忘れないで




「………今日も来ない…」
 昼休みの屋上で、テニスバッグを枕がわりにして寝転んでいる越前は拗ねたように呟いた。
 いつもならこの時間にはここへ来ている筈なのに、彼女は今日も来ない。
 会おうと約束している訳ではないけれど、部活以外の時間に会えるのを楽しみにしているのに。
 それなのに彼女は一週間前から屋上に来なくなってしまった。
 初めは用事でもあって来られないのだろうと思っていたから、それほど気にしてはいなかった。だが一週間ともなると、なぜだろうという疑問が浮かぶ。
 誰か――部の先輩たちが彼女を引きとめているのだろうか。
 それとも、アルバム製作委員会が忙しいのだろうか。
「………………なんで来ないんだよ、先輩」
 不機嫌を絵に描いたような顔で一人ごちて、空を見上げる。
 空は青く澄んでいて、秋晴れというにふさわしい。昼寝をするのにむいている天気だが、昼寝する気が起きない。
 こういう日に屋上で昼寝をするのが好きなのにその気にならないのは、彼女がいないからだ。
 睨むように空を見上げていた越前は、がばりと起き上がった。
 待っているだけなんてらしくない。
 来ないなら会いに行くまで。
 テニスバッグを左肩にかけて、越前は屋上をあとにした。



 3年3組の教室の開いていたドアから室内に目を遣る。
 窓際の前列の席にの姿があった。後姿なので顔は見えないが、周囲にいる友人であろうクラスメイト達の顔が楽しそうなので、談笑の最中だろうと思った。
 その輪の中で彼女が笑っているのかと思ったら、むかっとした。
 三年生の教室だろうと気にせずに教室へ入り、がいる所へまっすぐ向かう。
 近づいてくる越前に最初に気がついたのは、の友人だった。
、後ろ」
「後ろ?」
 振り向いたはいる筈のない人を瞳に映し、その瞳を驚きに見開いた。
 どうしてここに、と顔に書いたにかまわず、越前はの右手首を左手で掴む。
先輩借りてくよ」
「えっ、ちょっと、越前くん!?」
 手を引かれて思わずは声を上げる。
 だが、の友人三人に止める様子は微塵も無い。
「いいわよ」
「ごゆっくりどうぞー」
「いってらっしゃーい」
 三者三様に楽しそうな笑みを浮かべてと越前を見送った。
 は薄情者な友人たちを恨みがましく見たが、越前の手を振り払う事ができなくて、仕方なくついていった。
 越前の後ろを手を引かれて歩いていたは、彼が不機嫌そうに見えて口を開いた。
「………ねえ、なんだか怒ってない?」
「怒ってないっス」
 紡がれた言葉はあきらかに不機嫌で、嘘だというのがわかった。けれど、なぜ彼が不機嫌なのかわからない。
 越前が不機嫌な理由がわからないまま、重ねる言葉は余計不機嫌にさせてしまいそうで、は押し黙ってついていくしかなかった。
 無言のまま、二人は階段を上っていく。
 途切れた階段の先にある重い鉄の扉を越前が開く。手を引かれるまま、は屋上へ出た。
 屋上へ出る扉が閉まる音がやけに大きく響く。
「…なんで…なんで来ないんスか」
「え?」
 不意に耳に届いた声には瞳を瞬いた。
「一週間も経ってるのに」
 の手首を掴んだ手は離さずに、越前が彼女に振り返る。
 彼が入部した時、目線の高さは僅かに自分が上だったのに夏頃には彼が上になったんだっけ、と現状にはなんら関係ない事をふと思い出す。
「納得できる理由、聞かせてよね」
 そう言われて、いまようやく越前が不機嫌な理由にたどり着いた。
 けれど、に彼を納得させられる理由がある訳がない。
「ほら、私が来たら昼寝の邪魔になるでしょ。だから来ないほうがいいかと思って」
「先輩がいても俺は寝てるけど?」
「いや、ほら、ぐっすり寝たいかなって」
 だから来るのをやめたの、と笑うに越前の瞳が細められる。
「まだまだだね」
 フッと不敵に口元に笑みを浮かべる後輩に、はどきりとする。彼の顔にではない。見透かしたような瞳に、だ。
「そんなんで俺は誤魔化されないよ。本音を言ってよ、先輩」
「いやね。本音を言ってるわよ」
「先輩ってさ、嘘をついてる時、笑うんだよね」
 言われて、は一瞬ぎくりと身体を硬くした。しまった、と思ったがもう遅い。
「…よく見てるのね」
「まぁね。で、本音は?」
 どうやっても逃してもらえそうにない。
 は諦めたように溜息を零し、適わないな、と呟いた。
「……卒業したら忘れられるんだから、早い方がショックが少なくていいかと思ったの」
「忘れられる?」
 訝しげに繰り返す越前からは視線を外して瞳を閉じた。
「………………越前くんに」
 言ってしまった。言うつもりなんてなかったのに。
 卒業するまで気まずい思いをしないといけないのかと思うと切ない。
「今までの事、なかったことにするって言いたいわけ?」
 耳に届いた不機嫌そうな声には驚いて瞳を開いた。
「越前くん?」
 なぜ先ほどよりも不機嫌になってしまうのか、にはさっぱりわからない。
 彼の逆鱗に触れるような事を言ったのだろうか。
 いや、でも聞かれたから、言いたかった訳ではないけど、本音を言ったのに。
「勘違いしてるみたいだから言っとくけど、俺が好きなのは竜崎じゃなくて先輩だから」
 の瞳が驚きに瞠られるが、越前は気にせず言葉を紡ぐ。
「だから先輩を忘れるつもりないし、卒業してからだって会う気でいるんだけど」
 声は少し低くて不機嫌なのを物語っているのに、言葉だけが甘い。
「ねぇ、先輩」
 僅かに瞳を細めて越前が彼我を縮める。より近くなった距離に心臓が跳ねた。
 彼のまっすぐな瞳から目が逸らせない。
「おねがいはしてくれないの?」
「おねがい?」
「そ。俺は忘れないけど、先輩も言わないとフェアじゃないよね?」
 は白い頬をほのかに赤く染めて、越前から少しだけ視線を外す。
「……忘れないで」
 本当に言いたかった言葉は驚くほどするりと零れた。
 たった一言。本当の気持ちを言えた。
「じゃ、これからもよろしく、先輩」
 越前は満足げに笑って、の前髪に触れるだけのキスを落とした。




END

【SEIGAKU VICTORY FOREVER】企画提出作品
お題:「忘れないで」(配布元:「負け戦」様)

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