Truth バレンタイン間近の週末。 用事があって他の三年生より遅れて学校を出たは、駅近くの洋菓子店の前で、クラスメイトのを見かけた。 はショーウィンドウを見ているに声をかけた。 「ちゃん、今帰り?」 「そうなの。会長に用事があってね。 誰かにあげるの?」 ショーウィンドウに飾られているチョコレートを一瞥し、は訊いた。 ハート型のチョコ、丸いチョコレートケーキ、生チョコ、トリュフなど、色々なチョコレート菓子がディスプレイされている。 この店はチョコレート菓子以外にも様々な洋菓子を取り扱っているが、バレンタインが近いのでそれに合わせた飾りつけになっているようだ。 おそらく店内は女性客で賑わっていることだろう。今も何人かの人が出入りしている。 「そのつもりでいるけど…。ちゃんは手作り?」 「ええ。家庭科室を借りて前日に作るつもりよ」 「家庭科室?」 の言葉に驚いて、は黒い瞳を丸く瞠った。 友人が手作りのチョコレートを贈るというのは驚かないけれど、それを作るという場所に驚いた。 「自宅だったらいいのだけどね」 その言葉には納得した表情で頷いた。 三年になって初めてと同じクラスになって、友人と呼べる関係になった時に聞いたのを思い出したから。 の両親は仕事で海外に行っており、彼女は親戚の家でお世話になっているのだ。 「確かに親戚の家だと作りにくいね」 「お弁当とかならいいけれど、さすがにチョコはね。伯母様に冷やかされたくないし」 「・・・ちゃんはいいな」 の小さな呟きが耳に届き、は訝しげに首を傾けた。 友人の表情が心なしか暗くなっている。彼女は笑っているのだが、寂しそうな笑みだ。 「?」 「好きな人にチョコを贈れて」 「え?だって誰かに贈るために見ていたのでしょう?」 がいつから店の前にいたのかは知らないけれど、贈らないのに食い入るように見つめないだろう。 それに彼女は、甘いお菓子が好きだけれど、チョコレートだけは食べられない筈。直接本人が言っていたのを聞いたのだから嘘の筈はない。 「渡したい…けど…彼は好きな人がいるから…」 「彼女がいるってコト?」 そう言うと、は首を小さく横に振った。 「彼はその人がすごく好きみたいだから…きっと受け取って貰えない」 悲しそうに瞳を伏せるに掛ける言葉が見つからない。 下手な慰めは彼女の心を傷つけ、もっと悲しませてしまうだけだ。 はと同じ立場でも行動を起こす性格だが、は違う。彼女はおとなしく、あまり積極的な性格ではない。 「・・・相手が誰だか訊いてもいい?」 しばらく考えて、そう口にした。 の好きな人が誰なのかわかれば、少しは協力できるかもしれないと思って。 それに、彼の好きな人というのをが誤解している可能性がゼロというわけでもない。 恋をしていると、周囲のことが冷静に見えなくなることもある。 「・・・・・・秘密にしてくれる?」 無理かな、と諦めかけた時、の小さな声が聴こえた。 はしっかり頷いた。言われなくても、誰かに言ったりするつもりはない。 「勿論よ。誰にも言わないって約束するわ」 その時、チリリンと鈴の音がして、店から数人の女子学生が出てきた。 ブレザーに紺色のタイの制服は、近くにある私立高校のものだ。 こんなところで何してるのかしら、という表情で彼女たちが二人を見た。 「どこか行きましょう」 は鋭い視線を一瞬だけ女子学生に向けて、ついでに柔らかな微笑みを向けて言った。 人が多くなく、かつ六角の生徒がいない場所となると、父の妹夫婦の店がいいかもしれない。 そう判断したは、を連れて店へ向かった。 駅から程よく離れたそこは駅前ほど賑やかではないが、それなりに活気に溢れている。 飲食物店が立ち並んでいる。その中にある赤茶色レンガ造りの三階建てビルへ二人は入った。 「やあ、ちゃんじゃないか。久しぶりだね」 「こんにちは、叔父さん。お元気そうですね」 叔父はああ、と頷いて、の隣にいるに視線を向けた。 「こ、こんにちは」 ぺこりと頭を下げるに、叔父も挨拶を返した。 「ところで、叔父さん。二階は空いてますか?」 「ああ、空いてるよ。今日は予約がないからね」 の叔母夫婦が経営しているこの店は喫茶店で、一階と二階が喫茶室で、三階は二人の住居になっている。 けれど、客が主に入るのは一階のみで、二階は多人数で予約が入った時のみ利用される。 「人がいないところで話がしたいのですけど」 「そうか。かまわないよ」 「ありがとう、叔父さん」 「可愛い姪のお願いだからね。 ちょっとここで待っていなさい」 言い終わると同時に、叔父はカウンターの奥へ姿を消した。 そして数分後。小さなトレイを手に、叔父が戻ってきた。 トレイの上には湯気を立てたカフェオレが二つと、イチゴのスフレが乗っている。 「これを持っていきなさい」 は差し出されたトレイを受け取って、叔父の顔を見つめた。 叔父は口元を上げてにこやかに笑う。 「せっかく来たんだ。ゆっくりしていきなさい」 「じゃ、お言葉に甘えてご馳走になります。 、こっちよ」 「あっ、待って、ちゃん。 あ、あのっ、ありがとうございます」 ペコリと頭を下げて言うと、はのあとを追った。 叔父は二人が階段のある奥へ行くまで見送って、姿が見えなくなると仕事へ戻った。 石造りの階段を上がって、二人は二階へ向かった。 一階のテーブルは3、4人が座れる程度の大きさだが、ここは5、6人掛けになっている大きめのテーブルだった。 直射日光は避け、わずかに陽射しが届くテーブルに二人は座った。 「冷めないうちに食べましょ」 がの前に淹れ立てのカフェオレと焼きたてのスフレを置く。 それから自分の分をテーブルに置いて、トレイをテーブルの脇へ置いた。 「いただきます」 二人ほぼ同時に口にして、はカフェオレに手を伸ばした。 コーヒーの香りとミルクの柔らかな甘みが口いっぱいに広がる。 熱さもちょうどよく、美味しいカフェオレにふっと心が和んだ。 を見ると、彼女はイチゴスフレをフォークで美味しそうに食べていた。 そんな彼女の笑顔は女の自分から見てもキレイで、逆立ちしても敵わないと思う。 元生徒会副会長で、眉目秀麗で、才色兼備の上、沈着冷静な彼女。 世の中には完璧な人がいるんだ、と彼女を見て思ったほどだ。 けれど、それを言ったには言った。 『噂されると余計に自分を出せなくなるのよね。だいたい私は沈着冷静なんかじゃないわよ。顔に出ないだけなの。 それに、私にだって苦手なコトはあるわ。噂って大袈裟よね…』 「?」 名を呼ばれて、は思考から抜け出した。 不思議そうに首を傾ける友人に、はなんでもないの、と微笑んで。 「スフレなんて初めて食べるわ」 ふわふわのスフレをフォークで掬い、イチゴ色のそれを口に運ぶ。 イチゴの甘酸っぱさと程よい甘みがあり、ふわふわなのにしっとりしている。 「・・・、無理しなくていいから。言わなくてもいいのよ」 少しでも友人の力になれたら、という気持ちは確かにある。 けれど、ほんの僅かに誰なのか知りたいという好奇心もある。 だから、何かを誤魔化すようにスフレを食べるに声をかけた。 は無言でフォークを皿に置いて、を見つめた。 ややあって、は柔らかな唇を開いた。 言ってしまえば、少しはラクになれそうな気がして。 「・・・・・・佐伯くんなの」 のか細い声に、は一瞬だけ胡桃色の瞳を瞠ったが、すぐに安心したように細めた。 佐伯に好きな人はいない。 つい数日前、が教室でマフラーを編んでいる所へ佐伯が遊びに来た時に、不二とのコトを茶化されたが反撃して聞き出したから間違いない。 彼は人を思い遣る嘘はついても、自分に関するコトで嘘は言わない。 それは他校にいる佐伯の幼馴染で、の恋人である不二もそう言っている。昔からストレートでね、裏表のない奴だよ、と。 それには、不二と付き合っている期間より、佐伯と友人である期間の方が長いのだ。 「それなら心配ないわよ。佐伯は彼女もいないし、好きな人もいないわよ」 「ううん、いるの。・・・佐伯くんの好きなのってちゃんよ」 俯くに、はテーブルに身を乗り出した。 正真正銘、自分の言っているコトは真実なのだ。頑としてが違うと否定しようとも。 「、なにか誤解してるようだけど、私と佐伯は気の合う友人よ。恋愛感情のれの字もないわ」 「嘘よ。だって佐伯くん毎日のようにちゃんに会いに来てるじゃない」 「それは私の様子を不二くんに頼まれて見に来てるだけよ。 第一、私は佐伯の好みに当てはまらないわ。佐伯はね、料理の上手な可愛いコが好きなのよ?私は料理できるけど、可愛いってタイプじゃないわ。それに、不二くんとの仲を取りもってくれたのは佐伯なのよ。 だからありえないわ」 一息にきっぱりは言った。 けれど、それを聞いてもはまだ納得できない。 「不二君との仲を取りもってくれたのだってちゃんが好きだからじゃないの?好きな人には幸せになってもらいたい、って佐伯くんならきっとそう考えるわ」 黒い瞳を潤ませるに、確かにそうかもね、と答えて。 「だけど、もし佐伯が私のコトを好きだとしたら、不二くんと私の前で宣戦布告する筈よ。が不二のコトを好きでも、俺を好きにさせてみせるよ、とかね。 そんなコトは言われてないし、素振りだって微塵もないわ。 佐伯って女の子をさん付けして呼ぶけど、私は呼び捨てでしょ。それって友人として見てるってことになるわ。 それでもは信じない?」 にこれ以上の切り札はない。 これだけ言っても信じてもらえなかったらどうしようか。 そう頭の片隅で思いながら、の言葉を待った。 「・・・ほんとに違うの?」 「ええ。私の貯金を全部賭けてもいいわ」 は瞳を丸くして、ついで口元を押さえてくすくす笑い出した。 そんな彼女を見て、は気づかれないようにそっと息をついた。 声をかけたあとから暗くなってしまい心配していたのだが、元気になって安心した。 けれど、佐伯とは気の合う友人だとこんなに力説するコトになるとは思っていなかった。 これで信じないと言われたら、佐伯本人を引っ張り出すしかなかったかもしれない。 は渇いた喉を潤すために、少し冷めてしまったカフェオレを飲んだ。 バレンタイン当日の朝。 はいつもより早く家を出た。いつも登校している時間だと、佐伯が登校しているのと同時刻になってしまう。 先週の土曜日。あのあとと一緒に洋菓子店に行き、は佐伯に贈るチョコを買っていた。 が教えてくれた情報で自分にも可能性があるというのがわかったし、が頑張って、と応援してくれたから。 彼に直接渡して好きという気持ちを伝えたい。 そう思っているものの、いざとなると緊張して身体が強張る。勇気を出さなくちゃダメだと自分に何度も言い聞かせたが、告白した瞬間の彼の顔を、言葉を聞くのがとても恐くて。 学校に着いたは、チョコレートを持って佐伯のクラスへ直行した。 校庭から運動部の掛け声が聞こえるだけで、校舎内は静まり返っている。 この様子なら自分以外の生徒はいないだろう。 教室のドアを開くカラカラという音が、やけに大きく聴こえる。 佐伯のクラスへ滑り込むように入ったは、窓際から二列目、一番後ろの席へ向かった。 空っぽの机の中に、そっとチョコレートを忍ばせる。『好きです』と一言書いたカードを添えて。 「・・・・・・佐伯くんが好き」 本人に言わないと無意味なのはわかっている。 それでもは言わずにいられなかった。 誰かに見つからないうちに、とはドアをそっと開けて周囲の様子を見た。 そして人影のないことを確認すると教室を出て、自分のクラスへ走っていった。 けれど、彼女が教室を出る瞬間、それを目撃した人影があった。 「さん?どうして俺のクラスから・・・」 そう呟いた時、後ろから声をかけられた。 視線を動かすと、友人の黒羽の姿があった。 「よっ、サエ。おはよう。早いじゃないか」 「ああ、バネさん。おはよう」 いつもと様子が違う佐伯に、黒羽は首を傾げた。 「サエ、なにかあったのか?」 「いや、別にないよ」 (何もないなんて顔じゃないぜ。ま、言いたくないみたいだし、黙っとくか) 胸の内で呟いて、黒羽は話題を変えた。 「そういやさっき朝練を覗いてきたんだが、剣太郎がコレが決まらなかったら女の子からチョコが貰えないとかなんとか騒いでたぜ」 剣太郎の奴、相変わらずだよなー、と黒羽が笑う。 佐伯はハッと切れ長の瞳を瞠って、ダッシュで教室へ向かった。 「・・・サエの奴、急にどうしたんだ?」 取り残された黒羽は、訝しげに呟いた。 「ねえ、。一緒に写真を撮りましょう?」 昇降口を出た所で、はに声をかけられた。 今まで後輩に囲まれていたのか、制服がよれよれしている。 「ちゃん、なんか疲れてない?」 「ちょっとね。生徒会の後輩に捕まってたのよ。やっと抜け出せたわ」 「みんな寂しいのよ。今日で最後だから」 が黒い瞳を寂しそうに細める。 そんな彼女をはじっと見つめた。 卒業式だから寂しい、という以外の理由が含まれているのには気づいていた。 バレンタインから半月。なにもせずに過ごしていた訳じゃない。 が話さないので佐伯とのコトについて彼女に一切触れなかったけれど、その間にはあることに気がついた。 ゆえに動いて、それを確かめた。 そして、計画した。卒業式に合わせて。 「寂しいけど、もう会えないわけじゃないわ。少なくとも私は、卒業してからもと会うつもりよ」 ふふっと微笑むに、は顔に笑みを浮かべて頷いた。 今日でお別れじゃない。それぞれの進む道が分かれているだけ。 校門近くまで歩いていくと、の瞳に爽やかに笑う人の姿が飛び込んで来た。 そして、思う。 あの人が―――佐伯くんが好き。 思わず立ち止まってしまったの手を引いて、はテニス部メンバーが固まっている場所へ向かった。 「ごめん、遅くなったわ」 「モテモテだったなー」 そう言ってアハハと笑う黒羽と、黒羽の言葉にクスクス笑う木更津には瞳に険を滲ませる。 「見てたなら助けてよね」 校舎を出た所で後輩たちにもみくちゃにされているのを目撃したらしい二人を睨みつける。 卒業しないでください、と言われたり、好きです、と同性から言われたり。 それはもう大変な思いをしたのだ。当事者は笑い事ではすまされない。 「助けようかとも思ったんだが、骨が折れそうだったからな」 「そうなのねー。骨が折れそうだったのねー」 黒羽に続いて樹が言うと、は薄情ね、と呟いた。 「仕方ないだろ。自分が優先だ」 木更津がぼそっとに突っ込みを入れる。 「まあまあ。助けようとは思っていたみたいだし、許してあげたら?」 三人を見かねて、佐伯が横から助け舟を出した。 「そうね。みんなが囲まれてるのを見ても、私も助けないから同じか」 「なんか引っかかる言い方だが、そういうことだな」 「じゃあ解決ということでいいね。 写真、撮るんだろ?」 「おっ、そうだったな。誰がシャッター押すんだ?」 「私が押すから、みんなその辺に集まって」 「それだとさんが映らないのねー」 「セルフタイマーがついてないからな」 樹と木更津の言葉に、みなが思案気な顔になる。 「けど、誰かが押さないと・・・あっ、剣太郎だ」 「おっ、ちょうどいいじゃねぇか。あいつに押してもらおうぜ」 佐伯と黒羽が葵にシャッターを押すのを頼んでいる脇で、がの袖をちょん、と引いた。 「?」 「ちゃん、私・・・」 困惑した表情のに、はにっこり微笑んで。 「卒業記念にいいじゃない。今日で最後なのよ?」 「あ・・・」 聞こえないように声を抑えて話しをしていると、名を呼ばれた。 「さん、。撮るよー」 手招きする佐伯に頷いて、はの手を引いた。 右から木更津、樹、黒羽、佐伯と立っていたので、を佐伯の前になるようにして、彼女の隣に立つ。 「じゃあ撮りますよー」 そうして葵がシャッターを切った。 「もう一枚いきまーす」 その言葉と一緒にシャッターが下りる。 笑顔の溢れる写真が二枚、フィルムに収められた。 「そういやダビデがいねぇな」 「あっ、あそこにいるのねー」 「バネさん、いっちゃん。みんなで写真撮りましょう」 「おっ、そりゃいいな」 黒羽と樹と木更津と葵が天根がいる方へ走っていく。 佐伯はみんなのあとを追わずに、合流したメンバーのやり取りを面白そうに見ている。 「!シャッター押してくれないかな?」 がに声をかけようとした瞬間、彼女の名前を呼ぶ声がした。 「いいわよ」 ちょっと行ってくるわ、と言って、は走っていってしまった。 やだ、どうしたらいいの? 二人きりになって戸惑っているの耳に、柔らかな声が届く。 「さん。キミに話があるんだけど、いいかな?」 「えっ?」 は黒い瞳で佐伯を見上げた。 真剣な光を放つ茶色い瞳に、の心臓が跳ねる。 「ここじゃ話せないから、ついてきてくれる?」 声が出なくて、は首肯で返事をした。 しばらく歩いて、佐伯は校舎脇の花壇前で足を止めた。 付いて歩いてきたのと同じ距離をおいて、も足を止めた。 佐伯が向きを変え、と向かい合う形になる。 「俺はキミが好きだ」 「・・・え?」 「だから俺と付き合って欲しい」 「嘘・・・」 「嘘じゃないよ。キミが好きだから、チョコレートを貰えて嬉しかった」 「え…どうして…」 頭の中が真っ白で、何を言われているのか、言っているのかよくわからない。 「偶然キミを見かけたんだ。それで色々、ね」 「色々って?」 「フフッ、それはまた今度でいいよね? 「あ、あのっ・・・」 「聞かせて欲しいな。キミの声で」 少し低めの声に、また心臓がドキンと跳ねる。 彼の爽やかな笑顔が、彼の真っ直ぐな眼差しが―― 「・・・佐伯くんが好き」 「ありがとう。俺もが好きだよ」 甘い声が聞こえるのと同時に佐伯の腕にしっかり抱きしめられる。 頬を真っ赤に染めてがちらりと佐伯を見ると、彼は爽やかに笑っていた。 END BACK |