじゃない。
 格好悪いったらないわ。
 は無意識に越前から瞳を逸らし、軽い溜息をついた。
「ねぇ、何しに来てたのか教えてくんないの?」
「…気が向いたから」
「嘘ばっかり。ホント、意地っ張りだね。ま、そういうとこも好きだけど」
 反則だわ、とは胸の内で呟く。
 からかわれていたのに、さらりと好きと言われたら、素直に理由を口にしてしまいそうになる。
「帰ろ、先輩」
 越前は細い手を取って、指を絡めるようにして手を繋ぐ。軽く手を引かれて、は隣に並んで歩き出した。
 今では自分より目線が上になった越前の横顔を覗き見る。
 無口なところは出逢った頃から変わらないけれど、顔つきは少し少年ぽさが抜けてきたと思う。
「面白い?」
 不意に少し頭上から問う声には顔を上げた。言われた意味がわからず、問うように緩く首を傾ける。
「ずっと顔見てるみたいだから」
「あ、ごめんね。成長したなあって思って」
「なんか先輩に言われると複雑」
 顔を見て何を考えているかと思えば、成長した、なんて答え。
 ちょっとだけ期待してしまった自分がバカみたいで、越前はあてつけるように溜息をついた。
「……呆れてる?」
 恐る恐る訊くと、視線が向けられた。
「ちょっとね。でも、まだいいよ」
 今はそれでも、見てくれてるんだってわかるから、それでいい。
 けど、いつか――。
「成長した以外の言葉、期待してるから」
 不敵に笑う越前の瞳に茶化すような光は微塵もないけれど、まっすぐに射抜く力があった。
「………き、期待しないで待ってて」
 平静さを装って、そう言うのが精一杯だった。
 一瞬息をするのさえ忘れたくらい驚いて、今だって心臓がドキドキしている。繋いだ手から心臓の音が聴こえてしまわないか心配になるけれど、しっかり繋がれた手は頑張っても外れそうにない。
「あ、そうだ。今日遅くなっても平気?」
 話題が変わって、はホッと胸を撫で下ろす。もう一歩踏み込まれていたら、顔が真っ赤になっていたに違いない。
「平気だけど、どうして?」
 今日は越前の誕生日だ。だからクリスマスイブだけれど、クリスマスとは関係なく、彼の家で誕生日を祝うことになっている。
「先輩と見たいものがあるから」
「見たいもの?」
「うん。一緒に行きたいんだよね」
「どこへ?」
「秘密。話したら面白くないじゃん」
「…それもそうだけど、気になるわ」
 どこかへ何かを一緒に見に行きたい、とだけ言われて気にならない筈がない。
 けれど、は「教えて欲しい」とは言わなかった。訊いても答えるわけがないのだから。
 それに、楽しそうな顔をしている彼を見たら、訊かなくていいかと思った。
「ね、越前くん」
「なに?」
「クリスマスプレゼントに欲しい物ある?」
 バースデイプレゼントは左手で持っている紙袋に入っている。越前家に着いたら、お祝いを言って渡すつもりだ。
 けれど、バースデイプレゼントのことばかり考えていたので、クリスマスプレゼントのことを忘れていたのだった。
「名前」
「…………名前?」
 即答した越前には首を傾けた。
 クリスマスプレゼントに名前?
 考えてみたが、さっぱり意味がわからない。
「……もうちょっと詳しく言って貰える?」
「名前で呼んで欲しい。プレゼントなんだから断らないよね? ま、断らせる気なんてないけど」
「…そんなのでいいの?」
「んじゃ、もういっこ追加」
「えっ?追加?」

「――っ」
 不意に名前を呼び捨てされ、心臓が跳ねた。
 名前を呼ばれただけなのに、頬が熱くなる。耳も熱い。
「いいよね」
 その言葉が差すのはどれに対してなのかわからないまま、は反射的に頷いていた。



 冬空に赤や青の花が咲く。
 外はとても寒くて吐息は白く染まっていたけれど、十二月の花火も悪くない。
 隣に好きな人がいて、手を繋いでいてくれるなら。




END

聖夜に7つのお題「06.十二月の花火」 / 1141 様

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