2004年、5月
――君と付き合い始めてから今日で一年あれはちょうど一年前の今日だったよね。
放課後の教室で君が僕に 『好きです』 って言ってくれたのは。
あの時君の身体は緊張のあまり震えていた。
僕の顔すらまともに見られなくて、俯いたまま、声を震わせて・・・
このまま倒れてしまうんじゃないかって心配になるくらいだった。
大人しくてクラスの中でも目立つとは言えない存在だった君が僕に告白してくれるなんて、
あの時は本当に驚いたよ。
そして、僕はそんな君の告白に、いいよって答えたんだ。
そうしたら君は一瞬凄く驚いた顔をして、それからこれ以上ないっていうくらい可愛い笑顔を見せてくれた。
僕は・・・君のそんな笑顔に、心の中で思わずシャッターを切っていた。
あの時は本当に不思議な気持ちだった。
その頃僕は君のこと、同じクラスだというだけでほとんど何も知らなかった。
普段ならよく知らない女の子から告白されても付き合う気にはならないのに。
勿論、誰でもいい、なんてことはなかった。
気が向いたから・・・というのも違う。
今から思うと、君が勇気を振り絞って告白してくれたあの瞬間から、確かに僕は君に惹かれていた。
そして付き合うようになって君のことを少しずつ知るたびに、君を愛しいと思う気持ちが育っていったんだ。
今では君は僕にとってかけがえのない女の子。心から大切に思っている。
でも君は、僕の君への気持ちはまだ100%じゃないと思ってるよね。
僕が君を好きだと言っても、君はどこか信じられないような顔をしていて・・・。
わかるんだ。
君のその表情を見てると。
だから今日こそ君にちゃんと伝えたい。
僕がどんなに君を好きかってこと。
そして、この腕の中にしっかりと君を抱き締めたい。
一年経った今、今度は僕が想いをちゃんと言葉にして、君の本当の恋人になりたいんだ。
言葉の花束(ブーケ)
今日は僕と彼女が付き合い始めた一年目の記念日。
彼女――
ちゃんは覚えているかどうかわからないけれど、ちょうど日曜日だということもあって僕は彼女をデートに誘っていた。
付き合って一年といってもお互いまだ高校生だし、僕の部活が忙しいこともあって二人きりのデートの回数はさほど多くは無かったと思う。
そのせいだろうか・・・付き合って一年も経つとは思えない、ある緊張感のようなものが僕たちの間には存在していた。
『まだ初々しい二人』 といえば聞こえはいいのだろうけど・・・
最近ではそのことが僕の胸に少し引っかかってきていた。
僕たちがデートをするとき、待ち合わせ場所にはいつも
ちゃんの方が先に来ている。
少し早めに着いた時でも、そこに彼女の姿がないことは今まで一度もなかった。
だけど今日こそは僕が先に行って待っているつもりで、1時間以上の余裕を持って僕は家を出た。
いつも待ち合わせに使う、駅前にあるアンティーク調の小さな喫茶店。
ドアを開けると、来訪を知らせる落ち着いた音色の鐘の音が店内に響く。
いつもの席に目を向けると、今日こそはと思ったのに
ちゃんは既に来ていて、僕の姿に気付くと微笑んで小さな手をひらひらと振ってくれた。
僕はマスターにコーヒーを注文してから、彼女の正面の椅子に座った。
「不二くん、こんにちは。」
「
ちゃん・・・早いね。今日こそは僕のほうが先かなって思ったんだけど。」
「ううん、私もついさっき来たばかりなの。気にしないで?」
いつも、来たばかりだって君はそう言うけれど・・・
僕は
ちゃんの前に置かれている、すっかり冷めてしまった白いティーカップに触れてから訊いた。
「でも・・・本当はずっと待っててくれたんだよね?」
「・・・え?ううん、そんなこと・・・」
「だってこのミルクティー、もうこんなに冷たくなってる・・・随分前に来てたんだね。」
「あ・・・私ね、不二くんが来てくれるのを待っている時間がすごく好きなの。だから、つい・・・」
ちゃんは恥ずかしそうに俯いて、少し照れたような笑顔でそう答えた。
「そう・・・それならいいんだけど。」
僕に気を使ってくれているというより、それが
ちゃんの本心なんだろう・・・ということはつい最近になってわかってきたことだった。
彼女はまだ僕に対して遠慮がちで、そのせいか僕にとって彼女はどこか掴み所が無いように思えるときがある。
以前はまだ付き合いはじめたばかりだからと思っていたけど・・・最近はそれが少しもどかしく思えたりすることもあった。
「じゃあ、行こうか?」
「うん。」
コーヒーを飲み終えて席を立つと、
ちゃんはまるでそれが決まりごとででもあるかのように、自分の分は払うと言ってくる。
待たせたんだから僕が払うよと説得するのもいつものことだった。
喫茶店を出て、僕は
ちゃんを連れてあるところへ向かった。
目的の場所は青春台の駅前通りの商店街を抜け、静かな通りをしばらく行った辺りにある。
ちゃんは僕より少し後ろを歩いていた。
僕が振り返って手を差し出すと、「大丈夫」と言って笑顔を見せる。
僕の方から彼女に近付くことはあっても、彼女の方から僕の傍に来ることはなく、常に一定の距離を保とうとしているように思えた。
そんな彼女の様子はまるで、僕と手を繋いだり必要以上に近付くのを避けているようだった。
――もちろん、気のせいかもしれない。
しかし、こういうことは仕草や表情、雰囲気からなんとなく伝わってくるものだと思う。
どうしてなのか・・・僕には彼女の気持ちが見えなかった。
・・・
ちゃんは僕のこと、本当に好きなんだろうか?
彼女のほうが先に僕に告白してくれたのに、彼女の気持ちがわからないなんて・・・。
普通の恋人たちの間に自然に漂う空気・・・そんな空気になるのを避けているようにも思える彼女の態度に、その時の僕は少しイライラしていたのかもしれない・・・。
「――あ、信号が変わる。
ちゃん、走るよ?」
前方にある横断歩道の信号が点滅しているのを見て、僕は道路を渡ろうと、無理に彼女の手を取って走り出そうとした。
それは半ば意図的にしたことで、彼女が本当に僕と手を繋ぐのに抵抗があるのか、試してみたい気持ちがあったからだった。
しかし・・・
「あ・・・ま、待って、不二くん。」
ちゃんはそう言うと、立ち止まって俯いてしまった。
そしてその表情は、確かに僕が思ったとおりであると告げていた。
「・・・ごめん、こうやって手を繋いだりするの、嫌なんだね?」
「あ、ううん、違うの。でも・・・こういうのってまだ・・・慣れてなくて・・・ごめんなさい。」
「いや・・・僕のほうこそごめんね。」
付き合って一年経つ僕たちだけど、お互いのことを知り尽くしているとは言えない。
そんな状態で焦っても仕方がないと思ってはいても、心の中は複雑だった。
「――
ちゃんは本当に僕のことが好きなの?」
「・・・え?」
心の中で呟いたつもりが声に出していたことに気付いて思わずはっとする。
たったそれだけのことでショックを受けているなんて自分で自分が情けなかった。
「いや・・・いいんだ。ごめん。」
ちゃんは俯いて少し考えていたが、やがて小さな声で僕の問いに答えてくれた。
「・・・好き、だから。」
「・・・え?」
「不二くんが好きだから・・・恐いの。」
「僕が・・・恐い?」
「ううん、そうじゃなくて・・・自分が・・・恐くて。」
「・・・どういうこと?」
ちゃんは少し寂しそうに笑うと、僕に背を向けて話し始めた。
「不二くんに優しくされるたびに、不安になるの。このまま後戻りできなくなるような気がして・・・。
いつか不二くんが私の傍から居なくなってしまう時のこと・・・考えると・・・」
「どうして・・・僕が居なくなるだなんて言うの?」
「だって不二くんは優しいから・・・私が可哀想だから付き合ってくれてるんだと思うの。
・・・私はいいの。それでもこうやって不二くんの傍に居られるだけで、嬉しいの。
・・・でも、不二くんには・・・」
「
ちゃん!!」
僕は多少強引とも思える力で彼女の腕を引き、抱き締めた。
初めて抱く彼女の身体は思っていたよりもずっと小さくて、僕の腕の中で小刻みに震えていた。
「知らなかったよ・・・
ちゃんが、そんなふうに思っていたなんて・・・。」
僕の彼女への気持ちが100%だと思ってくれてないとは感じていた。
けれどまさかそんなふうに思われていたなんて・・・。
「ごめんなさい・・・」
僕が何か言おうとする前に、彼女は僕の胸を両手で押し返すようにして、僕から離れた。
「
ちゃん・・・」
「ごめんなさい・・・私、不二くんを責めるつもりじゃなくて・・・」
「いいんだ。君が不安に思っていたのは気付いてた・・・だけど、そんなに思い詰めていたなんて・・・。
ごめん、こうなる前にちゃんと言っておけば良かったんだね。」
「もういいの、ありがとう、不二くん。今まで一年間、とっても幸せだった。
・・・ほら、覚えてないかもしれないけど今日が付き合って一年目なの。
だから今日はこうして会えて嬉しかった。
私、思ったの。今日一日だけ楽しく過ごせたら・・・もう付き合って欲しいなんて我侭は終わりにするって。だから・・・」
「
ちゃん?・・・それって、どういう意味?」
「・・・・・・」
ちゃんは唇をぎゅっと噛み締めて、それ以上何も言おうとしなかった。
そして・・・泣くのを堪えているような表情で俯いていた。
「・・・今日は僕たち二人の、付き合って一年目の大切な記念日だよね?」
「うん・・・。」
「ごめん。ここで少し、待っててくれる?」
「え・・・不二くん・・・?」
そう、記念日だからこそ僕は・・・
なのにまさか、君の口からそんな言葉が飛び出すなんて・・・。
目的の場所はもうすぐそこだった。
僕は目の前にある、行きつけのフラワーショップの前に彼女を待たせ、店の中へ入った。
店の中には所狭しと鈍い銀色のバケツが置かれていて、その全てに色とりどりの花が沢山生けられている。カントリー風の棚の上に置かれているサボテンを横目に見ながら奥のカウンターの方へ進むと、店主のおばさんが可愛らしいパステル色の花束にリボンをかけているところだった。
「おばさん、こんにちは。」
「あら、周助くん。いらっしゃい。丁度良かった。今、できるところよ?」
「ありがとう。」
「でも、珍しいわねぇ?周助くんが花束だなんて。あ、もしかして・・・彼女にプレゼント?」
「ええ・・・まあ。」
そう答えて、店の外に飾ってある鉢花や花苗を眺めている
ちゃんに目を遣った僕を見て、おばさんは納得したような笑顔になった。
「まあ、そうなの!きっと彼女も喜ぶわね。・・・はい、どうぞ。」
「・・・ありがとうございます。」
僕はおばさんからブーケの花束を受け取って、その店を出た。
店を出ると、
ちゃんは幸せそうな表情で花たちを眺めていた。
それは普段僕には見せてくれないような笑顔だった。
僕が見つめているのに気付くと、少し堅い、遠慮がちないつもの笑顔に戻って僕に手を振る。
そんな彼女に僕も笑顔で手を振り返して歩み寄り、そして手にしていたブーケを差し出した。
「
ちゃん、これ。」
「え・・・?うわぁ・・・可愛い。・・・これ、私に・・・?」
「そう。
ちゃんは花が好きだったよね?」
「うん。で、でも・・・あの、本当に・・・貰っていいの?」
「もちろん。
ちゃんのために作ってくれるように頼んでおいたんだ。
今日の記念日にプレゼントしたくてね。
今日会ったらこの花を君に渡して、言おうと思っていたことがあったから。」
「言おうと・・・思ってたこと・・・?」
ちゃんは少し複雑な表情になった。
僕が考えているのとは全く別の言葉を想像しているのかもしれない。
「
ちゃん?」
「は・・・はい。」
「これからも・・・ずっと僕の傍にいて欲しい。それとも、やっぱり僕じゃダメかな?」
「え・・・そ、そんな!不二くんの方こそ・・・私でいい・・・の?」
「ああ、
ちゃんだから、傍にいて欲しいんだよ。君じゃないとダメなんだ。」
「・・・不二くん・・・」
またどこか信じられないといった表情をしている
ちゃんに、僕はさらに続けた。
「
ちゃんは僕が同情で君と付き合っていると思っていたかもしれないけど、それは違う。
一年前、君が僕に勇気を出して好きだって言ってくれた時、確かに僕はまだ君のことをよく知らなかった。でも、OKしたのは君に惹かれている自分が居たから。
でなきゃ、付き合ったりなんてしなかったよ。僕はそんなに器用な人間じゃないからね。」
「・・・でも・・・私・・・」
「今までちゃんと言葉にしなくてごめん。
でも、
ちゃんは僕にとって誰より大切な女の子なんだ。信じて欲しい。」
「信じて・・・いいの?本当に・・・?」
ちゃんは瞬きもしないで僕を見つめていた。
やがてその瞳から一筋二筋と涙が頬を伝って流れ落ちた。
「
ちゃんはいつもどこか僕に遠慮していたよね?でも君はいつも笑ってくれていたから・・・僕は君の不安に思う気持ちに気付きながらもどこかで安心してしまっていたんだ。部活のことで頭が一杯だったっていうのもあるけど・・・僕のせいで君をこんなに不安で寂しい気持ちにさせることになってしまったんだね。」
「ううん・・・私が悪いの。私、不二くんが傍に居てくれているのにずっと自分に自信が持てなくて・・・不二くんの本当の気持ちにも目を向けようとしないで・・・」
「うん、だから今日は僕の想いをちゃんと
ちゃんに伝えるつもりで来たんだ。
僕がどんなに君を好きかってことをね。」
「不二くん・・・」
僕はまだ僕の手元にあった花束を、もう一度彼女に差し出した。
「好きだよ、
ちゃん。・・・これ、受け取ってくれるね?」
「嬉しい・・・私も、不二くんのことが好き・・・ずっと、ずっと好きだったの。」
そう言って微笑む
ちゃんの笑顔は、一年前のあの時僕の心に刻み込まれた笑顔と同じだった。
彼女は腕に抱えたどの花よりも遥かに綺麗で・・・僕はその笑顔がもう一度見られただけで幸せだと思えた。
「綺麗ね・・・この花束・・・本当に綺麗、それにとってもいい香りがするの。ありがとう・・・不二くん。」
「どういたしまして。良かった・・・やっとその笑顔を見せてくれたね。」
「・・・え・・・?」
「僕と付き合うことになったあの時に見せてくれた笑顔だよ。最近の
ちゃんの笑顔はどこか寂しそうだった。」
「それは・・・いつも、不安だったから・・・不二くんに嫌われないか・・・いつ、お別れを言われてしまうかわからない・・・って。」
「これからはもう・・・何も心配しなくていいよ。」
「・・・うん。」
ちゃんはコクンと頷いて、花の中に顔を埋めた。
その姿が愛しくて、僕はブーケごと彼女を胸に抱き寄せた。
今では
ちゃんも僕の胸に自然に身体を預けてくれていた。
ずっと触れてみたかった長い髪をそっと指で梳いてみると、その栗色の髪は彼女自身が纏う雰囲気のように優しくて柔らかくて・・・顔を寄せると微かに花の香りがした。
「好きだよ、
ちゃん。」
「私も・・・不二くんが大好き。」
「もっと何でも僕に話して欲しい。わがままでも何でもいい。
君の心からの笑顔をもっと見せて欲しいんだ。」
「うん・・・ありがとう。・・・ねぇ、不二くん?・・・私・・・」
ちゃんは何か言いかけて止め、頬をピンクに染めて俯いてしまった。
「・・・ん?どうしたの?」
顔を覗き込んで訊くと、なんとも彼女らしい答えが返ってきた。
「私・・・こんなに幸せで、いいのかな?」
「え?クスっ・・・何言ってるの?当たり前だよ。僕だって同じ気持ちなんだから。
・・・でも、そんなに幸せだと思ってくれるなんて嬉しいけど・・・ね。」
抱き締める腕に少し力を込めると、花束のセロファンがかさかさと音を立てた。
「あ・・・っ・・・」
「フフっ・・・気をつけないとせっかくのブーケがつぶれちゃうね。花たちが可哀想だ。」
僕がそう言うと
ちゃんは楽しそうにクスクスと笑った。
僕の腕の中で微笑む愛しい彼女の顔を覗き込むと、潤んだ瞳がゆっくりと閉じられていく。
僕はその柔らかい唇に、自分の唇をそっと重ねた・・・。
fin
2004.5.23
nao matsuno
一周年、ありがとうございました。
いらしてくださった皆様に感謝の気持ちを込めて贈ります。
これからも「Les heureux moments」をどうかよろしくお願いいたします。
松野なお
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【Les heureux moments】松野なお様より、サイト一周年記念に配布されていた夢を頂きました。
なおさん、サイト一周年おめでとうございます。
周助さんがヒロインに惹かれていく所、彼女への想い・・・
花束にしてそっと告げるなんて、とても素敵ですv
ピュアで鮮麗された素敵な夢をありがとうございました。
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