賭け




 ギィと鈍い音をさせ、屋上へ続くドアが開く。
 その音に気づいている筈だが、屋上を囲むフェンスに細い指をかけたまま、人影は動く気配がない。
 夜空を映したような黒い瞳は、空の一点を見つめたまま。
 けれど、黒い瞳には空さえ映っていないだろう。彼女の瞳に映っているのは、あの男の姿に違いない。
「…俺じゃダメか?」
 がいる場所から一歩分距離をおいて訊いた。
 彼女の心の隙をついているようでフェアではないと思う。
 けれど、泣かない彼女が痛々しくて見ていられない。
「……嬉しいけど、それはできないわ」
 数秒おいて、小さな声が耳に届く。
 いつもと変わらない、落ち着いた声。
 けれど、無理に平静を保とうとしているのがすぐにわかった。
 一年以上、彼女に片想いをしてきたのだ。わからない筈がない。
「…ま、そう言うと思ったけどな」
 首の後ろを左手で押さえて、黒羽はハァと嘆息する。
 予想していた答えだった。だが、少しの可能性に賭けたかったのだ。
 が誰を見て微笑んでいてもかまわない。その瞳に映っているのが自分ではなくても。
 苦しそうな顔だけは見たくない。
 泣いてくれたら慰めることも、優しい声をかけることもできるのに。
 それさえできないのがもどかしい。
「ほら、これでも飲め」
 黒羽はに近づいて、右手に持っていたココア缶をコツンと彼女の頭に乗せる。
「…だから、頭に置かないでって言ってるでしょ」
 数秒置いて聴こえた声に、黒羽が安心したように目元を和らげる。
 その顔はには見えない。
「はは、悪い悪い」
「謝ってる割にやめないわよね」
 呆れたような、それでいて嬉しそうな声だった。
 身体を反転させて黒羽と向き合ったは、手にココア缶を受け取る。
 ホットココアだから缶が温かいと感じる以外に、違う温かさを感じるような気がする。
「…私がココアを好きだって知ってたの?」
「まあな」
 も知らないのに…。
 口の中で小さく呟いて、は僅かな笑みをみせた。
「ありがと……バネさん」
 テニス部の仲間が呼ぶあだ名で初めて呼ばれて、黒羽は瞳を丸くした。
 どんなに呼んでいいと言っても、ずっと黒羽君としか呼ばなかったのに。
「おう」
 少し照れを含んだ顔で返事をして、黒羽は踵を返す。
「風邪引かないうちに中に入れよ」
「うん、そうするわ」
 の「ありがとう」と言う声を背中で受け取り、黒羽は右手を上げて答えて、来た時と同じように扉を開けると校舎の中へ姿を消した。




END



BACK