待ち合わせはツリーの下で




 漆黒の夜空に無数の星が瞬いている。降るような星空だ。
 凍えるような寒空の下、微かに吐き出した吐息さえ白くなる寒さだけれど、繋いだ手が温かい。
 静寂に包まれた住宅街で、二人分の靴音が静かに響く。 

「送ってくれてありがとう」
 開いた唇から零れた息は白く染まり、静寂の闇に溶けて消える。
「どういたしまして」
 繋がれた手がそっと解かれ、少し寂しく思った。
「リョーマくん、明日遅刻しないでね」
「う…気をつける」
 遅刻しない、と断言しないのが彼らしい。
 はふふっと小さく笑った。
「じゃあ、また明日。 おやすみ」
「おやすみ」
 数秒の沈黙が落ちる。
「帰らないの?」
 越前が帰るのを見送ろうと思っていたは、動かない彼に首を傾げた。
が家に入ったのを見たら帰る」
「え、……」
 は驚きに瞳を見開いた。
「聞こえなかった?」
「聞こえた、けど…」
「けど、何?」
 意外だと言ったら怒るだろうか。それとも拗ねるだろうか。
「…なんでもない」
「だから、ばればれだって」
 少し呆れた顔で越前は溜息をついた。
「ほら、早く家に入って。 風邪引くし、危ない」
 は一瞬驚きに瞳を瞠って、ついで頬を緩めた。
「ええ。 気をつけて帰ってね」
「ん」
 玄関へ向かい扉を開けて振り返ると、こちらを見ている黒い瞳と目が合った。いつもクールな瞳が柔らかく笑っているのは、気のせいではない。ふわりと心が幸せに包まれる。
 嬉しさを胸に抱きしめて、もう一度「おやすみ」と言うと、彼から同じ言葉が返される。
 は緩く首を傾け微笑むと家の中へ入った。
 玄関のドアが閉まるのを見届けて、越前は踵を返す。
「…さむ…」
 呟いて、がくれた白いマフラーを巻きなおし、家路を急いだ。



 翌日の25日。
 クリスマス当日よりクリスマスイブが盛り上がる日本だが、一夜明けてクリスマスムードがなくなることはなく、今年は土曜日ということも相乗効果となっているのか、街中や駅前は多くの人で賑わっていた。
「ちょっと早かったかな……」
 腕時計で時刻を確認すると、待ち合わせの15分程前だった。
 彼と待ち合わせをする時、は待ち合わせ時間の5分前に来るようにしている。彼は遅刻してくることが多いから、待ち合わせ時間ちょうどに来てもいいのだけれど、身に染みたマネージャー感覚が抜けなくて、早めの到着となってしまう。もっとも、彼女の性格ゆえのこともあるのだが。
 幸いにして風はなく、待っていても寒くなさそうだと判断し、待ち合わせ場所であるツリーの下へ向かった。
 昨夜、遅刻しないでねと言ったから、待ち合わせ時間ちょうどか数分後には来てくれるかな、と考えていたは、ツリーの下に越前の姿を見つけた。
 リョーマくんが先に来てるなんて、雪が降りそう。
 胸の内で呟き、くすっと微笑んで歩を進めたは、3メートル程進んだところで瞳を瞠り、手近にあった何かの影に身を隠した。その影――柱時計には背を預けた。
 たったいま目にした光景に心臓が不自然なほど早鐘を打っている。
 どうして?
 なんで?
 疑問符ばかりがぐるぐると頭を回っている。
 行って確かめななくてはと思うのに、意思に反して体が動かない。
 冷静になって考えれば、自分の誤解なんじゃないかと思うのに、何か理由があるに違いないのに。

「――っ!?」
 俯いていたは名を呼ばれ、顔を上げた。
「リョ、マくん……」
「こんなとこで何してンの?」
「べ、別に、何も……」
 隠せてないっての、と口中で呟き、越前は盛大な溜息をつく。
 視線を感じ走らせた視界に、の後姿を見たのだ。彼女が見ていたのは間違いない。
 ――あっ!先輩!誤解しちゃったかも。ど、どうしよう、ごめんなさい
 焦ってオロオロする竜崎桜乃に、話せば大丈夫だからと言って、越前はが身を隠した柱時計までダッシュしたのだった。
「これ」
 越前に差し出された紙袋をは見つめた。これはさっき彼が桜乃から受け取っていた紙袋だ。
にって竜崎から預かった」
「えっ?私に?」
「そ。なのに誰かさんは勘違いして隠れるし。遅刻するなって言うから、驚かせようと思って早く来たのに来てくんないし。どう責任取ってくれンの?」
「ご、ごめんなさい…」
 私最低、とはきゅっと下唇を噛んで頭を下げる。
 勘違いでよかったことに安堵したものの、一瞬でも越前を疑ってしまった。桜乃が彼を好きなのを知っていたから、もしかしてなんて考えてしまった。
「……オレが好きなのはアンタで、欲しいのもアンタだから。忘れないでよ」
 頭上から降ってくる声が柔らかいから、は顔を上げた。瞬間、右頬をきゅっとつままれた。
 頬をつまんだ彼の手は数秒で離れた。
「オレの痛みはこんなんじゃないからね」
「…はい。 リョーマくんのこと、もっと信じるわ」
 言葉が終わるか否か、一瞬何かが唇を掠めた。
 呆然とするに越前は口端を微かに上げ、不敵に笑う。
「い、いま……」
 キス…、と小さな声では紡いだ。
 一秒にも満たない刹那だったが、確かに唇が触れた。
 ファーストキスにの顔が真っ赤に染まる。
「言っとくけど、責任とは関係ないから、ちゃんと取ってよ」
 そう言って、の手に紙袋を取らせる。
「オレ、向こうにいるから」
「え?」
「待ち合わせはツリーの下だったよね?」
 の返事を待たず、越前はツリーの下へスタスタ歩いて行く。
 それを数秒ぼんやり見ていたははっと我に返り、隠れていた場所から出た。
 ツリーの下に越前がいる。
 彼の視線はこちらをじっと見ている。
 いつか叶ったらいいなと思っていた光景。
 明日竜崎さんに会って、謝罪とお礼をしなくちゃ。
 は紙袋を抱えて、ツリーの下へ駆け出した。
「今日は遅刻しなかったのね」
「まぁね」
「次は?」
がモーニングコールしてくれたら遅刻しない」
「本当?」
「オレ、に嘘ついたことないけど?」
「ふふっ、そうね」
 今日の待ち合わせに遅刻しないと断言はしなかったけど、気をつけると言ってくれたし、なにより早く来てくれていた。
 けれど今、はっきり「遅刻しない」と言ってくれた。条件付きではあるけれど。
「なら、毎日モーニングコールする?…なーんてね、冗談」
「別に冗談にしなくていいじゃん。してよ、毎日」
「…それ、責任にしてもいい?」
「ダメ」
 間髪入れずに却下される。
「別の考えて」
「だって、思いつかないわ」
「なら、こんなのは?」
「どんなの?」
 首を傾げるに越前は愉しそうな笑みを浮かべた。
「今日一日、オレの言うことなんでも聞いてよ」
「なんでもは無理よ」
「じゃ、できる範囲でいいよ」
「あ、それなら…うん、いいわ」
「言質もらったよ」
 にっと笑う越前には早まったことを悟った。
「や――」
「やめてもいいけど、アテあるの?」
「…………ないかも。でも、もう少し考えたら」
「やだ」
「それは私のセリフなんじゃ…」
「オレのこと信用するんじゃなかったっけ」
 は言葉に詰まった。
 先程言ったばかりの言葉を言われたら、お手上げだ。
「…私がいいって思う範囲でって約束してくれる?」
「わかった。 けど、オレがしたいことはするから」
「は?」
「いいよ、気にしなくて」
「そう言われても気になるじゃない」
「あとでわかる」
 言って、越前はの右手を左手で取って、指を絡めるようにして手を繋ぐ。その仕草に彼女は焦った。手は、ただ繋いだことしかないからだ。
「イヤなの?」
「イヤなわけじゃ…」
 ただ恥ずかしいだけだ。
「ならいいじゃん」
 越前に手を引かれて歩き出す。
「………リョーマくん」
「何?」
 彼の黒い瞳が向けられる。
「あのね、もしテニス部の誰かに会ったらどうする?」
「別にどうもしない」
「え、手を離すとかしないの?知ってる人に見られたら恥ずかしくない?」
「あのさ、オレたちが付き合ってるの、テニス部全員知ってるってわかって言ってる?」
「ええ」
 頷くに越前は軽く溜息をついた。
「それでなんで恥ずかしいって思うの?」
「だってからかわれたりとか…」
「する奴がいたら叩きのめす」
 越前は不穏な発言をした挙句に笑っている。
 本気なのがわかって、は微苦笑した。
 苦戦しそうなのは、手塚と不二だろう。けれど、元部長の手塚はからかわないだろうし、不二は……。
「…不二君はどうだろ?」
 判断しかねて首を傾げたは、呟いていたことに気がついていない。
「不二先輩が何?」
「…声に出てた?」
「ねぇ、ちゃんと責任取ってくれる気あんの?」
 不機嫌さが宿る声に、は慌てて頷く。
「もちろん」
「なら他の男の名前、出さないでよね」
 繋いでいる手がぎゅっと握られる。
 まっすぐに見つめてくる、黒い瞳。
 は言葉の代わりに繋いだ手に少し力を入れて握り返した。



 やがて空が藍色に染まりツリーが赤や黄の光で煌く頃。
 二人は街中で桃城と菊丸と大石の三人とばったり出くわし、桃城と菊丸は大石が止めるにも関わらず後輩とマネージャーをからかった。
 翌日、は桃城と菊丸が越前にテニスでこてんぱんにやられたという話を乾から聞き、部長の海堂にテニス部員に忠告を頼んでおくことにしたのだった。




END

COUNT TEN.様(http://ct.addict.client.jp/)
定番クリスマス 1.待ち合わせはツリーの下で

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