仕事が終わって外に出ると、冷たい風が吹いていた。
 朝のニュースで今夜は冷え込むと言っていたので、防寒をしっかりしてきてよかった。けれど、それでも寒いのには変わりがないから、スーパーで買い物をして早々に帰ろう。
 そんなことを考えながら歩いていると、後ろから右肩を軽く叩かれた。

「あれ、
 が驚きに黒曜石のような瞳を瞠る。
 彼女は有給をとっていたので、会社近くで会うとは思いもよらなかった。




 聖夜の恋人 〜 First Christmas Eve 〜




、どうしたの?さっきから様子がおかしいよ」
 恋人として過ごす初めてのクリスマスイブ。は家に周助を招待した。
 去年は周助から素敵なプレゼントを貰ったから、今年は彼にプレゼントをしたいと思って。
 12月初めの休日にデートした時に誘ったら、嬉しいよと言ってくれた。
 それでは昨日の晩に料理の下ごしらえをして、今朝ブッシュドノエルを作った。
 料理は周助が手伝うと言ってくれていたので、彼が来てから一緒に料理を作った。
 周助は未成年なのでジュースで乾杯し、二人で作った料理を味わいながら過ごしているところだ。
「うん、ごめんね。なんでもないの」
「僕といても楽しくない?」
 首を傾けて訊いてくる周助には首を横に振った。
「とても楽しいわ。周助といられて幸せだもの」
 嘘ではないと証明するように、は隣にいる周助の瞳を真っ直ぐに見つめる。
 の言葉が嘘ではないのは、彼女が答えてくれるより前にわかっている。
 逢えないでいた間、電話やメールで話せなかったことを話している時も、の瞳は周助だけを見ていた。
 だが、ふとした瞬間に彼女は上の空になる。今回で三度目だった。さすがにこれでは気になって仕方ない。
 力になりたい。何でも一人で抱え込まないで、相談して欲しい。
 それが周助の本音。
「何かあったの?」
 ぐいっと身体を引き寄せて、周助はの瞳を覗き込む。
 彼の色素の薄い瞳が、心配そうに細められる。
「…がどうしてるかな、って心配で」
さんっての職場の?」
 のことは知っている。から話を聞いていたし、街で偶然出会ったこともある。
 の笑顔が月のようなら、彼女の笑顔は太陽のようで、とても明るい女性だった。
がね、先週の水曜日に彼と大喧嘩しちゃったらしいの。それでね、イヴに約束してるけど逢いたくないから別の人と過ごす、なんて言うのよ。説得したらわかったって言ってくれたけど…って時々すごく意固地になるから」
「それで心配なの? 恋人同士の語らいを邪魔するのは気が引けるけど、が心配なら電話してみればいいんじゃない?」
 そう言うと、の顔が曇った。
 彼女の顔を見て、周助はすでに電話済みなのを悟る。
「電話してみたんだけど、ずっと繋がらないの。携帯は電源を入れてないみたいで、家の電話は留守電なの。だから、昨夜の家に行ってみたんだけど、家にいないみたいで」
…。さんが心配なのはわかるけど、夜に一人歩きしたら危ないだろ。どうして僕に相談してくれないのさ」
「ごめんなさい」
 周助が怒っているのがわかって、はしゅんと項垂れた。
 彼女の黒曜石のような瞳が揺れているのを見て、周助は言葉を付け加える。
 語尾が荒くなってしまったが、怒っているつもりはなかった。ただ、心配しているのだとわかって欲しかった。
「僕のほうこそごめん。でもわかって欲しい。君が心配なんだ」
 ぎゅっと細い体を抱きしめると、首が小さく縦に振られた。
 まだ僕も修行が足りないな…。
 心の中で呟いて、の柔らかな唇に口づける。
 周助はを自分の足の上に座らせるようにし、細い体を横抱きにした。
 しばらく触れていなかったせいか、少しドキドキする。
 そんな彼女の緊張感が伝わったのか、周助はクスッと小さく笑った。
「それはあとで、ね」
 耳元で熱く囁かれて頬が熱を持ち始めるのと携帯がなったのは、ほぼ同時。
 びくりとなったとは正反対に、落ち着いている周助が彼女に携帯を差し出す。
 鳴ったのは、の携帯だった。ディスプレイの文字が消える瞬間に見えたのは、メールの着信であったこと。
 届いたメールはからのものだった。
「…よかった」
 どうやら仲直りできたらしい。
 安堵の息をこぼすに、周助の顔に笑みが浮かぶ。
 これでの不安は解決して、二人だけの時間を過ごせるのだ。
 それに、と周助は思う。
 にはいつも笑っていて欲しい。
「ね、周助。そろそろケーキ食べない?」
 は無意識に携帯の電源を落として、テーブルの隅に置いた。ちなみに周助はの家の前で、すでに電源を切っている。友人にも家族にも、誰にもとの時間を邪魔されたくないので。
 からもしかしたら連絡があるかもしれない、と電源を入れておいたのだろう。
「うん、そうだね」
「持ってくるわ」
 生クリームが溶けてしまうといけないので、冷蔵庫で冷やしてある。
 切り分けるナイフとフォークとお皿、紅茶かコーヒーを淹れなきゃね。
 そんなことを考えながら、立ち上がる。
 「僕も手伝うよ」
 気遣ってくれる周助には首を傾けて微笑んだ。
「ありがとう。それならコーヒーを淹れてもらっていい?」
「ああ、いいよ」
 が食器棚から皿とフォークを出している傍らで、周助はコーヒーを淹れ始める。
 彼女は紅茶よりコーヒー派で、コーヒーメーカーがあるのだ。淹れるなら美味しく飲みたいという人なので、ティーポットやティーカップもある。
 周助がコーヒーを淹れてくれている間に、トレイに食器類を乗せてリビングのテーブルに運ぶ。
 そしてケーキを取りにキッチンへ戻り、周助の傍に行く。
 じっと手元を見ている恋人に周助は首を傾げた。
「どうしたの?」
「ん…周助の淹れてくれるコーヒーがとても美味しいから、どうやって淹れてるのかなと思って」
 何度も淹れてもらったことがあるが、一度として淹れている所を見たことがなかった。
 見ないでと言われているわけではなく、周助が部屋に泊まった翌日、は起きられない。
 無論、その原因は周助にある。
 そして周助は、必ずコーヒーを淹れてくれる。
 そのコーヒーは自分の淹れたコーヒーより美味しいので、何か特別な淹れ方があるのかと思った。
「それは僕の愛がこもってるからじゃない」
 にっこりと微笑んで断言する恋人に、は瞳を瞬きさせた。
 周助は愉しげにフフッと笑う。
「僕はの作ってくれる料理と淹れてくれるお茶は、誰のものより美味しいと思うから」
「…褒め過ぎよ、周助」
 言われて悪い気はしない。むしろ嬉しすぎるくらいだ。
 けれど、あまりに自然でストレートに言うから、恥ずかしくなってしまう。
「フフッ、本当のことなんだから照れなくてもいいのに。君って本当に可愛い。ねえ、ケーキより先にを食べたくなっちゃった」
 甘い囁きと一緒に唇にキスが落ちてくる。
 先ほどの触れるだけのキスとは違う、熱くて深くて頭の芯が溶けてしまいそうなキス。息を吸う間もなく角度を変えて何度も繰り返される深いキスに、足の力が抜けていく。
「…しゅ…すけ」
 白い頬を桜色に染めて、弾んだ息で恋人を呼ぶ。
 潤んだ瞳にぐらつくのを耐えて、周助は微笑む。
 今夜は予定が決まっている。
「ごめん、ちょっと無理させすぎたね」
 言いながら細い体を横抱きにしてリビングへ運ぶ。
 温かなカーペットにを下ろし、桜色に染まった頬に軽くキスをする。
「ケーキとコーヒーを持ってくるから待ってて」
 が頷くと周助は微笑んで、キッチンへ戻った。

 そのあと二人はケーキを食べながら甘い時間を過ごした。
 そしてあたりが暗くなった頃、近くの教会へミサを聞きに出かけた。




END

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