君がいる、それ以上の準備はいらない




 ベッドの上、ごろん、と寝返りをうって溜息をひとつ。
「………最悪…」
 呟きは自分以外の誰の耳に届くでもなく、静寂な部屋の中に消える。
 カーテン越しに朝が明けたとわかる、薄暗い部屋の中、また、ごろんと体の向きを変えた。波模様の白い天井がの黒い瞳に映る。
 こんなはずじゃなかった。
 今日はいつもより少しだけ早起きして、おしゃれをして、うきうきしながら出かける予定だった。大好きな彼と。
 早く今日――クリスマスにならないかな、と楽しみにしていた。
 なにしろクリスマスにデートをするのは初めてだ。家族や友人と一緒の時間とは違う時間を過ごせることは、間違いなかった。
 けれど、一昨日の夜に急に熱が出て、寝込むはめになった。喉は痛くなかったし、鼻水は出ないから、薬を飲んで、ついでに栄養剤も飲んで、一日おとなしく寝ていたら翌日には熱は下がっているだろうと思っていた。でも朝になっても下がっていなかった。気合を入れれば外出しても――クリスマスプレゼントを取りに行っても大丈夫かな、と思ったのに、同居している従姉妹に止められてしまった。
 ――だめよ、寝ていなくちゃ。佐伯くんと明日デートできなくなるわよ。それに、おじさんとおばさんから頼まれているんだからね
 だから昨日も従姉妹が作ってくれたおかゆとか消化のよいものを食べて、薬を飲んでおとなしく寝ていた。
 それなのに、今朝になっても下がっていなかった。風邪を引いたとき、一日寝ていればたいがい治ってしまうのに、今回のはしつこいらしい。
「…………連絡、しなきゃ」
 従姉妹に見つからないように家を出たとしても、具合が悪いことは、佐伯にきっと見破られてしまう。
 無理したらダメじゃないか!
 そう言って怒る顔が想像できて、は思わず小さく笑った。
 起き上がると熱のせいで少しクラリとした。
 それをやり過ごし、布団の上に放るようにしておいてある厚手のカーディガンに袖を通し、ベッドから下りる。
 金曜日に出かけた時から、ブルーグレイのモコモコのバッグに入れたままの白い携帯を取り出す。
 不意に、寒さが背筋を這い上がった。
 悪寒かな、と思ったが、かぶりを振ってその考えを頭から追い出す。
「病は気からって言うじゃない」
 自分に言い聞かせるように呟く。発熱と頭痛のある今更、ではあるけれど。
 とりあえず寒さ対策にホットカーペットの電源を入れ、ひざ掛けをかけた。
 メールを打つ間だけだから、これで平気だろう。
「……熱が出ました…じゃおかしいかな…」
 携帯を開いたまま、首を傾げて思案する。
「……………今日の約束はキャンセルさせて、とか?でも理由を書かないのもおかしいかな」
 佐伯に心配させずにデートに行けないことを伝える言葉はないものか。
 その答えは考えるでもない。答えは否、だ。
 ――少し調子が悪いから、約束はキャンセルさせてください
 そう書いたメールを送信し、は落胆と諦めと切なさがないまぜになった溜息をついた。
「……クリスマスなのに」
 言って、そうじゃないと緩くかぶりを振る。
 佐伯に会えないのが寂しいのだ。
 恋人と言ってもクラスが違うどころか、そもそも通っている学校が違う。
 佐伯は千葉の公立校、は東京の私立校。
 だから、約束なしで逢えるわけがない。
「…逢いたいな」
 唇から本音が零れた時、部屋のドアをノックする音がした。
ちゃん、起きてる?」
 従姉妹の声だ。
「うん、起きてる」
 まだ熱が下がっていないことを従姉妹が知ったら、布団に入っていないと怒られるかもしれないと思った。
 が、がそう思った時にはすでにドアが開き、小さな土鍋をのせた盆を手にした従姉妹が部屋に入ってきた。
「具合はどう?」
 カーペットの上に盆を置き、従姉妹はの額に熱を測るように右手を当てた。
「うーん、まだ高いわね」
 言って、の手元に視線が向けられた。その視線はすぐにの顔に戻った。
「雑炊作ったから、食べられるだけ食べて、ちゃんと休むのよ。――少しくらいなら起きていてもいいけど」
 付け加えられた一言には瞳を驚きに瞠って、ついで嬉しそうに笑って頷いた。
 もし熱が上がったり、更に具合を悪くしたら烈火のごとく怒られるだろうけど――従姉妹は両親より容赦がない――デートに行けないぶん、気遣ってくれたのだろうと思う。



 いつのまに眠っていたのだろう。
 ふっと目を覚ますと、眩しい光が目に入り一瞬ちかちかした。
 電気は消してからベッドに入ったと思うが、消し忘れたのだろうかとが思った時。
「あ、目が覚めた?」
 不意に耳に届いたのは、とても聞き覚えがある――好きな人の声だった。
 は驚愕に瞠った瞳を声がしたほうへ向けた。
 ベッドのすぐ傍、カーペットの上に片胡坐をした佐伯がいた。
「…こ…じろ、くん?!」
 寝ていたからか、掠れるようにしか声が出なかった。
「気分はどう?」
 彼我を縮める佐伯に、は体を起こした。
 は右手を佐伯の頬に伸ばした。
「触れる…」
 そっと触れてくる華奢な手を佐伯は左手で優しく包みこんだ。
「本物だからね」
 言って、クスッと笑う。
「…ごめんね」
 は俯いて小さな声で言った。
「どうして謝るんだ?」
 だって、とは顔を上げて佐伯を見る。彼女の黒い瞳は、熱ではない別のもので潤んでいた。
「約束したのに」
「熱があるなら仕方ないよ。気にしなくていい」
「デートだけじゃない。プレゼントだって用意してない」
「プレゼントのために君とデートの約束をしたわけじゃないよ」
「わかっ――」
 言葉を封じるように、佐伯の指先が唇に触れた。
「俺は君がいてくれたらいい」
 じっと見つめて言われて、頬が熱くなっていく。
「君がいる、それ以上の準備はいらない」
 告げる声は甘くて熱い。
 それ以上に彼の瞳は甘くて熱く、優しい色をしていて、心臓が口から飛び出そうなくらい、ドキドキする。
 佐伯は指を離したけれど、は思考が停止してしまって言葉がでない。
「俺の気持ち、伝わったかな?」
「……うん」
 頬を赤く染めて頷くに佐伯は満足そうに笑った。




END

ふたりの聖夜に5題「4.君がいる、それ以上の準備はいらない」
Fortune Fate様(http://fofa.topaz.ne.jp/)

BACK