各学年12クラスもあるのに、三年間続けて同じクラスというだけですごいと思う。 でも、それだけではなかった。神様はもうひとつ、贈り物をしてくれていた。 彼もきっとそれに気がついている。自分から言う人ではないから、彼の口からは聞けないだろうけど。 クラスで班分けがされるたびに同じ班になれる確率は低いはず。だから、ずっと同じ班なのは奇跡なんじゃないかと思う。 その奇跡とも言える時間は、もうすぐ終わりを迎える。 けれど、これから先ずっと忘れないだろう。 あの人と一緒に過ごせた時間を――。 同じクラス、同じ班 柔らかな陽射しが差し込む窓の外から、運動部の掛け声が聞こえる。夏が終わるまでは、その掛け声の中に彼の声もあった。 無性に懐かしく感じるのは、卒業を間近に控えているからかもしれない。 そんなことを考えながら、は静かな教室でカメラのシャッターを切った。教室の入口から見た教室。教壇から見た教室。自分の席から見た黒板。 は自分の席のイスを引いて、それに座った。そして構えたカメラのレンズを好きな人の席へ向けて、シャッターを切る。 「……もう会えないんだよね」 机に頬杖をついて呟いて、視線を窓へ向ける。視界に映った青い空に、は眩しそうに瞳を細めた。 あの空を飛んで、彼は行ってしまう。遠い場所へ。 彼が留学することを知ったのは、年が明けてすぐのことだった。それから二ヶ月が経つ。 言葉を交わせるのは、あと二ヶ月あると思っていたけど、二ヶ月などあっという間に過ぎてしまった。 彼の顔を見られるのも、話をできるのも、あと数日しかない。 しんみりした気持ちを追い払うように、は緩くかぶりを振った。 静か過ぎる教室にいると、どうも寂しいことばかり考えてしまう。時刻は午後を過ぎたばかりで、いつもなら昼休みの時間だ。けれど、二月下旬の今、三年は午前中に終わってしまう。 ホームルームが終了し、30分程教室で話をしていたクラスメイトたちも皆いなくなり、いま教室にいるのはだけだ。 そろそろ帰ろうとがイスから立ち上がった、その瞬間。不意に教室の扉がガラッと音を立て、開かれた。 「あ、今帰りま――」 見回りの教師だろうと視線を教室の入口へ向けたは、立ち上がったままの体勢で固まった。 驚いて声が出ないの傍へ、扉を開けた人は近づいてくる。 「いつまで驚いているんだ」 少し困ったような顔で言われて、はようやく我に返った。 「ご、ごめんなさい」 「いや。俺のほうこそ驚かせて悪かった」 僅かに視線を伏せる手塚には首を横に振る。 はイスから立ち上がると、手塚に正面から向き直った。 「何か忘れ物、ってコトはないよね」 じゃあ、何をしに来たのだろう? 彼が教室での思い出を振り返りに、ってことはないだろう。卒業式までは数日ある。 先生が何かを頼んだというのもないだろう。もし頼まれていても、ホームルームは30分以上前に終わっているのだから、頼まれごとなど終わっているだろう。 皆目思い当たることがなくて、は首を傾げた。 考えることに夢中になっていたので、は手塚の声が耳に入らなかった。だが、考え事をしていなくても、聞こえなかっただろう。彼の声は、口の中で紡がれたとても小さなものだったから。 「お前は写真を撮っていたのか?」 「うん。一人記念撮影会」 首から提げていたカメラを外し、机の上に乗せた。使いこまれたそれは、三年前の春、入学祝に買ってもらったものだ。プロが使うような高額なカメラではないけれど、一眼レフのこのデジタルカメラは気に入っている。 これがなかったら、あの夏の日に最高の一枚を撮れなかった。 「…いい写真が撮れたみたいだな」 フッと笑みを零す手塚に、は思わず見惚れた。 手塚は常に冷静な顔をしていて、あまり微笑むことはない。だから本当に微かな笑みでも貴重だ。 「わかる?」 「顔を見ればな。それに…」 手塚は言葉を区切って、切れ長の瞳でを見た。 「一年の時から、同じクラスで同じ班だっただろう」 その言葉には我知らず呼吸を止めた。 それはが考えていたこと。 驚きを心の奥に隠して、は口を開いた。 「…すごい偶然よね」 やっと搾り出した言葉は震えていて、動揺に気づかれていないか不安になる。 話の流れで出た話題なのだろうが、今のにはあまり触れられたくないものだ。 そんなことを今言われたら――教室で彼のことを考えていたから、思わず言ってしまいそうになる。 は一瞬だけ堅く瞳を閉じて、そして開いた。 手塚を好きな気持ちは眠らせる、と決めていたから。 「そう言えば、テニス留学するんだってね」 「ああ」 知っていたのか、と零す手塚には頷く。 手塚が留学するのを知っているのは、ごく一部の人たちだけというのを、は知っている。彼女が留学のことを知っているのは、友人を通じて知り合ったテニス部の人が教えてくれた。その教えてくれた人は今頃、自分の友人と一緒にいるだろう。 「これ、私からの餞別」 は鞄の中を探って、封筒を取り出した。その青い封筒を手塚に差し出す。 手塚は不思議そうな顔をしたが、封筒を受け取った。 「これは?」 何かと訊ねる手塚には微笑みを向ける。 「開けてみて」 封筒は封がされていない。 言われたままに封筒を開け、中に入っているものを取り出し、手塚は絶句した。 写真に写っているのは、不二と自分。 「君でもそんな風に笑うんだね」と不二に言われた時の笑っている顔が写されていたのだ。驚かないはずはない。 彼女は地区大会から試合に来ていたけれど、まさかほんの僅かな瞬間を撮られていたとは。青学ベンチにいたと思っていたのに、いつのまに顔を写せる場所に移動したのだろうか。 疑問は尽きない。が、手塚は追求するような性格ではないので、黙り込んだままだ。 眼鏡をかけた切れ長の瞳は、驚きに瞠られている。 微かな表情の変化しかないけれど、手塚の表情は実は豊かだと知ったのは、いつごろだっただろう。 はくるりと反転して、手塚に背中を向けた。顔を見て言うのは、少し気恥ずかしい。 「その写真ね、一番好きな写真なの。ずっと持ち歩く位。でも、私が持っていても仕方ないから」 手塚が何か言うより先に、は言葉を続ける。 一緒に過ごせる時間が欲しいと思っていたのに、いざできると緊張してしまう。 「それ、乾君に見せたことないから安心して」 顔だけを手塚に向けて、は小さく笑った。 そんな彼女に手塚は首を横に振ると、生真面目な顔で言った。 「これはお前が持っていればいい。いや、持っていて欲しい」 耳に届いた言葉には黒い瞳を見開き、手塚へ身体ごと振り向いた。 驚いて声がでない。 手塚は驚いたままのとの距離を僅かに縮める。 「その代わり、俺にはお前の写真をくれないか?」 何か言わなくてはと思うのに、声にならない。 そんなことを言われたら、もしかしたら、と期待してしまう。 「……ど…して?」 手塚は「わかっているだろう」とは言わなかった。 切れ長の瞳を一度だけ瞬いて、口元にごく僅かな微笑を浮かべる。目元が微かにわかるくらいに赤く染まっていたが、彼を見ているのが精一杯のは気がついていない。 「が――好きだからだ」 一呼吸分おいて紡がれた手塚の言葉に、は頭の中が真っ白になった。 テヅカクンガワタシヲスキ…? 「?」 肩を軽く掴まれて、心配そうな声で名を呼ばれ、はハッとした顔で手塚を見て、視線を彷徨わせると、俯いた。 頬がとても熱い。耳も、熱い。 「……駄目か?」 「まさか!」 落ち着いた声で紡がれた言葉には反射的に顔を上げて、叫ぶように言った。 視線を上げたが見たのは、瞳を微かに和らげた手塚の顔。 その顔を見た途端、嬉しいけれど恥ずかしいと思う気持ちが、体中を駆け巡る。 けれど、ちゃんと気持ちを口にしたい。 は一度深呼吸した。 「……わっ、私も好き」 「そうか。ではこれからもよろしく頼む」 青学が全国優勝を決めた時よりも嬉しそうな顔で手塚が微笑む。 その柔らかな笑みに思わず見惚れるの右手を手塚は取り、彼女の手のひらに笑っている自分が写っている写真を乗せた。 「お前の写真を楽しみにしている」 翌日にから貰った写真と、卒業式の日にテニス部の友人が写してくれた二人で肩を並べた写真は、大切にフォトフレームに入れられ、留学した手塚の部屋に飾られた。 END 【SEIGAKU VICTORY FOREVER】企画提出作品 お題:「同じクラス、同じ班」(配布元:「負け戦」様) BACK |