春から夏に変わる頃のある日曜日、私は周助と並んで列車に揺られていた。
仕事の関係でなかなか土日にお休みが取れない私と、高校生である周助にとっては久しぶりのデートだった。
昨日の夜の電話で、 『明日の日曜日、急に休めることになったの』 と言ったら
周助は朝一番に私の部屋にやって来て 『折角だから少し遠出しよう』 と言った。
どこへ行くのって聞いたら、眩しいくらいの笑顔と共に 『
の行きたがってたところだよ』 という答えが返ってきた。
行きたがっていたところ・・・といっても最近そんなことを言った覚えはない。
周助に聞いてもクスクス笑いながら 『すぐにわかるよ』 と言うだけで教えてくれない。
私は様々な考えに頭を巡らせながら周助の後について、列車に乗り込んだ。
波に抱かれて
仕事の忙しさも手伝って、ともすれば出不精になってしまう私をこうして外に連れ出してくれるのはいつも周助だ。
家でのんびりと過ごすよりも、周助と外へ出かけた方が疲れも取れてリフレッシュできるのだということを
彼と付き合うようになってから知った。
列車は見慣れた風景を通り過ぎて私たちを知らない町へと連れて行く。
そして、見えてきたのは・・・空の色を映してさらに深みを増した青だった。
「あ〜!もしかして・・・海?」
「そう。前に来たいって言ってたよね?」
「そう言えば・・・」
春の海が見たいと周助に話したのは確か去年の今頃だったような気がする。
周助も 『なら、連れていってあげる』 と言ってくれていたものの、あの頃の私は社会に出たばかりで
肉体的にも精神的にも大変で、海になんか出かけている場合ではなかった。
あれから月日が経って忘れてしまっていたけど、周助が覚えていて連れて来てくれたなんて嬉しかった。
「クスっ・・・やっと思い出した?」
「うん!ありがとう、周助。憶えててくれたんだ。嬉しい・・・。」
「どういたしまして。フフっ・・・良かった、喜んでくれて。」
「真夏もいいんだけど、この時期の海って好きなの。あまり人がいないし、それにほら、空も海も青いじゃない?」
「そうだね。海の色も優しい色をしているし、涼しくて気持ちがいいよね。」
「うん、あ・・・着いたみたい。周助ほら、早く行こう?」
「はいはい。」
すっかり嬉しくなった私は、目的の駅に着くと、周助の手を引っぱってホームへ降りた。
改札を通って駅から出ると、目の前には青い海が広がっている。
海の見える方角へ少し歩くと、すぐに浜辺に辿り着いた。
砂浜に立つと、暑くも寒くもない心地よい潮風が吹いてくる。
一歩踏み出すたびに靴の下で柔らかい砂が動いて気持ちが良かった。
「うわ〜潮の香り。・・・海に来るなんて本当に久しぶり。」
「思ったとおり、あまり人もいないみたいだね。」
しゃがんで砂を触ってみると太陽の熱ですっかり温まっていた。
真夏になると熱くてサンダルなしではいられないけど、今なら・・・
さらさらとした砂の上を裸足で歩いたらきっと気持ちがいいだろう。
(――靴、脱いじゃおうかなぁ?)
子供の頃のように、素足で砂浜を駆けまわってみたいと思った。
けれど、周助の手前、そんなことをするのは子供っぽいだろうかと躊躇してしまう。
周助よりも年上なんだから年上らしくしなきゃ・・・なんていう考えが私を消極的にさせるのは最近よくあることだ。
・・・だけど、そういう時は決まって・・・
ちらりと周助を見上げると周助は思ったとおり笑顔で私を見ていた。
目が合うと周助は悪戯っぽくクスリと笑う。
そして、履いていたスニーカーを脱いで裸足になると、突然走り出した。
「クスっ・・・
、波打ち際まで競争ね。」
「え、ちょっと!ず・・・ずるい〜!」
「ほら、早くおいでよ。」
「待ってよ、周助〜。」
慌てて靴を脱いで、私のよりひとまわり大きいスニーカーの横に並べると、周助の後を追いかける。
先を走っていた周助は笑いながら振り返って私の手を握った。
二人で手を繋いでやわらかい砂の上を走る。
こんなふうに笑いながら思い切り走ったのって何年ぶりだろう?
「
、走りすぎて転ばないようにね?」
「もう、知らない!いきなり走り出すんだもの。私が転んだら、周助のせいなんだからね?」
「フフっ・・・わかった。じゃあ転びそうになったら僕が支えるよ。」
言葉と共に繋がれた手に少しの力がこもる。
その力強さに私は安心して、そして嬉しくて胸がどきどきした。
波打ち際に先に着いたのは結局私のほうだった。
子供みたいに負けず嫌いな私の性格を周助はちゃんと知っていて、加減してくれたんだということはすぐにわかる。
それでも今度私の好きなケーキをご馳走してくれるという約束を交わして、私と周助は笑い合った。
寄せては返す穏やかな波にそっと足を浸してみると、水はまだ冷たかった。
「ん〜、冷たくて気持ちいい。波の下で動く砂の感触も、久しぶり。」
「こうして足を浸しているには気持ちがいいけど、やっぱり泳ぐにはまだまだ早いよね。」
「そうね、まだゴールデンウィークが終わったばかりだものね。」
「フフっ・・・だからこそ人がいなくていいんだけど。」
「ふふっ・・・」
それから私と周助は、ふざけて水をかけ合ったり、浜辺を歩いたり、そして貝殻を拾ったりして過ごした。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつくと日は暮れかかっていて、水平線の向こうはオレンジ色に染まり出している。
楽しかった一日の終わりが近付いていることに少しの寂しさを感じながら、二人で防波堤に並んで座って海を眺めた。
「周助、見て?夕日が海に反射して水面がきらきらしてとっても綺麗。見てるとだんだん沈んでいくの。」
「うん、本当だ。すごく綺麗だね。」
「・・・周助?」
『綺麗だね』・・・なんて言いながら、周助は水平線ではなく、こちらを見ていた。
海の方へは目を向けず、私の顔ばかりを見ている。
「・・・周助ったら・・・全然見てないじゃない。」
「ん?クスっ・・・見てるよ?ちゃんとね。」
「嘘、こっちばっかり見てるじゃない。夕日はあっち・・・」
「フフっ・・・だって
の瞳に写ってるからね。綺麗な夕日が二つも。」
「え?」
思わず周助の方を向いた私に、周助は笑いながら言った。
「クスっ・・・ダメだよ。
は夕日を見ていてくれなくちゃ。」
「・・・っ、だって、周助が・・・」
「まぁ、夕日なんかより僕を見ていてくれたほうが嬉しいけど。」
周助の言葉に私の胸がさらに高鳴る。
そんなこと言われたら・・・
そんな綺麗な瞳で見つめられたら私は・・・
あなたに溺れてしまいそう・・・だよ、周助。
どうしてこんなに・・・好きなんだろう。
今まで誰かをこんなに好きになったことなんてなかった。
きっと、これからも・・・。
周助と・・・ずっと一緒にいられたら・・・
「・・・どうかしたの?」
気がつくと、周助は心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「・・・え?」
「凄く難しい顔してる。」
「うん、あのね、海って広いなぁ・・・って」
私の言葉に周助はちょっと拍子の抜けたような表情をした。
それから少し楽しそうに笑う。
「フフっ・・・そうだね、広いよね。・・・一体何を言い出すのかと思ったよ、そんなに真剣な顔をして。」
周助はその繊細な手で、私の頬にそっと触れた。
「やだ・・・私の顔、そんなに真剣だった?」
「うん、何を考えてるのかなって・・・ね。少し心配した。」
「海ってね、広くて大きくて・・・でも溺れると恐いなって思って。」
「クスっ・・・大丈夫、そうそう溺れないよ。それに、
の傍にはちゃんと僕がついてるしね。」
『僕がついている』
さりげない会話の返事の中に、周助の男らしい優しさを感じて胸が熱くなった。
「・・・ねえ、周助は海みたいね。」
「そう?」
「ん、今日みたいに穏やかな海。広くて大きくて・・・安らぐ感じ。」
「へえ・・・嬉しいな。僕のことそんなふうに思ってくれてるんだ?」
「うん。だけど・・・海には溺れなくても・・・」
「?」
「・・・私、なんだか周助に溺れてしまいそうで恐い・・・な。」
思わず漏れてしまった本音。
言ってしまってから、私は恥ずかしくなって俯いた。
「フっ・・・」
しばしの沈黙の後、頭の上で周助の小さな笑い声が聞こえた。
「ん、もう!笑・・・」
『笑わないでよ、真剣なのに。』
そう抗議しようとして見上げたとたん、私の胸は大きく波打った。
数センチの距離にある周助の顔は、想像していたような笑顔とは少し違っていた。
周助の瞳や口元は・・・言いようのない柔らかい笑みを湛えていた。
それは、今まで見たことがないような表情で。
例えるなら・・・そう、『天使の微笑』・・・
切ないくらい・・・優しくて
限りなく・・・あたたかい。
見つめられているだけなのに、全身が周助の優しさに包まれて守られているような感じがした。
太陽の光の下で不思議な色合いに光る周助の瞳は私だけを映している。
「周助・・・?」
そっと名前を呼ぶと、返事の代わりに甘いキスが落ちてきた。
「
っていう海に溺れているのは僕の方だよ。もうずっと前からね。」
「・・・しゅう・・・・・・それ・・・?」
周助は優しい表情のままゆっくりと頷いた。
「好きだよ・・・時々自分でも堪えきれなくなるくらい。現に、今もね・・・。」
周助は私の身体を抱き寄せると、首すじに顔を埋めた。
彼の柔らかい髪が頬に触れ、吐息が耳元や喉の辺りにかかる。
見上げると、空にはいくつかの星が瞬いていた。
「私も・・・どうしようもないくらい周助が好き。」
私の言葉に顔を上げた周助は、唇に触れるだけのキスをした。
肩に回されていた周助の腕が腰の辺りに下りてきて、周助の唇が胸の辺りの素肌に触れる。
周助の熱が全身に伝わってくるような気がして、堪らなくなって私は身を捩った。
「・・・ごめん、
。幾らなんでもこんなところじゃ・・・ね?」
「うん・・・そうね・・・」
こみ上げてくる甘い感覚に眩暈を覚えながら、私は少し力の緩んだ周助の腕から身体を離した。
「大事な
に風邪をひかせるわけにはいかないから。」
「・・・うん・・・」
それでも身体の中に渦巻く甘い感覚は簡単には抑えることができず、私は複雑な思いのまま海を眺めていた。
穏やかな海の向こうの水平線はもう薄い紫色に変わっていて、夜が近いことを告げていた。
「すっかり日も暮れたし、そろそろ・・・帰ろうか?」
「・・・うん。」
行きと同じ電車に揺られながら、私は周助の肩に頭を預けていた。
苦しいくらいにこみ上げてくる周助への想いをどうすることもできなくて、ただ黙って隣にいる周助の体温を感じていた。
窓の外の景色が見慣れたものになってくるにつれて寂しさが増してゆく。
今日は周助とこのまま離れたくない・・・そう思った。
・・・でも・・・
周助はまだ高校生。年上の私がわがままを言うわけにはいかない。
私は深いところから湧き上がってくる感情をどうにか抑えようとそればかり考えていた。
その時、何も言わずにいる私を心配したのか、周助が私の顔を覗き込んで聞いた。
「
、どうしたの?・・・はしゃぎすぎて疲れちゃった?」
「・・・え?ううん、そんなことないよ?今日は嬉しかった・・・周助と一緒にいられて。ずっと行きたかった海にも行けたし。」
「そう、よかった。
が喜んでくれて、僕も嬉しいよ。」
「・・・ありがとうね、周助。」
「ん?何がありがとうなの?」
「傍にいてくれて・・・ありがとう周助。」
「うん・・・僕もね。」
その言葉と共に、唇に柔らかい感触。
瞳を開けると、至近距離にさっきと同じ周助の優しい笑顔があった。
列車はとうとう青春台の駅に到着し、私と周助はホームへと下りた。
駅を出ると、周助の家と私の家は逆方向になる。
「それじゃあ・・・」
お別れを言おうとした私の言葉を、周助が遮った。
「
、家まで送っていくよ。」
「今日はいいわよ。近いからすぐ着くし。周助だって疲れたでしょ?」
「平気だよ。それにいつも言ってるように、
に何かあったら僕が困るんだから。」
「ありがとう・・・ごめんね?」
こんなやり取りもいつものことだった。
私はいつも周助の優しさに甘えることにしている。
今日が終わったら、またしばらく会えないかもしれない。
まだもう少し一緒にいられるのだと思うとそれだけで胸が躍る。
空を見上げると、オレンジ色のまあるい月が私たち二人を導いてくれていた。
「・・・僕も
といられて嬉しいよ。」
周助がぽつりと言った。
「・・・え?」
思わず周助の方を見ると、周助も月を見上げていた。
「
は仕事が忙しいから時々しかゆっくり会えないけど・・・だからこそ
との時間、大切にしたい。」
「うん。私も同じ気持ちだよ、周助。」
「・・・だから今夜はこのまま・・・」
「・・・え・・・?」
心臓が大きな音を立てる・・・。
お互いの視線が絡み合う。
そして・・・少しの沈黙の後、周助がクスリと笑った。
「クスっ・・・ねえ・・・今夜は僕、 『送り狼』 になろうかな?」
「ええっ!?・・・もう、何よそれ・・・」
―― 『送り狼』 だなんて・・・もう・・・。
思わず呆れた顔をしてみせたけど、周助は気にする様子もなく、笑顔で続けた。
「たまにはいいじゃない。ほら、
だって今、このまま別れるの寂しいって顔してたでしょ?」
そう言って、私の顔を覗き込んで悪戯っぽく笑う。
周助のこんな笑顔も好きだけど・・・
そんなふうに見つめられると、どうしていいかわからなくなる。
頬が熱を帯びてくるのを感じて、私は思わず顔を叛けた。
「もうっ!・・・意地悪なこと言わないで。」
「意地悪じゃないよ。さっき海で言ったよね?僕はもう・・・堪えられないよ、
。」
その言葉の力強さに思わずハッとする。
見上げると周助は真剣な表情をしていた。
「・・・周助・・・」
「・・・今日はもう
を離したくない。いいよね?」
『いいよね?』 なんて聞かれて、断れるわけがない。
このまま周助と一緒にいたい・・・そう思ったのは・・・私の方・・・
周助のことが・・・こんなにも、好きだから・・・。
「・・・うん・・・私も。・・・ホントは同じこと考えてた。」
言うと、周助の表情がホッとしたように和らいだ。
子供のように無邪気で嬉しそうな笑顔に思わずまたどきりとさせられる。
「良かった。
、今夜はずっと一緒にいよう。」
「でも・・・大丈夫なの?周助」
「え?クスっ・・・僕は男なんだから、べつに一日くらい外泊したってどうってことないんだよ。」
「でも、明日は月曜だし、学校が・・・」
「平気だよ。朝、家に寄ってから行くから。」
「・・・・・・」
黙って俯いていると、今度は少し掠れた声で囁くように 「ダメ?」 と聞いてくる。
・・・反則だよ・・・周助。
『ずっと一緒にいよう』・・・だなんて。
そんなに嬉しそうな顔・・・するなんて。
そんなふうに・・・囁くなんて。
ドキドキして、何も言えなくなっちゃうじゃない・・・!
「・・・
?」
「・・・う・・・」
「『う』?」
「・・・・・・嬉しい。」
周助が私を見つめる瞳が驚いたように見開かれた。
・・・と思った次の瞬間、私は彼の腕の中にしっかりと抱かれていた。
「フフっ・・・やっぱりダメだ。僕は・・・」
「え?」
「完全に、
に溺れてしまってる。」
「周助・・・」
本当は溺れてるのは私の方・・・なんだけど・・・。
周助に抱きすくめられて、何も言えなくなってしまった。
どんなに苦しいくらい好きになっても
周助は必ず私以上に好きだと言葉で伝えてくれる。
振り返ると必ずそこにいて、笑顔で私を見ていてくれる。
『海』
そう、海みたいに大きくて広くて・・・穏やかに、時には激しく、私の全てを包み込んでくれる。
そして、たっぷりの愛情で癒してくれる。
(周助っていう海にだったら・・・溺れても、いい・・・)
月明かりに照らされた窓の傍、白い波の中で周助に抱かれながら、私はそんなことを考えていた。
fin
2004.06.14
nao matsuno
このお話をカウンタ26001を踏んでくださった綾瀬さんに捧げます。
綾瀬さん、リクエストありがとうございました。
拙くて、しかも長くて微妙な作品ですが(笑)、受け取ってくださると嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
松野なお
【Les heureux moments】の松野なお様よりカウンタ26001を踏んで夢を頂きました。
「年上ヒロインで、周助くんと春の海辺でデート」というリクエストをさせていただきましたら、
とっても甘くて心が安らぐ素敵な夢を書いてくださいましたvvv
周助くんと手を繋いで砂浜を走ったり、夕日を眺めたり・・・。
海のように穏やかで、時に激しくて。深い愛情で包み込んでくれる周助くんに、私も溺れています。
なおさん、とっても素敵なドリームをありがとうございました。大切にさせて頂きます。
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