一生に一度でいいわ

 溶けるくらいに見つめられて告白されたいと思わない?

 友人の唐突なそれに一瞬呆気に取られたあと、好きな人の姿を想いうかべて「思うかも」と答えた。その時、心臓がドキドキに耐えられるだろうかという問題もあったけれど、現実にそれが起こる可能性はないと思うので、素直に言ったのだった。
 それが数日後に実現することになるとは知らず――。




 溶けるくらい見つめて告白




 2月11日の金曜日。建国記念日で祝日なので、学校は休みだ。
 部活は引退したのでない。もっともわりと頻繁に顔を出してはいるが。テニスは好きだし、なにより仲間たちと過ごす時間は楽しい。
 ともかく学校が休みで部活の練習はない。
 人気があるのってすぐに売り切れるのよ、と昨日の帰り際、クラスの女子たちの会話がをなんとなしに耳にした佐伯は、翌日の今日デパートに向かっていた。
 デパートへ行く道すがら、擦れ違う女性たちのほとんどが大なり小なり、有名なチョコレートブランドの紙袋を手にしていた。異性へあげるというより、友達同士で交換したり、自分用に買ったりする女性が昨今は多いらしい。むろんこれは新聞から得た知識である。
 デパートに着くと、出入り口に催事場でチョコレートフェアを開催していると案内が出ていた。だが会場は女性ばかりであるだろうと予測がつくので、八階ではなく地下一階売場へ行くため下りのエスカレーターに乗った。
 ……すごいな。
 地下一階へ降りて、そう思った。
 いわゆるデパ地下と呼ばれるところへ来るのが初めてというわけではない。だが、頻繁に足を運んだりということもない。そもそもこういった場所に用事などないから、来る理由がないのだ。最後に来たのは小学校の高学年の頃、両親と一緒にだった。その時が初めてだから今日は二度目ということになる。
 目線の高さが変わるとちょっと違うように感じるんだなあ、などと思いつつ、スイーツの店が集まっている一角へ足を向ける。
 バレンタインと言ったら、やはりチョコレートが無難だろうか。
 それとも、焼き菓子のほうがいいのだろうか。
 彼女の好みを知っていればいいのだが、甘いものは嫌いではない、という情報しか持っていない。
 どうしようかと考えながら、一通り見て回ることにした。
 そして五軒目の店の前で、佐伯は足を止めた。その店のディスプレイにあったチョコレートに目が留まったからだ。
 先に見た店のショーウィンドウに並んだチョコレートはハートや四角や丸などの形をしたものが数個パッケージされているもので、見た目はきれいで美味しそうではあった。焼き菓子も扱っていたが、バレンタインに渡すならチョコレートの菓子がいいかと思ったので、チョコレートを見ていたのだが、どれも同じような感じで決め手に欠けていた。けれど、目に留まったチョコレートは、彼女に似合いそうだと思った。
「お味見をどうぞ」
 店員に笑顔で薦められ、受け取った。味見と差し出されたのは楊枝に刺さった生チョコで、いいかもしれないと思ったチョコレートの中にも入っているものだった。
 普段からチョコレートを好んで食べることは少ないし、食べたとしても板チョコやクランキーくらいのものなので、いかがですか?と問われて、美味しいですね、というごくありふれた感想しか出なかったのは仕方がないことだった。大量生産の板チョコなどと高級チョコを比べるのはどうかと思うが、味見した生チョコははるかに美味しい。
 かくして佐伯は、大きすぎず小さすぎない箱入りのチョコレートを一箱購入した。
 このチョコレートの出番は、三日後の月曜日――14日だ。
 用意はできた。
 あと必要なものは、……度胸くらい、か?
 楽観視とまでいかずとも、構えすぎていても仕方がない。
 勝算は100パーセントではないけれど、0パーセントでもない。
 邪魔が入らないといいけどな、ともしかしたらあるかもしれない事態を憂慮しつつ、デパートをあとにした。



 放課後の教室で、今まさに教室を出ようとしているところで呼び止めた。

 肩より15センチ程の長さの黒髪を揺らしながら、は振り返った。
「ん、なに?」
 くったくのない笑顔で首を傾げる彼女は、テニス部唯一のマネージャーだった。一年の頃から部活仲間の彼女と急速に仲良くなり始めたのは、三年に進級して同じクラスになってからのことだ。
 いつも一所懸命で、よく動いて気の回る、相応しい表現ではないと思うが、出来るマネージャーだった。彼女がいてくれたから、自分たちは好き勝手にやれた、とそんな風にも思う。
 だからこそ自然に惹かれて、好意を寄せるようになった。もっとも「好きだ」と自覚したのが先月末のことで、胸は張れないのだが。自覚した時にさっさと告白しなかったのは、教室でと彼女の友人の話を聞いてしまったからだった。聞こうと思って聞いたのではなく、忘れ物を取りに戻った教室で彼女たちが話していたのを扉の外で偶然聞いてしまった。
 溶けるくらい見つめて告白。
 自分で言うのもなんだが、になら言える自身がある。
 けれどそれなら、彼女の心に残るようにしたいではないか。了承されるか否かは、この際横に置いておく。否としたら身も蓋もなくなってしまう。
 それに、どのような種類でも好意は持たれているはずだ。それがどの位置にあるのかわからないまでも、知るためには――彼女を独占したいのなら、行動あるのみ。
「ちょっとだけ時間くれる?」
 佐伯はの側に寄って、そう言った。
「え、うん、いい、けど…」
 戸惑いを瞳に浮かべつつ、は頷いた。
 佐伯は礼を言って、と学校を出、近くの浜辺へ誘った。
 テニス部の部室があるところと正反対の、テニス部が練習でけっしてこない場所まで行き、足を止めた。冷たい海風は堤防に遮られ、二人には届かない。
「ここ懐かしいね」
 周囲に視線を遣り、は瞳を細める。
「そういえば、剣太郎、ここにいたんだよな」
 一年前の出来事に少しの間花を咲かせたあと、佐伯は切り出した。
「君に渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
 小首を傾げるに、鞄の中から若草色の両手に乗るほどの大きさの箱を取り出し、差し出した。
「君が好きだ」
 佐伯はの瞳をまっすぐに、熱く見つめて言った。
 色素の薄い瞳はじっとを見つめたまま微動だにしない。
 熱を集めたかのように、見ていて溶けてしまいそうな視線の熱さと、耳に届いた言葉には動くことができない。
 時を止めてしまったかのように自分を見上げたまま動かないを溶けるくらいに見つめていたのは、二分程だろうか。時間の感覚がなくて正確なことはわからないが、佐伯は薄い唇を開いた。
「君の答えを聞かせてくれないか?」
 視線を逸らすことなく言った。
「……………――――」
 がようやく発した声はとても小さく聴こえない。彼女の唇は「う」と「い」の母音の形に動いたように見える。だが、それは自分の期待を含んでいるから、はたしてそれで正解なのかわからない。
 もう一回と言うべきか逡巡した時、今度ははっきり音になって聴こえた。
「…私も、好き」
 佐伯は嬉しそうに頬を緩ませ、思わずを抱き寄せた。
「さ、サエっ!?」
 びっくりしたが反射的に佐伯の胸を押し返すと佐伯は我に返り、あ、ごめん、との背中に回していた腕を解いた。
 佐伯は誤魔化すようにコホンと小さく咳払いして、あらためて、と言い、桃色のリボンがかかった若草色の箱を差し出す。
 ははにかんだ笑みを浮かべて、それを受け取った。



 ――溶けるくらいに見つめられて告白されたいと思わない?

 ねえ、
 溶けるくらい見つめて告白されるのって、心臓にすっごく悪いわよ。
 は恋人と手を繋いで歩きながら、内心で呟いて小さく笑った。
「どうかした?」
 柔らかな声が頭上から降ってくる。
「チョコレート、食べるのが楽しみだなって思って」
 内心で呟いていたことは言えないから別のことを言ったけれど、嘘ではない。
「俺は少し緊張してるけどな」
「どうして?」
「そういうチョコレートを買うのも渡すのも初めてだからさ」
 二人はどちらともなく、楽しそうに、幸せそうに笑い合った。




END


キミとチョコレート5題「000.溶けるくらい見つめて告白」/Fortune Fate様

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