大事故な空気発生




 背中にどんよりと重い空気を背負って、どうにか教室までたどり着く。
 テニスバッグを半ば床に放り出すように置いて、菊丸は椅子に座って机に突っ伏した。
 菊丸は心底落ち込んでいた。それはもうこのうえなく。
 今日は自分の誕生日で、彼女が祝ってくれるのを楽しみにしていたのだ。
 プレゼントが欲しいとかそういうんじゃなく、ただおめでとうと言ってもらえるだけでよかった。
 なのに彼女はおめでとうさえ言ってくれなかった。
 彼女はマネージャーだから、部活前は準備で忙しい。部活が終わったあとも片付けがあるから忙しないけれど、終わったあとなら邪魔にならないかと思った。
 だから声をかけたのに。
「ね、ちゃん。俺に何か言うことない?」
 ご機嫌を絵に描いた菊丸には瞳を瞬いて、一拍後にっこり微笑んだ。
「今朝もアクロバティック絶好調だったわね」
 期待していた言葉とあまりにかけ離れていて、菊丸は声が出なかった。
 に声をかけた時の笑顔のまま固まる菊丸に彼女は気がつかず、一年生部員に名前を呼ばれて行ってしまった。
 ショックで放心していた菊丸が大石に声をかけられた時には、すでにの姿はコートにも部室にもなかった。



「ずいぶん落ち込んでるね」
 頭上から降ってきた声に、菊丸は視線だけを傍に立つチームメイトでありクラスメイトでもある友人へ向けた。
「…不二だって俺と同じ立場になったらこうなるに決まってる」
「英二みたいなヘマを僕がするとでも?」
 クスッと笑う不二に菊丸はむむっと眉根を寄せた。
「慰めてんじゃないのかよ!」
 菊丸はがばりと上体を起こし噛み付いた。
 人が傷心してるというのに、慰めるでも宥めるでもなく、傷口に塩を塗りこむなんて悪魔か!と思わずにいられない。
「あんな言い方でちゃんに伝わると思うほうがどうかしてるよ」
「ええっ!?だって、俺の誕生日だよ?何か言うことないって言ったら普通言ってくれるじゃんか」
 当然だろうとばかりに主張する菊丸に、不二は呆れたように溜息をつく。
ちゃんがそんな言い回しで気がつくわけなけないじゃないか」
 それ以前に、菊丸が自分の誕生日をが知っていて当然、と思っていることにも問題がある気がする。彼氏ならともかく、部員の誕生日を彼女が記憶している、という思い込みがそもそも間違っている。つい先日の、河村の誕生日を彼女が忘れていたのは記憶に新しい。それなのに、あのような言い方でわかってもらおうというのが、無理な注文なのだ。ちなみに、不二はその点において抜かりはない。
「それにちゃんて案外鈍いところあるしね」
 その言葉に、不二なりになぐさめてくれてるのかな、と菊丸は思った。
 不二の表情から読み取ることはできないが、励ましてくれてるんじゃないかと思えば、気持ちが少し軽くなった。けれど、祝いの言葉を期待していただけに、本当の意味で軽くはならない。
「……はぁ。ちゃんの鈍さなんて頭になかったにゃ」
 がっくりと菊丸がうなだれた時。
「鈍くて悪かったですね」
 え?この声は…。
 どうにか首を捻って右斜め後ろへ視線を向けると、そこには冷ややかな目つきでが立っていた。
 菊丸は思わず唾を飲み込む。
「せっかく来たのに」
 の呟きに菊丸は瞳を瞠った。
 それって、もしかして気がついて言いに来てくれたってこと?
 期待に胸が膨らむ。けれど失言していることに気がつき、期待は一気にしぼんだ。
「もっ、元はといえば不二が言ったからっ」
 菊丸は立ち上がって不二を睨んだ。
「そうよ。不二くんが教えてくれたから来たの」
「そうじゃなくて…って、え、ええっ!?」
 菊丸は驚愕を露わにと不二を交互に何度も見、不二に視線を定めた。
「ふっ、不二!ちゃんに言ったならもっと早く教えてくれよ!」
「英二はサプライズのほうが好みかと思ったんだけど」
「そういう問題じゃない!」
「英二」
「なんだよっ」
 自分に向けられていない不二の視線を追った菊丸は、今になってがいなくなっていたことに気がついた。
「まだ言ってもらってない!」
 慌てて教室を飛び出した菊丸には、「謝るのが先じゃない?」という自分のことを棚に上げた不二の声は届かなかった。


 それから、に謝り倒して許してもらった菊丸が「誕生日おめでとう」と言ってもらえたのは、すっかり日が暮れた頃だった。




END

スクールライフ7題「3.大事故な空気発生」
Fortune Fate様(http://fofa.topaz.ne.jp/)

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