もう少しだけここに居てよ




 水で濡らした手拭いを堅く絞って、ベッドで寝ている後輩の額にそっと乗せる。
「……無理しないで」
 心臓止まるかと思ったのよ、と胸の内で呟く。声に出して言うわけにいかないから。


 放課後の練習が始まっても姿を見せない一年生レギュラー――越前をは探していた。
 始めに行ったのは屋上。越前は昼休みなど、屋上でよく昼寝をしているからだ。けれど、そこに彼はいなかった。次には教室へ行ってみたが、姿はなかった。彼のクラスメイトに越前を知らないかと訊くと、部活に行ったと教えられた。
 でも、部室には誰もいなかったわ。
 訝しげに思いながら、は教えてくれた生徒に礼を言ってコートへ戻った。
 念の為と思い、もう一度部室を覗いてみることにしたは、部室のドアを開けて瞳を瞠った。
「越前くん!」
 部室にあるベンチに越前が寝転がっていたのだが、なんだか様子がおかしい。
 は駆け寄り、越前の傍らにしゃがんで様子を見た。
 苦しげに眉を寄せているし、呼吸が荒い。
 もしかして、と思い額に手を当てると、ひどく熱い。
「手塚君に――」
 言わなくては、と立ち上がったが、連絡より治療する方が先だと思い直す。
 ジャージに着替えようとして学ランを脱いだところで具合が悪くなったのか、越前のワイシャツのボタンは幾つか外れている。は外れているボタンをはめなおし、床に落ちていた学ランを軽く手ではらってから、越前の身体にかけた。
「連絡する間ならこれだけでも…」
「…………い……」
 不意に越前の口から声が零れた。呻きのようなそれは聞き取れなかったが、微かに震える身体に寒いのかもしれないと思った。
「他にかけられそうな物は…」
 部室内を見回すが、かけられそうな物は見当たらない。保健室と違って毛布など置いていないのだ。どうしようと視線を落としたは必然的に自分の格好が目に入って、そうだと思いついた。
「ごめん、ロッカー開けるね」
 聞こえていないだろうけれど、一応断りを入れて越前のロッカーを開けた。中からレギュラーのみ着られることができる青いジャージを取り出す。
 ロッカーから出したそれを越前にかけてやり、は部室を急いで出た。
 部長である手塚に話をして、それから越前を保健室に連れて行くために人手が必要だ。越前はより身長が低いけれど、さすがに彼を抱え上げる力はない。病人を引きずることなく運べる部員に頼まなければ。


 保健室に連れて行き保険医に診てもらうと、風邪だろうと言うことだった。
 おそらくそうだろうと思っていたが、越前の容態を診てもらったことで、は安堵の息をついた。
 越前を連れてきてくれた乾は部活に戻ったので、保健室には越前との二人。も保険医に任せて戻ろうと思ったのだが、会議があるらしく代わりにいてくれと頼まれてしまった。けれど、本音を言えば越前についていたかったので、は引き受けた。
 越前の家族が迎えに来るまで、もしくは保険医が戻るまで越前についているという事は、乾から手塚に報告してくれるよう頼んだので、マネージャーの仕事の方は問題ないはずだ。


 再びぬるくなってしまった手拭いを水で冷やし、越前の額へ乗せる。
「……そろそろ換えたほうがよさそうね」
 洗面器に入っている水がぬるくなってしまっていた。新しい水に換えようとが丸椅子から立ち上がった時、不意に手首を掴まれた。
 視線を動かすと、うっすら瞳を開いた越前と目が合う。
「…もう少しだけここに居てよ…」
 越前の唇から零れたのは、搾り出したような掠れた声。
「水を換えてくるだけよ」
「そんなのいい。だから…っゴホッ…ッ」
 無理したせいか咳き込む越前には困ったように笑った。
「わかったわ。ここに居る。だからおとなしく休んで」
 手首を掴んでいる越前の手を解いて、そっと布団の中へ戻す。
「…先輩」
 名を呼びながら、離れていく手を再び掴んで握った。
「越前くん?」
「これで逃げられない…よ…ね…」
 そう言いながら瞳が閉じていき、すぅすぅと微かな寝息が立ち始める。
「…仕方ないんだから」
 呆れたような言葉とは裏腹には微笑んでいた。




END

2010.06.25再録、修正
抱きしめる5のお題 4.もう少しだけここに居てよ
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