カーテンの僅かな隙間から、光が部屋の中へ射し込んでいる。 目が覚めた周助は腕の中に閉じ込めた婚約者の寝顔をじっと見つめた。 ブランケットから覗く白い首に幾つもついた赤い花は、周助がつけたキスマークだ。 それは首だけでなく、胸元、背中、太腿の内側、背中などいたるところにある。 「、怒るかな?」 首につけたシルシに長くしなやかな指をそっと這わせて、周助は苦笑した。 明日は二人でウェディングドレスを選びに出かけよう。 昨日そう約束したのだが、昼間と夜とで周助がにつけたキスマークはひとつやふたつではない。 の卒業式が終わったあと、この新居にを連れて来た。 あまりにも彼女が愛しくて可愛くて、どうしようもなくて。 昼間に抱いただけでは足りなくて、風呂から出て少し休んだあとで、夜も周助はの体で触れていない箇所はないほど愛し、幾度となくの中に熱を奔らせた。 彼女の限界まで追いつめては動きを止めて、ねだる彼女を再び限界まで追いつめて、二人ほぼ同時にいったのは片手では足りない。 大切な人が腕の中にいる。 その真実が嬉しくて、幻ではないことを確かめるように。 止めようとすればするほど止まらなくて、何度も何度も求めた。 ――……あ…ッ…しゅ…う…っ、好、き…っ 掠れた甘い声が名前を呼んで、愛の言葉を紡ぐ。 背中に回された白く細い腕が縋りつくように絡みつく。 それがこの上ない幸福で、眩暈がしそうだった。 「……ん…」 柔らかな唇から微かな声が溢れ、細い体が小さく身じろぎした。 それを色素の薄い瞳に映して、周助は幸せそうに微笑んだ。 そのまま可愛い寝顔を見つめていると、閉じられていた瞼がゆっくり開き、黒い双眸が姿を見せる。 周助は色素の薄い瞳を愛おし気に細めて微笑んで、赤く色づく唇に甘くて蕩けるような優しいキスをした。 名残り惜し気に柔らかな唇を解放して、朝日に透けてブラウンに見えるの黒髪をそっと梳く。 「おはよう、」 穏やかな微笑みを浮かべて見つめてくる周助に、は白い頬を僅かに赤く染め、ふわっと花が咲くように微笑んだ。 「…おはよう」 「大丈夫?動ける?」 の前髪を梳きながら訊くと、頬を真っ赤に染めて小さく頷いた。 「だ、大丈夫」 恥ずかしそうに言ったの頬に、周助は謝罪のキスを落とす。 「ごめん、」 「あ、謝らないで…その、…う…嬉しかった、から…」 か細い声で言った婚約者は、昨夜のことを怒ってはいないようだ。 だがおそらく、キスマークには気がついていないだろう。 「僕も嬉しかったよ。が愛しくて仕方なかった。だから、ごめんね」 「……いいって言ってるのに」 は赤く染まった頬で困ったように微笑む。 周助が求めてくれて、愛してくれて、嬉しかった。 途中から意識が朦朧としていてあまり覚えていないのだが、激しすぎて壊れてしまうかと思ったけれど、本当に嬉しかった。 だから周助が謝る必要はない。 けれど、そういう意味ではないことがすぐに明らかになった。 「ここだけじゃないんだ」 周助は長い指で白い肌の鎖骨に触れた。 彼の指先を追うと、そこには赤い花が幾つも咲いていた。それを目にしたは耳まで真っ赤に染めた。 キスマークは鎖骨だけに留まらず、胸の上、胸の谷間、腹にもついていた。 太腿の内側や足の甲、確認できないけれど背中やヒップにもつけられている気がする。 一晩でこれだけの花を散らされたことはない。それだけ彼が愛してくれた証拠ではあるけれど、冷静に見るとすごく恥ずかしくなってくる。 けれど。 「……嬉しかったって言ったじゃない」 小さな声が耳に届いて、周助は切れ長の瞳を瞠った。 「愛してる、」 彼女が愛しくてどうしようもなくて、華奢な体をギュッと抱きしめた。 そして、細い指を絡め取り、左手の薬指にはまっているエンゲージリングにキスを落とした。 大切な人 〜 eternal love 〜 優しい風が花の香りを運んで、窓から部屋の中へ流れ込んでくる。 鏡に映る自分の姿が自分ではないような気がする。 周くんの傍にいること ずっと想い描いていた。 ずっと待ち望んでいた。 ウェディングドレスを着て、誰よりも大切な人と結ばれる日を夢見ていた。 ずっと、ずっと…。 今日はその想いが叶う日。 控えめにドアを叩く音が聴こえて、それとほぼ同時に懐かしい声がドア越しにの耳に届く。 「、支度が終わったって聞いたから来たわ」 懐かしい親友の声に、は黒い瞳を細めた。 急に決まった式なのに、日本から来てくれた。 「あ、私が開けるわ。は座っていなさい」 エスターがイスから立ち上がろうとしたを制し、アンティークのドアを開けた。 「久しぶりね、。今日は日本から直接?」 はエスターに頷く。 「ええ、国光と一緒にね。急だったけど、直行便がとれたから」 「大変だったのね」 「大変だったよ。久しぶりにからエアメールが届いたと思ったら、結婚式の招待状なんだもの。私はまだ学生だからいいけど、国光やみんなは日程調整とか大変だったみたい」 エスターと話しながらはとの彼我を縮めた。 「、とってもきれいよ」 「ありがとう、。嬉しい」 ふふっと控えめに微笑む親友に、はにっこり笑いかける。 「不二君、絶対に惚れ直すよ」 「もうっ。はすぐそういうこと言うんだから」 学生時代に戻ったみたいだ。 よくこうしてにからかわれたものだった。 卒業して二年しか経っていないのに、なんだかとても懐かしい。 「ねえ、。いつまでいられるの?」 「明後日までいるわよ。せっかくイギリスに来たんだもの。ゆっくりしないともったいないでしょ?新居にも遊びに行きたいし、話したいことは山積みだしね」 楽しそうに笑うに、はくすっと笑って。 「よかった。私もね、に話したいことがたくさんあるの」 「楽しみね。 ところで、おじさんとおばさんは?」 部屋の中にいるのはエスターと自分だけ。 が結婚式に両親を呼ばないなんてことはありえないから、来ているだろう。けれど、姿が見えない。 「エスターと入れ違いに出ていっちゃったの。お友達とゆっくり話しをしなさいって。少し前までアデルとルナもいたのだけど」 「二人も来てるのね。久しぶりだし、少し話しに行こうかしら」 「それなら私も行くわ」 「え?二人とも行っちゃうの?」 驚いた声を上げるに、二人は声を揃えて言った。 「そろそろ来そうだから、邪魔者は会場へ行ってるわ」 エスターとは顔を合わせて笑い合うと、控え室を出ていった。 壁に掛けられたアンティーク調の時計が時間を刻む音が、部屋の中に響く。 二人が出て行ってすぐに、部屋に足音が近づいてきた。 「ちゃん、入っていいかしら?」 ドアの外からかかった声に、は瞳を瞠った。 優しい声は、姉のように慕っている人のものだ。 「ええ、由美子さん。どうぞ」 返事をするとドアが開き、周助の姉の由美子が姿を見せた。 は由美子に小さく会釈をした。 「お久し振りです」 「ふふっ。元気そうでよかったわ。真っ白なシルクのドレス、ちゃんの雰囲気にぴったりね。とても似合っているわ」 肩を出したエーラインの裾のシルクのドレス。胸元をはじめ縁取りにリバーレースが施された、柔らかなラインの清楚なドレスは、のイメージにぴったりだ。 「ありがとうございます。オーダーメイドなんて初めてだったし…とても素敵なドレスで私も驚いてるんです」 愛らしく微笑むに、由美子は瞳を細めた。 周助が独占したい気持ちがわかるような気がする。 そんな事を考えているとドアをノックする音が聞こえて、の返事を待たずに控え室のドアが開いた。 「あら、周助」 「姉さん。急にいなくなったと思ったら、のところに来てたんだね」 両親と姉と弟が揃ってイギリスへ来てくれたのは、二日前のことだった。 の卒業を待ってから式を挙げることは周助の中で決まっていたことだが、家族にとっては寝耳に水の出来事だった。単身赴任している父は驚愕し、一つ下の弟には呆れられた。だが、母と姉は喜んでくれた。 ただあまりに急だったので、少しはちゃんの御両親のことを考えなさい、と母に怒られたけれど。 の両親にはウェディングドレスを決めにいった日のうちに式を挙げることを連絡をしていたが、そのあと正式に結婚式の日程を連絡したら、早さに驚かれてしまった。 「廊下でちゃんのお友達に会って、支度が終わってるって教えてくれたのよ。だから周助がちゃんを独占する前に会っておこうと思って、先に来たの」 由美子は周助ににっこり笑って言って、弟からへ視線を戻した。 「困ったことがあったらいつでも相談してね。あなたは私の大事な義妹なのだから」 「由美子さん…」 は黒い瞳を感極まったように細め、由美子を見つめた。嬉しさに涙が零れそうになるが、それをなんとか堪えては微笑んだ。 由美子はそれに微笑みで答え、またあとでねと控え室を出ていった。 二人の間に刹那の沈黙が流れる。 「とてもきれいだよ、」 「本当?」 「ああ。君がとても美しくて、ドキドキしてる」 由美子がいたから冷静を保っていられたが、もしいなかったらドアの所で立ち止まっていただろう。 ドアを開けて瞳に飛び込んできたはとても美しくて、周助は息を飲んだ。 今も抱きしめてしまいたい衝動を堪えているが、そろそろ限界かもしれない。 賛辞の言葉に照れているがとても可愛くて、とても愛しくて、仕方がない。 「周くんもとってもカッコイイよ。こんなに素敵な人が旦那様になるんだって思ったら、私もドキドキしてきちゃった」 白い頬をほんのり赤く染めて笑うに周助はクスッと笑って、細い体を壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。 「惚れ直してくれた?」 周助が色素の薄い瞳を細めて訊くと、は小さく頷いた。 「真っ白なフロックコート、とても似合ってるわ」 「フフッ、ありがとう」 周助は両手での頬を優しく包んで、柔らかな唇に甘いキスを落とした。 一度離して、もう一度キスをしようとした瞬間。 「兄貴!さん!」 控え室のドアが大きな音を立てて開いた。 「裕太?」 「裕太君?」 不思議そうに瞳を瞠っている二人に裕太は頭を抱えた。 「なにやってるんだよ、兄貴」 「見てわかるだろ。を独り占めしてるところだよ。裕太こそどうしたのさ?そんなに慌てて」 「二人が来ないから様子を見てこいって父さんが言うから来たんだよ」 式は13時からで、今の時刻は12時47分。時間にはまだ少し余裕がある。 そんなに慌てなくても支度は終わっているから問題ない。 「まだ10分以上あるよ」 「えっ?姉貴から聞いてないのか?少し説明があるから時間が早くなったって。伝えに行きながら様子を見てくるわ、って言ってたんだけど」 裕太の言葉に周助は額を抑えた。 「姉さん…」 周助は呆れたように溜息をつく。 「すぐに行くよ。裕太は先に戻ってて」 「ああ、わかった」 踵を返して戻っていく弟の姿を見送り、周助は細い体を横抱きに抱き上げた。 「しゅ、周くん?」 「急いでドレスの裾が絡まって転んだりしたら大変だろ。でも、これなら安心だからね」 フフッと微笑む周助に、は目元を淡く染めて頷いた。 は落ちないように周助の首に細い腕を絡める。 「」 名前を呼ばれて、は周助の腕の中から彼の顔を見上げた。 いつもの優しい瞳ではなく、真摯な光を宿した瞳がそこにあった。 「永遠にを愛してる。神様に誓う前に、君に誓うよ」 「……っ、…わ、私も……永遠にあなたを愛します」 黒い瞳の目尻に一粒の透明な雫が浮かぶ。 それが頬を滑り落ちる前に、周助は唇でそれを拭い取った。 「僕の全てをかけて、を幸せにする」 「――っ、はい」 ヴァージンロードをゆっくりと歩く 微笑みながら待つ周助へ向かって 彼の穏やかな微笑みで、緊張は全て消え去っていく 「では、誓いのキスを――」 ゆっくりと重なる唇 黒い瞳からとめどなく涙が溢れて白い頬を濡らす 周助は長くしなやかな指での涙を拭って微笑んだ ロンドンの空は二人を祝福するように、真っ青に広がっていた――― END BACK |