夜が明けてから数時間が経過していたが、外はまだ薄暗いままだった。
 空は鉛色の雲に覆われていて、気温も低い。
 季節が秋から冬へ移り変わって数週間。冬は気温が低いというのは当たり前なのだが、昨日の天気予報では12月になってから一番の冷え込みだと言っていた。

 温かな室内に、白い湯気が立ちこめている。その中をクルクルと動き回る人影があった。が食事を作っているのだ。
 鍋の中をかき混ぜたり、オーブンの中を覗いたり、野菜や肉を切ったりと、忙しく動いている。
 朝食だけでなく夜のパーティの分も用意しているので、それなりに大変だ。けれど、結婚して初めてのクリスマスだからとは張り切っていた。
 夕食の下準備を終えたは、朝食の用意に取りかかった。
 楕円形の真っ白な大きい皿に人参、じゃがいも、ブロッコリーの温野菜を盛り付けて、メインのおかずをのせる。
「おはよう」
 耳に届いた穏やかで優しい声に、はオーブンを覗いていた黒い瞳をキッチンの入口へ向けた。
 そこには彼女の大切な人がにこやかな笑顔で立っていた。
「おはよう」
 花が咲くようにフワッとが微笑む。
 周助は色素の薄い切れ長の瞳を愛し気に細めた。愛妻の傍に寄って、華奢な身体を真綿で包むようにそっと抱きしめ、赤く色付く柔らかな唇に優しいキスを落とした。
 朝のキスは二人が結婚してから、毎日の習慣になっている。ちなみに朝だけでなく、いってらっしゃいのキス、おかえりなさいのキス、おやすみなさいのキスも存在している。
 それだけ仲がいいという証拠だと、周助は常日頃から思っていたりする。そしておそらく、もそう思っているだろうことは明白だ。
 一度離れて、再会を果たして。そして二人は結ばれた。
 だから、余計にそうなのかもしれない。
 余談だが、10月の終わりに日本から遊びに来ていた周助との共通の友人であるから、あいかわらずラブラブなのね、としみじみと言われていた。もっとも、は学生時代からずっとそう言い続けているのだが。
「いい香りだね。今朝は何を作ってるの?」
「ああっ!そろそろ出さなきゃ!」
 周助が腕の力を緩めると、は慌ててオーブンのドアを開けた。
 焼いていたものが焦げていないことを確認し、ホッと安堵の息をつく。
「よかった、上手く焼けた」
 嬉しそうに笑うに周助はクスッと笑った。
 彼女は料理も菓子作りもかなりの腕前なのだが、こうして料理を仕上げる度に嬉しそうに笑う。そんな妻が周助は愛しくて仕方がない。
「クロワッサンか。焼き立てだし美味しいだろうね」
「ふふっ。寒いから、焼き立てがいいかなって思ったの。だから夕べのうちにちょっと下準備したの」
 その言葉で、周助は夕食後の片付けをしている時にが何やらしていたのを思い出した。
 仕事があるのに家事をしてくれ、笑顔で帰りを待っていてくれる妻を少しでも手伝いたくて、周助はと 一緒に片付けをすることが多い。
 昨夜はいつもより長くキッチンに立っているな、と思ってはいたが、彼女が何をしているかまでは把握していなかった。
 周助はの優しい気遣いが嬉しくて、再び華奢な体を抱きしめた。
「いつもありがとう、
「ううん。周くんも、ありがとう」
 お互いに幸せそうに笑いあって、二人は再び唇を重ねた。




 White Christmas Eve




 空が暗くなり、空気が冷たくなってきていた。漆黒の空には月も星も輝いていない。
 その中を二人は仲良く手を繋いで歩いていた。
 今日はクリスマスイブで、二人は近所の教会のミサに向かっている。
 結婚してから初めて迎えるクリスマスが、は楽しみで仕方がなかった。勿論、周助も同じ気持ちだ。
 一昨年も去年も、心穏やかにクリスマスを過ごすことができなかったので、尚更だった。
 でも、今年は違う。
 手が届く距離に、大切な人がいる。
 笑い合って、抱きしめ合うことができる距離にいるのだ。
 愛する人の傍にいられる幸せと喜びを、神様に感謝せずにいられない。
 周助と手を繋いで歩いていたが、ふいに顔を空に向けた。
「あっ…」
「どうしたの?」
 に声をかけると、彼女は笑顔で周助を見つめた。
「雪が降ってきたわ」
 周助は夜空を見上げた。すると、小さな白いものがゆっくりと空から舞い降ちてくるのが見えた。
 微風に揺られてヒラヒラと地上に落ちてくるのは、真っ白な雪。
「きれ…くしゅっ」
「ちょっと薄着だった?」
 周助はの艶やかな黒髪に落ちた雪をそっと手で払って訊く。
 彼女は左右に緩く首を振った。
「ん、平気。 こうしてたらあったかいもの」
 は細い腕を周助の腕にぎゅっと絡ませた。恥ずかしさにほんのりと赤く染まった頬で、にっこり笑う。
 そんな彼女に周助はクスッと笑った。
「今日は大胆だね、。 今夜は手加減できないかもしれないよ?」
 切れ長の瞳を細めて言うと、は周助の腕に捕まったまま、顔を周助の二の腕に埋めた。
「……もっ…恥ずかしいから…そういうこと言わないで…」
が可愛いことをするからいけないんだよ?」


 ミサが終わって外に出ると雪が少し積もり始めていて、見渡した一面は銀世界だった。
 闇色の空から、雪はまだ降り続いている。
「真っ白ね。きれい…」
 白い息を吐き出しながら言うに、周助はクスッと笑った。
 周助は知り合いが貸してくれた傘を開きながら、の顔を覗き込んだ。
「公園に行ってみようか?」
 そう訊くと、は笑顔で頷いた。
 周助は可愛らしいにフフッと微笑んで、華奢な手を取った。

 公園の中心にある大きなモミの木の周囲は人で溢れていた。
 闇夜に七色の光を放つツリーはそれは見事なもので、これだけの人がいるのも道理だ。
 そして、クリスマスイブで、雪が降っている。
 光だけでも十分きれいなのだが、それに重なるようにして降っている雪が目の前の光景を幻想的に見せていた。
「…きれいね…周くんと見られてよかった」
「僕もだよ。君とこうしてここにいられることに感謝しないといけないね」
 にっこりと笑いかけてくる周助の瞳を、はじっと見つめた。
 そして頬を赤く染めながら口を開く。
「周くんにね…話さないといけないことがあるの」
 周助の瞳が向けられると、は逃れるように俯いてしまった。
?」
 様子のおかしい妻の名を優しく呼ぶと、彼女は甘えるように抱きついてきた。
「………赤ちゃんがね…できたの」
 周助の腕の中で囁くように告げた。
「えっ?赤ちゃん?」
 確認するように言うと、は首肯した。
「三日前にわかったの。…黙っててごめんなさい。いつ言ったらいいかわからなくて……怒ってる?」
 恐る恐る顔を上げたに周助はクスッと笑って、首を横に振った。
 周助はの額に優しくキスをした。
のことだから、恥ずかしくて言えなかったんだろ?」
「う、うん」
「クスッ。そういう可愛いところ、少しも変わらないね」
「…周くんも意地悪なところ変わってないよ」
 拗ねた顔も可愛いと周助はフフッと微笑む。
「そうだね」
 周助は華奢な体をギュッと腕の中に閉じ込めて、赤く染まった耳元へ唇を寄せる。
「ありがとう、。嬉しいよ」
「私も…周くんが喜んでくれて嬉しい」



 降り続ける雪が大地を更に真っ白に埋め尽くした頃。
 家に戻った二人はクリスマスパーティーをして、リビングのソファでくつろいでいた。
 そのうちに早起きをしたせいか、は眠りに落ちていた。
 周助はの艶やかな黒髪を愛し気にそっと梳いた。
「愛してる。僕だけの―――」
 微かな寝息を立てる大切な人の耳元で囁き、守るように華奢な体を優しく抱きしめた。




END

「大切な人〜you still love〜」番外編。
本編完結後を設定。再録はしない予定です。
2004.12.24


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