粉雪舞う空




 店先は綺麗な飾りがついた大きなツリーやリースで飾られている。街路樹には電飾が施され、暗くなると白や赤や青といったイルミネーションが輝き、さながら光の洪水に溢れる。
 駅前や公園だけでなく、ホテルなど公共施設でも巨大なツリーが置かれ、そこら中がクリスマス色に彩られている。
「今日は寒いね」
 手袋をしていない指先が冷たくて、は温めるように息を吹きかけた。吐息は白く染まり宙へ霧散する。手をこすり合わせてみたが、冷たさを紛らわせる事はできても温かくはならない。肌に毛糸が合わないから長時間手袋をするのは辛いのだけれど、はめたほうがいいかもしれないと思った。
「そうだね。今夜と明日は冷え込むらしいし」
 そう言いながら、佐伯は隣を歩くの右手を左手で取り、自分のコートのポケットへ入れた。の白い頬が寒さとは別の意味で赤く染まる。繋がれコートのポケットに入った右手は彼の熱で温められていく。それに、手を繋がれたことでわずかに離れていた距離は一気に近づいた。
「雪が降ったりするのかな?」
 は暮れ始めた空を見上げる。雪は嫌いではないけれど、明日は学校帰りに佐伯とデートする予定だ。だから、もし降るのなら積もるほど降って欲しくないと思う。
「もし雪が降ったら、ホワイトクリスマスだね」
 佐伯はフフッと楽しそうに微笑む。
「…そっか。明日、クリスマスだっけ」
 だから、だ。
 明日デートしよう。
 教室まで迎えに来てくれた佐伯が言ったのは。そのことに全然気がついていなかった。
「どうかした?」
 心配そうな顔で佐伯はを見つめる。少しでも元気がないと、こうして気遣ってくれる。
 彼はとても優しい。
 だから、自分を作ることなく本当の気持ちを口に出来る。どんな自分でも受け止めてくれると知っているから。
「あのね…明日がクリスマスだってこと、忘れてたの」
 その言葉に佐伯は驚いたように瞳を丸くしたけれど、それは刹那だった。
「君が忘れても俺が覚えてるから問題ないよ。でも、俺の誕生日だけは忘れないでいてくれると嬉しいけど」
 そう言って緩く首を傾け、いたずらっぽい表情で笑う。
 気にしなくていいよ、と笑ってくれるから、それだけで安心する。
「もちろん。来年も忘れないから」
「ははっ。今から楽しみだな」
 佐伯が嬉しそうに笑うので、もつられて笑った。



 午後の授業が終わり、帰りのホームルームが始まる少し前。
「あっ!雪が降ってる!」
 窓際の席の誰かが言った声がざわめく教室内に響いた。
「えっ、本当?」
「よく見えねぇぜ」
「窓のほう行ってみようぜ」
「ホントだ、降ってるよ」
 瞬く間に窓際へクラスメイトが集まり始める。生徒たちがわいわいがやがやと盛り上がるところへやってきたクラス担任は、注目させるために声を張り上げなければならなかった。
「ホームルーム始めるぞーっ!」
 教壇で大声を出す担任に、生徒たちはわらわらと自分の席へ戻っていく。
 生徒が全員席に着いたのを確認し、担任はいくつかの連絡事項を口にした。
 ホームルームが終わると掃除当番以外の生徒は教室を出て行く。は掃除当番ではないので、クラスの友人と一緒に教室を出て、佐伯のクラスの前で別れた。一緒に帰る約束をしている時、どちらか早く終わった方が教室へ行くことにしよう、と二人で決めた。それが昨日は佐伯で、今日はになった。
 昇降口で靴を履き替えた二人は校舎を出た。
 ひんやりと冷えた空気が肌を刺す。雪が降り始めたから、いつもより寒い気がする。
「けっこう降ってきたね」
 空を見上げて佐伯が言った。
 ホームルームが始まった頃は僅かに降っている程度で、それから数十分しか経っていないのに無数の雪がちらついている。
 空を舞い落ちてくる粉雪は大地を白く染める程の降り方ではないので、傘がなくても帰れそうなのはよかった。
「ねえ、虎次郎君」
 呼ぶと、佐伯の切れ長の瞳が向けられた。は彼がこうして視線を向けてくれるのが好きだったりする。付き合い始めた頃は、視線が合うだけで恥ずかしくて照れてしまっていたのが今は嘘のよう。もっとも、不意に瞳が重なった時はどうしようもなくドキドキしてしまうのだけれど。
「海に行ってみない?」
 海は学校の目と鼻の先にある。だから、学校帰りにふと立ち寄ることはよくあるのだ。ゆえに知り合いと曹禺してしまうこともあったりするわけだが。
 今日はクリスマスだからいつもと違うデート――映画がいいかな、と佐伯は考えていた。
「海?」
「うん。雪が降る海なんて滅多に見られないし」
「そうだね。じゃあ、そうしよう」
 二人は手を繋いで海へと向かった。
 数分歩くと、すぐに海が見え始める。今は冬だが、波は穏やかに浜辺へ打ち寄せていた。
 浜辺の中程まで歩き、そこで足を止める。
 風を遮る物がなにもない浜辺はとても寒いが、風が強くないだけでもましだ。
「……寒いけどキレイ」
 の言葉に佐伯は頷いた。
「海に雪が吸い込まれていくみたいだ」
「本当」
 視界に映るのは舞う粉雪と、どこまでも続く大海原。
 雪が降っているだけでいつもの海と全く違って見え、知らない場所にいるような気がしてくる。
 薄暗い空から落ちてくる雪は、まるで夜空のよう。
「………何かに似てると思わないか?」
 不意に頭上から降ってきた声に、は佐伯を見上げた。今、同じような事を考えていたので驚いた。
「私もそう思ってた」
「だろ?なんだっけな、あれ」
「雪だるまとかサンタが入ってるやつよね」
「そうそう」
 二人してうーん、と考え込む。なんという名前だっただろうか。とても単純な名前だった気がするのだが――。
 その名前が思い浮かんだのは、二人同時だったらしい。
「スノードーム!」
 見事に声が重なり、互いに驚いてついで笑うのも同時だった。
「俺たちやっぱり気が合ってるね」
 声と一緒に肩を引き寄せられる。は不安定な砂地で少しバランスを崩し、佐伯の胸に抱きつくような形になった。
 不意に近くなった距離にの鼓動が弾む。
「初めて見る風景が好きな子と一緒っていいね」
「そっ…そうね」
 爽やかに笑う佐伯がまともに見られなくて、は俯いてしまう。彼に抱きしめられるのが初めてだと気がついて、なんだかとても恥ずかしくなった。
 初々しい反応をする恋人が可愛らしくて、佐伯は頬を緩める。
「頬が冷たくなってるね」
「だ、大丈夫よ」
 頬に伸ばされた手にドキドキしてしまって、答えるだけで精一杯だ。
「寒くない?」
「ちょっとだけ寒いような寒くないような」
 は緊張してしまって、意味不明な事を言っているのに気がついていない。そんな彼女に佐伯の心にちょっとした悪戯心が芽生えてしまった。
に触れてもいい?」
「いいんじゃ――って、えっ?ええっ!?」
「じゃ、少しだけ」
 佐伯は笑って、の形のよい額に唇で触れた。
「そろそろ行こうか。風邪を引かせたくないし」
 そっと身体が離れていく。恥ずかしかったのに寂しいと思ってしまって、また頬が熱くなった。キスをされた額も熱い。触れたら冷えた指先が温まるんじゃないか、と思うくらい。
「温かいものでも飲みに行こう」
「…うん」
 佐伯はの華奢な手を包み込むようにして手を繋ぐ。
 二人は粉雪舞う空の下、雪が落ちる海に背を向けた。




END

聖夜に7つのお題「05.粉雪舞う空」 / 1141 様

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