いつから意識していたのか

 いつから好きになっていたのか

 自分でもわからない

 ただ 気づいた時には好きになっていた

 告白するには今更で

 なにより微妙な距離が尚更それを躊躇わせる




内に秘めた情熱




 四限目の終了を合図するチャイムが教室内へ響く。
 世界史担当の教師が授業の終わりを告げ、起立、礼が終わると、教室内は途端に賑やかになった。
 授業が終わり昼休みになったのだから、無理もない。
 購買に走る者、昼食前から食べ終わった後の話をする者など様々だ。
、お弁当食べよ」
 その声に教科書とノートを机にしまっていたは顔を上げた。
 黒い瞳に親友のの姿が映る。
 若草色の包みを手に笑うに、は申し訳なさそうに眉をひそめた。
「ごめん。ちょっと購買で買ってくるから待ってて」
 そう言うと、は驚いたように瞳を丸くした。
が購買?」
 は去年同じクラスになってからの友達なのだが、が購買に行くと言ったのは初めてのことだ。
 弁当がない時、はいつも学食を利用する。だからはそれに付き合って学食で一緒に昼食をとっている。
 その理由は、購買は人だかりが出来ていて買うのに苦労しそうだから、ということらしい。確かに人気の焼きそばパンやカツサンドのある日の盛況振りを見れば納得できる。そんなにも人気があるのなら一度位は食べてみたいと思うけれど。
「たまにはいいかなってね。じゃあ、行ってくるわ」
「いってらっしゃーい」
 に手を振って、財布を持って教室を出た。
 そして教室から離れたところで、ふぅと息をついた。
 あの様子ならには気づかれていないだろう。
 母親がきちんと用意してくれた弁当を忘れてきた理由が寝過ごして急いでいたからだと知られたら、寝過ごしてしまった理由を話さない訳にいかない。
「…なにやってるんだろ、私。作ったって仕方ないのに」
 ぼそっと呟いて、は廊下の窓へ視線を向けた。
 黒い瞳に映った秋の空は、憎らしいと思えるほど晴れ、澄み渡っている。
 何度、幼馴染じゃなければよかったと思っただろう。幼馴染であるから近いのに遠いと思ってしまう。
 手を伸ばしても届かないところにいる相手なら、憧れで終わったかもしれないのに。
 滅多なことで表情を変えない幼馴染。
 その彼の切れ長で理知的な瞳に、クールな眼差しの中に、情熱があるのを知ってしまった今は、好きだという気持ちが膨れるばかり。
 そんな彼の誕生日が今日、10月7日で、だから思わず、ケーキを焼いてしまった。あろうことか真夜中に。
 作るか作らないか迷って、あげなくても作れば気持ちが少しは晴れると思った。
 けれど結果的に気持ちが晴れるどころか、朝から彼のことばかり考えている自分がいただけ。
 はかぶりを振って思考を打ち切ると購買へ急いだ。
 食べたい物がある訳ではないが、遅くなると待ってくれているに悪い。


 が晴れない心を引きずって購買へ向かっている頃。
 3年6組の教室を眼鏡をかけた長身の男子生徒が訪れていた。
 二ヶ月前にテニス部を引退したばかりで、引退した今も一目置かれているその人――手塚はざわめく教室内へ足を踏み入れた。
 窓際にいる仲間兼友人たちの元へ迷いなく歩いていく。
 手塚が談笑しながら弁当をつついている二人に声をかけるより早く、一対の視線が向けられた。
「手塚」
「食事中にすまない」
 こちらに気づいて視線を寄越した不二に手塚は詫びた。
「どったの?」
「…僕らに用って訳じゃなさそうだね」
 菊丸の問いに答えようとした手塚は、不二の言葉に切れ長の瞳を細めた。
 どうしてこうも鋭いのだろう。
 だがわかってくれている方が話しやすいかもしれない。
がどこに行ったか知らないか?」
 その問いに答えたのは不二だった。
さんなら購買に行ったみたいだけど」
「そうか。ありがとう。邪魔して悪かった」
「手塚」
 踵を返した手塚を不二が呼び止めた。
 手塚は身体ごと振り返った。
「なんだ?」
「今日は君の誕生日だったね」
「……そうだな。それがどうかしたのか?」
 不二に言われて、今日が自分の誕生日だったことを思い出す。
 だがそれがなんの関係があるのか。
 訝しげに柳眉をひそめる手塚に、不二は小さくクスッと笑った。
さんも大変だなって思っただけ」
 言われている意味がわからない。
 だが追求しても不二は微笑むだけで答えないだろう。
 それがわかっているので手塚は瞳を細めただけで何も言わず、今度こそ教室を出て行った。


 手塚が不二にの居場所を訊いている時、そんなやりとりがあったことなど知らないは、混みあっている購買前で思案にくれていた。
 運の悪いことに今日は人気のあるパンを売っている日らしい。
 あまり食べる気がしないから軽い食事でいいか、と購買を選んだことを後悔した。
 今からでも教室に戻ってに学食へ付き合ってもらおうか。
 ペットボトルの紅茶を手に考えていた時だった。

 名を呼ばれて、は細い肩をぴくりと震わせた。
 視線を向けなくても誰なのかはすぐにわかる。
 低めだが、よく通る落ち着いた声。滅多なことで彼の声色はかわらない。
 は小さく息を呑んで、声がした方へ視線を滑らせた。
 よほど親しい間柄でない限り気づかない程の表情の変化しかないけれど、その顔は僅かに困惑している。
 けれど、眼鏡をかけた瞳はまっすぐにこちらを見ていた。
「なに?」
「それは俺のセリフだ」
 一歩、また一歩と手塚がに近づく。
 との距離を縮めた手塚は立ち止まり、薄い唇を開いた。
「今朝、俺を避けただろう?」
 部活を引退し朝練がない手塚は、クラブの朝練がない生徒や帰宅部の生徒が登校する時間帯に登校している。
 手塚家と家は向かいにあり、たまに家を出る時間が同じ時がある。
 そういう時、二人は一緒に登校していた。そう決めたのではなく、そうするのが自然で当たり前になっていた。
 けれど今朝は違った。
 が家から出てきたのと手塚が家を出たのはほぼ同時だったのだが、は手塚を見るなり視線を逸らし走り去ってしまった。
 どうしたのだろうと思案していると家の玄関扉が開き、の母が顔を出した。そして手塚はの母に頼まれた。お弁当を忘れていったから届けてくれないか、と。
 けれど、学校についてのクラスへ行ったが彼女は不在で、授業の合間の休憩時間も教室にはいなかった。彼女の友人か不二に預けてもよかったのだが、それでは今朝の理由が訊けない。
 だから理由を訊くため弁当を預けずにいたら、昼休みになってしまった。
「国光の気のせいよ」
「それならばなぜ、俺を見ない?」
 瞳を伏せて言うに手塚は指摘した。
 彼女の僅かに震えた声も、言っていることが嘘だと告げている。
「……見られないとは考えないのね」
?」
 か細い声に手塚は柳眉をひそめた。
 やはり様子がおかしい。
 けれど、その理由は検討もつかない。
 手塚は記憶を探ったが、思い当たることはまるでない。
 そもそも、昨日偶然帰りが一緒になり家の前で別れるまで、はいつもと同じだった。
 何かあったとしたらそのあとだが、そのあとはと接触がない。
「…私だけ……ってるなんて」
 八つ当たりなのはわかっている。
 けれど、溢れ出した感情をは止めることができなかった。
 目頭が熱くなり、泣きそうになる。それを唇を噛み締めて堪えると、は手塚から逃れるように走り去った。
 突然のことに一瞬思考を停止させてしまった手塚は我に返り彼女のあとを追おうとした。
 だが手塚は追いかけずに、その場で両手に拳を作って握り締めた。
 元生徒会長が廊下を走るなんて、と教師に注意されようとかまわないから彼女を追いかけたい。
 追いかけて捕まえて、理由を問い糺したい。
 けれどは絶対に言わないだろうことがわかっている。
 だから手塚はその場から動けなかった。
 ここにいても仕方ない…か。
 胸の内で溜息をついて、手塚はもう一度3年6組の教室へ向かった。
 不二の呆れたような顔が目に浮かぶが、の友人に詫びを入れなければいけない。


 校舎を出て裏庭にたどり着いたは、ようやく走るのをやめた。
 乱れた呼吸を整えながらゆっくり歩いて、銀杏の樹の下へ向かった。
 は太い幹に背中を預けると、ずるずると座りこんだ。
「……やっちゃった」
 あはは、と自嘲気味に笑いながら、右手で前髪をかきあげる。
 手塚とは物心ついた頃からの付き合いだが、考えてみたらケンカをするのは初めてだ。自分が一方的に怒っているだけでケンカとは少し違う気がするけれど、気まずい心情は変わらない。
 視界がゆがみ、眦から涙が頬を伝い落ちる。はそれを手の甲で拭い取った。
 昼休みだから裏庭には多くの生徒がいる。ゆえに知っている人に見られるかもしれないと思った。
「…、待ってるよね…」
 左手に持っているペットボトルの存在に、教室で待ってくれているだろう友人のことを思い出した。
 けれど、教室に戻らなくてはと思うのに戻る気にならない。
 おそらく幼馴染が教室にいるだろうから。
 途方にくれたように息をついて、は空を見上げた。
「国光が不二君だったらよかったのに」
 そうしたらきっと、今のようなことになっていない。
 言わなくても気配で気持ちを察してくれて。
 物腰は柔らかくて、さりげなく優しくて。
 自分の考えには苦笑した。
 もし手塚が不二のようだったら、きっと惹かれてはいない。
 ポーカーフェイスに隠された、わかりづらい優しさが好きだから。
 滅多に表に出ないけれど、彼の内に秘めた情熱を知ってしまったから。

 初秋の空の下、あれこれ考えているうちにずいぶん時間が経過していた。
 がそれに気づいたのは、昼休みがあと5分で終わることを告げるチャイムの音だった。
 チャイムの音が響くと、おしゃべりに花を咲かせていた生徒も、サッカーをしていた生徒も、校舎の中へ入っていく。
 けれどは動かなかった。授業を受ける気になどならない。
 五限目をさぼろうと決めたは、校舎から見えない死角へ移動した。
「ここなら見つからない…かな」
 一人ごちて、再び座り込むとは瞳を閉じた。
 時間を潰せる道具はない。だからできることはひとつしかない。
 吹き抜けていく秋風が心地いい。
 昨夜の寝不足もてつだって、の意識は夢の中へ沈んでいった。
 それから数分後。
 眠っているの傍へ近づく人影があった。
「…眠っているのか」
 授業が始まる時間になっても戻って来ないから探しに来てみれば、手塚の心配を他所には眠っていた。
 伏せられた長い睫毛。凛とした瞳は姿を隠している。
 少しの間の寝顔を見ていた手塚は思い立って学ランの上着を脱ぎ、にそっとかけてやった。昼間とはいえ風に当たりっぱなしでは身体に悪い。
 そして手塚はの正面へ腰をおろした。
 そのままを見つめて、どのくらいの時間が過ぎただろう。
「…ん…」
 柔らかな唇から吐息のような声が零れた。
 ついで、ゆっくりと双眸が開いていく。
「…っ」
 瞼を上げたは、驚愕に瞳を瞠った。
 まっすぐな視線に射抜かれたように、身体が動かない。
「…ど…して…」
 喉が掠れて上手く声が出ない。
「お前を探していたからに決まっているだろう」
 手塚は事実を淡々と述べる。
 だが彼の表情は言葉のように冷たくはない。
「どうして不機嫌なのか、俺を避けるのか、話してくれ」
「…さっきも言ったでしょ。気のせいだって」
 そう言いながらは立ち上がろうとしたが、それはできなかった。
 阻むように手塚の腕が細い両肩を抑えたから。
「くに…みつ?」
「三度も逃げられるのはごめんだ」
 少しでも動いたら唇が触れて――キスをしてしまいそうな距離に、手塚の顔がある。
 至近距離で、痛いくらい真剣な瞳で見つめられて、は顔をゆがめた。
 この状態で話さないわけにいかない。もう、逃げられない。誤魔化せない。
 は手塚から僅かに視線を逸らして口を開いた。


「…俺も同じだとは考えなかったのか?」
 の話を聞き終えると、手塚は静かな声で言った。
「同じ…?」
「俺がお前を好きだとは考えなかったのか」
「えっ?」
 が驚きに瞳を瞠るのと、手塚が華奢な身体を抱きしめたのは同時だった。
「人の気も知らないで…。…心配させないでくれ」
 耳元で掠れた声が響く。
 その声は優しくて、少しだけ甘い。
 コクンと頷くと、ふっと手塚の身体が離れた。
 かすかに微笑んでいる手塚に、の口が自然に動いた。
「誕生日おめでとう、国光」
 今朝とさっきはごめんね。
 小さな声で付け加えたに、手塚はフッと笑った。
「お前が作ったケーキで帳消し、だな」
「え?」
「どうして驚く?」
「だって国光、甘い物あまり好きじゃないでしょ」
「まあな。だが、お前が作った物なら別だ」
「ど、どうしたの急に?」
 心がときめくセリフなど、手塚の口から聴くのは初めてだ。
 むしろ言うなどと思っていなかった。
 予想していない事態に、の頬が赤く染まっていく。
「別にどうもしない」
 口端を僅かに上げる手塚に、はちょっとした仕返しだとわかった。
「もうっ、からかっ…っ」
 抗議をしようとしたを手塚は再び腕の中に閉じ込める。
のせいだろう」
 耳元で囁いて、ようやく捕まえた幼馴染が逃げないように、腕の力を少しだけ強めた。




END

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【手塚部長&跡部部長お誕生日企画:VS.mode】投稿作品
手塚部長 お題:「内に秘めた情熱」

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