頬に降る雨




 フェンスを気にしなければ、屋上は開放的な空間だと思う。
 見上げれば天気のいい日には青空が広がっていて、気持ちがいい。
 それに、屋上に来て騒ぐ生徒はほとんどおらず、静かなところも気に入っている。
 さすがに寝転がって寝るということはないけれど、春の日の穏やかな昼下がりに眠気を誘われるのはわかる気がする。
 そして場所によっては、グラウンドを――正確にはテニスコートを見ることができる。テニス部は浜辺で練習していることが多いような気がするけれど、コートでの練習が全くないわけじゃない。
 彼がテニスをしている姿はコート近くのほうがよく見えることはわかっている。
 けれど、彼の名を呼ぶ女子生徒の声を聞くと、その人気の多さに自分との距離を感じてしまう。コート外で見学している女の子全員が佐伯目当てではないだろうけれど、彼の名が一番多く聞こえる。
 そんな喧騒から隔離された屋上は、彼を独り占めできる空間だ。
 周囲の声を気にすることなく佐伯だけを見ていられて、誰に何を言われるでもない。

 今は昼休みでテニスコートには誰もいない。
 それでも屋上に来たのは、天気がよくて気持ちがよさそうだったからだ。
 昼休みに入って一目散に来てしまったから、そろそろ教室に戻らないと弁当を食べる時間が少なくなってしまう。
「………お弁当って言うのもいいわね」
 不意に動かした視線の先で、弁当を広げているカップルが目に入った。
 残念ながら彼氏はいないので、実行するなら友達とになるのだが、楽しそうだなと思った。
 は二人を視界に入れた時のようにさり気なく逸らし、空を見上げた。
「…なんか降りそう。傘ないのに」
 先程まではいい天気で青空が広がっていたのに、空がみるみると雨雲に覆われていく。
 遠くの空は晴れているから、通り雨だろうか。
!」
「えっ?」
 突然呼ばれて驚きのまま反射的に振り返る。
 声で誰だかわかっていたが、今この瞬間に、ここに佐伯がいる理由がわからない。
「濡れないうちに中へ入ったほうがいい」
「え?」
「雨が降りそうだ」
「あ、うん、それは今思ってた――」
 の言葉が終わらないうちに、灰色に染まった空から一粒の雨が頬を掠めた。
「こっちだ」
 ぐいっと右手を引かれて、佐伯に引かれるままは足を動かした。
 頬を濡らした雨は瞬く間に数を増やし、校舎へ戻る扉までたどり着いた時、一気に降り始めた。
 ざあざあと細かな雨が屋上を濡らしていく様を見ながら、はほっと息をついた。
「間一髪だったな」
 佐伯の言葉には頷く。
「うん、私だけだったらきっと濡れていたわ」
 佐伯は少しだけ瞳を瞠り、ついで笑った。
「そう言ってくれると嬉しいね。迎えに来た甲斐があったよ」
「迎え?」
 黒い瞳を瞬いて、は首を傾げる。
「もしかして私、先生に呼び出しされてるの?」
 身に覚えがないのだが、他の理由が思いつかない。
「ははっ、違うよ」
「え、じゃあ?」
「昼飯、まだなんだろ?」
「う、うん」
 上手くはぐらかされたと思うのだが、佐伯の笑顔が爽やかで突っ込んで訊くことができず、はただ頷いた。
「じゃ、戻ろうか」
「さ、佐伯くんっ」
「ん?なに?」
「て、て」
「てて?」
 佐伯は不思議そうな顔で首を傾げる。
「手が…」
「このまま――」
「え?ごめん、聞こえなかった」
「なんでもないよ」
 佐伯はから手を離し、階段を降り始めた。
 自分から手を離して欲しいと言っておきながら、離れた寂しさに右手に視線を落とす。

 階段の途中で不意に佐伯が振り返り、名を呼んだ。
 佐伯の声の優しさに頬を緩め、は彼の後を追って階段を降り始めた。 




END

屋上で5題「5.頬に降る雨」 / Fortune Fate様

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