幸せの音




 秋の気配を含んだ風が頬を撫でる。陽が暮れるまで数刻ある今、風は肌に心地よい。
 うろこ雲が浮かぶ秋空の下、二人は並んで歩いていた。寄り添うほど近くはないが、離れているでもない微妙な距離感を保って。ほんの少し手を伸ばしたら手を繋げるのだが、自分から繋ぎにいく勇気はない。かと言って、隣を歩く彼のほうから手を繋いできたりということもないのではないかと思う。
 付き合っているのに手さえ繋いだことがないのは寂しい。けれど、遠くから見ているだけだった時よりずっと近くに、傍にいられるのだから、それは嬉しい。
「………どうした?」
 上から降ってきた柔らかさを含んだ声に、ははっとして首を横に振った。
「ううん、なんでもない」
「そうか?ならばいいが」
「あ、あのね、手塚くん」
 どことなく緊張を湛えた瞳を向けてくるに手塚は僅かに首を傾げた。
「今度の金曜日なんだけど、手塚くんちに行ってもいいですか!?」
 思い切って、という表現がふさわしいくらいの問いかけに、手塚は一瞬面食らった。問われた内容に。必死なお願いをしているかのように瞳を閉じている彼女に。
 手塚はそんな彼女を見て、NOと言うのは鬼ではないだろうか、などと若干ずれた感想を抱いた。
「かまわないが」
 突然のことに驚いたが、返答はYESだ。が必死だからというのもあるけれど、これといった予定はないし、断る理由もない。
「ほ、本当?いいの?」
 手塚はダメならダメとはっきり言う人なのはわかっているけれど、思わず確認してしまう。
「ああ」
 軽く頷いてくれた手塚にはほっとしてほのかに笑った。
「ありがとう、嬉しい」
 緩く首を傾けて、心底嬉しそうな顔をするに手塚は微笑んだ。それは、切れ長の瞳を微かに細めて口端をほんの僅かに上げただけの、ほんの僅かな微笑みだった。



 下校中に約束をした日から三日後の金曜日。
 昇降口で待ち合わせをした二人は、手塚の家へ向かった。
 閑静な住宅街の一角、純和風という言葉が似合う一軒家が彼の家だった。
 玄関の引き戸を開けて家の中に入った手塚に促され、も家の中に入った。それを確認し、手塚は戸を閉めた。と、奥から誰かが出てくる音がする。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい。 あら?」
 出てきた人の視線が向けられて、は慌てて頭を下げた。
「こ、こんにちは。と言います」
「まあ、やっぱり」
「へ?」
 なにがやっぱりなんだろう?と顔に書いたに、目の前の女性はにっこり笑って。
「国光の母です。さ、上がってゆっくりしていって」
「は、はい、お邪魔します」
 あれよというまに家に上げられ、はリビングらしき部屋へ招かれた。
「すまないな」
「え、あ、ううん、全然」
 手塚に声をかけられて、ようやく自分が置かれた状況に気がついた。いつの間にか椅子に座っていて、テーブルを挟んだ向かい側に彼が座っていた。
「……ね、さっきのや――」
「国光ったら全然彼女を連れて来ないんだもの。いつになったら連れてきてくれるのかってやきもきしてたのよ」
 気になって手塚に訊こうと思っていた言葉は、楽しそうな手塚の母――彩菜の声に遮られ届かなかった。
、今何か言いかけただろう。なんだ?」
 こうして気にかけてくれるさりげない優しさも好きだな、と思いながら、は首を横に振った。
「ううん、いいの。なんとなくわかったから。ありがとう」
 頬を緩めて微笑むに手塚はフッと笑った。
「お前は些細な事でいつも礼を言うな」
「そ、そうだった?」
「ああ」
 自覚していないのもらしいな、と胸の内で手塚が呟いた時。
「コーヒーでよかったかしら?」
 どうぞ、とテーブルにコーヒーカップが置かれた。そういえば先程、お茶を淹れるわね、と言われたような気がする。あっというまだったから、よく覚えていない。
「すみません、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 自分ではない礼の声がし、は瞳を瞬いた。さっき感じた違和感が、また。
「国光、買い物に行ってくるから留守番お願いね」
「はい」
 頷いた手塚に、は違和感の正体がわかった。彼は帰宅した時から母に対して敬語で話をしているのだ。
 新しい一面を知っちゃったな、と嬉しい気持ちで手塚を見ていると、訝しげな瞳が向けられた。
「なんだ?」
「敬語なんだなって思って」
 ふふっと笑うと、手塚は眉間にかすかな皺を寄せた。
「おかしいか?」
「おかしくて笑ったんじゃないわ」
「いや、そっちではない」
 慌てて否定すると、これまた即行で否定された。怒らせたわけではないことにほっとし、は口を開いた。
「手塚くんらしいから、おかしいとは思わないけど?」
「そうか」
 そう言って、手塚はコーヒーを口に運ぶ。
 そんな彼の姿を素敵だなあ、と思わず見惚れていると、ばちっと目が合ってしまった。
 これではじっと見ていたのがバレバレだ。誤魔化すように視線を彷徨わせると、椅子に置いた紙袋が目に映った。家に行っていいか、と訊いた、その最たる理由のもの。思い出したの行動は早かった。紙袋から包みを取り出し、手塚に差し出す。
「お誕生日おめでとう!」
「ありがとう。 見てもいいか?」
 うん、と頷くと、手塚はプレゼントの包みを開けた。
 開いた箱に入っていたのは、グリップテープとガット、リストバンドとタオルだった。
「実用的な物ばっかりでごめんね。ルアーとかのほうがいいかなって思ったんだけど…」
「そんなことはない。ありがたく使わせてもらう」
 瞳を優しく細めて微笑む手塚に、は白い頬を微かに赤く染めて嬉しそうに微笑んだ。




END

陽だまりの恋のお題「04.幸せの音」 / 恋したくなるお題様

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