「馬って綺麗よね。出来るなら乗ってみたいな...」
軽い気持ちでそう言った
の言葉が、全ての始まりだった。
突 然
「...信じられない...」
ぽつりと、
が呟く。
隣の幸村はサングラスの脇から微かに
に目を向け、クスッと笑った。
「そうかな。俺は
が言ったことを実行しようとしてるだけだよ?」
「...だから、それをポン、と実行しちゃう精市さんが!」
「
は俺と旅行は嫌だったのかな」
「.....そ、そういう訳じゃ、ないけど...」
言葉に詰まり、頬をほんのりと染める
に、幸村はますます愉しそうに笑う。
「ふふっ...
は大学への推薦枠に余裕で入ってるんだから、夏休みに遊んだって問題ないだろ?
コンクールも終わったんだし」
「...なんか違う気がする...」
いつもながら、幸村の行動力には驚かされる。
が問題の「馬に乗ってみたい」発言をしたのは8月に入ってから、演劇のコンクールが終わり、それを見に来ていた幸村にたまたま話の流れで何気なく出た言葉だった。
その時は笑みで受け止めていただけの幸村だったが、あれよあれよという間に行き先から宿の手配、果ては
の両親の承諾までもらって、今回の旅行となったのである。
行き先は伊豆の稲取。
今、幸村が運転するCR−Xの助手席に収まり、
は微妙に緊張している。
大学生となっている幸村は、入学前の1ヶ月弱で運転免許を取得していた。
日帰りでなら、何度か幸村とドライブもしている。けれど、泊りがけで、と言うのは初めて。
それをあっけなく許可した両親も両親だと思いながら、
は溜息をついた。
「...何緊張してるの、
...そんなに緊張してたら、馬に嫌われるよ?」
幸村がクスッと笑う。
「えっ、そうなの?」
は目を瞠って幸村の方を見た。
「馬は繊細な動物だからね。大切にしてくれる人かどうかは見分けると思うよ。適度な緊張は必要だろうけど、過ぎるのは良くないな」
本当は
の緊張の原因が2人きりの宿泊にあることを知りつつも、幸村はわざとそんな風に話を逸らしていた。
馬が繊細な動物だというのは事実だが、緊張しているから嫌われる、なんてことはないだろう。向かっているのは、初心者や旅行者が対象の乗馬クラブで、上級者向きのところではない。
「...なんか、精市さん、詳しそう...」
「俺は初心者じゃないから」
「え? そう、なの?」
「上級者って程でもないけどね。走らせる、までは出来ないから。でも、散歩程度は1人で出来る」
「...凄い...」
は素直に幸村を尊敬する。
テニスの腕は日本でもベスト10には確実に入り、勉強も出来て、運動神経もいい。幸村に出来ないことなどないのではないかと思えてしまう。
「精市さんって、苦手なことなんかなさそう...」
「ははっ、そんなことはないよ。俺にだって出来ないことはある。例えば、
のような演技とか」
「...それは出来なくても困らないでしょ?」
「まあ、そうだな。...後、針と糸は苦手だよ、俺」
「それも...自分で出来なくても困らないんじゃ?」
「...
は得意? 針と糸」
「私は、普通、かな。一応衣装縫ったりするのは手伝えるし」
「...なら俺が出来なくても安心だな」
「...え?」
さらりと告げられた意味深な幸村の言葉に、
はほんのりと頬を染めた。
素直な彼女の反応に、幸村は
を今すぐにでも抱きしめたくなるが、現在は国道135号線を運転中。我慢するしかない。
「...ふふっ。
、君のそういうところ、好きだよ」
「せ、精市さんってば...!」
は今度こそ真っ赤になってしまい、幸村はクスクスと笑うしかなかった。
伊東市内で新鮮な海の幸の昼食をとり、幸村は順調に車を走らせて行った。
熱川、片瀬・白田を通り過ぎると、目的地はもうすぐ。
幸村は山手へと右折する。
「山の方?」
「そうだよ。もう少しだから、
。初心者でも丁寧に教えてくれる所だから、安心していい」
「なんか、ドキドキしてきた...」
「ふふっ...緊張しすぎは良くないよ。深呼吸しておいて」
幸村はそう言うと、慎重に車を走らせ、目的地である乗馬クラブの駐車場へと辿り着いた。
を伴い、受付へと移動する。
「予約しておいた幸村ですが」
「...ああ、いらっしゃい。お待ちしてましたよ」
インストラクターの男性がニコニコと幸村たちを迎えてくれて。
は早速、ヘルメットを借りて、教えを乞うことになった。
幸村はその様子を側で見守ることにする。
「幸村さんは以前にもいらして下さってるから、練習はいいですか」
「はい。それに、ここに来させてもらってから、他所でも何度か乗ってますし。大丈夫ですよ」
インストラクターにそう答えて、幸村はニッコリと笑う。
「
、馬は大人しいから、信じてやって。信頼してやれば大丈夫だよ」
「...はい」
にあてがわれたのはクリーム色の綺麗な馬だ。目つきがやさしい感じで、
はその馬が気に入った。
「...よろしくね」
インストラクターの人の指示に従って踏み台を利用し、何とか馬にまたがる。
「わ、結構高いんだ...」
「じゃあ、最初は私が引き綱を持ったまま、ゆっくり場内を1周しましょう」
馬に乗って歩く、というのはなかなかに不思議な感覚で、最初は
おっかなびっくりだった
も、出発点に戻る頃には少し慣れていて。
自分である程度操れるようになりたいと、真剣に練習に取り組んだ。
元々飲み込みが早く、運動神経も良いほうの
は程なくコツを掴めるようになり、ゆっくり歩く程度なら自分で馬を操れるようになり、幸村を感心させた。
「へえ...なかなかやるね、
」
「えへへ...このコがやさしいからかも」
はやさしく自分を乗せてくれている馬を撫でてやる。
幸村はそんな
を穏やかな笑みで見つめ、提案した。
「だいぶ慣れたみたいだし、外へ出ようか。時間にして20分くらいだけど。木立の中の道を歩くのは気持ちがいいよ」
「...大丈夫かな、私...」
「危ないところはないから。俺は以前にも行ったことがあるし、大丈夫だよ」
「...そうね。精市さんが一緒だったら大丈夫よね」
インストラクターに許可をもらい、幸村はこげ茶色の馬にさっとまたがって
を先導する。
「ゆっくり歩くだけだから。心配しないでついておいで」
幸村と
は連れ立ってクラブの外に出て行った。
木々の緑が暑さを幾分か和らげてくれている。舗装はされていない土の道を、心地よい振動と共に進んでいく。
「...なんか、目線が違うから新鮮な感じ」
の言葉に、幸村はふふっと笑った。
「そうだね。自分の足で歩くのとは景色が違うから」
「...そうなの。それに、山の中だからか、空気も違う気がする」
「確かに。...もうちょっと行くと海が見えるんだ。そこで少し止まろう」
幸村は馬を慌てさせることなく、ゆっくりと進む。
やがて、少し開けた場所が見えてきて、幸村と
は馬の足を止めた。
「わぁ...眩しい」
少し遠い相模湾を望むその景色は、夏の太陽に照らされて輝いている。
「
、かなり遠いけど、海に影が見えるだろ? あれが伊豆大島だよ」
「あ、あの山みたいなの?」
「そう。今日は天気がいいからな。よく見える」
「...凄いね...本当に綺麗」
嬉しそうに声を弾ませている
に、幸村はそっと微笑みかける。
「...来て良かったかな?」
「ええ、勿論。...ありがとう、精市さん」
満面の笑顔で答えた
に、幸村も満足そうな笑みで頷いた。
その後もゆっくりと馬を歩かせ、2人は無事にクラブに戻ってきた。
ほっとすると同時に、自分を乗せてくれた馬とのお別れが寂しくて、
の表情が憂いを帯びる。
「...
? 疲れた?」
幸村が少し心配そうに顔を覗き込む。
「...違うの。このコとお別れかと思ったら、何だか寂しくて...」
大方1時間、一緒に過ごしたことで、馬に愛着が湧いたのだ。
温かくて、大人しくて、やさしい瞳をしていて...初めて馬に乗る
のいうことをちゃんときいて、幸村が操る馬と一緒に散歩までしてくれた。
は元来動物が好きな方だというのも手伝って、可愛くて仕方なくなっていたのだ。
「
...」
幸村が苦笑しながら彼女の手をそっと握る。
「馬もそろそろ、休ませてやらないとね。この暑い中、1時間以上も俺たちにつき合ってくれてたんだし、だいぶ疲れてきてると思うんだ。それに
だって少し休まないと。思うより、後から来るよ? 普段使わないような筋肉使ってるから」
「あ...そっか...」
『馬も疲れている』と言われ、
は納得した。確かに、最初はまたがるのすらひと苦労で、その間ずっと我慢してつき合ってくれていたのだ。
は幸村から離れてそっと馬の首筋を撫でてやった。
「ありがとうね、乗せてくれて。ゆっくり休んで」
「...名残惜しいかもしれないけど、そろそろ、行こう、
。運動した後でちょっとお腹も空いたんじゃないかな」
「言われてみればそうかも...」
「だろ?
の好きな、甘いものでも食べに行こう」
「ホント? 嬉しいな」
幸村と
はインストラクターにお礼を言ってから、駐車場に向かい、車に乗り込んだ。
「...うわっ、暑いな、やっぱり...」
「サウナみたい〜。車の中って締め切ってるから、仕方ないんだろうけど...」
「暫く窓を開けて走るしかないな。
、エアコン効いてくるまで我慢して」
「はーい」
幸村はサングラスをかけて、ゆっくりと車を動かした。
国道に出るころに、ようやくエアコンが冷気を送り始めたので窓を閉める。
「...そうそう、さっきの話だけど」
幸村が不意に切り出した。
「さっきの話って?」
「普段使わないような筋肉使ってるから、放置しておくと明日筋肉痛で辛くなる。今夜、俺がゆっくりマッサージしてあげるから」
「...え!?」
が微妙に頬を引き攣らせ。幸村は愉しそうにクスッと笑う。
「今夜泊まる部屋は露天風呂付きなんだ。お湯に浸かりながらゆっくり解してあげるよ」
「え、ええっ!? や、あの、え、遠慮、します」
「ふふっ、遠慮なんかしなくていいから。俺、上手いよ? マッサージ。足とか腕とか、腰とかね。それに、充分に温めてからでないと、逆に筋肉を傷めるし」
「や、だからあの...」
耳まで真っ赤になってしまった
に、幸村は笑いを堪えられなくなりそうで、丁度目的のカフェが見えたこともあり、急いで車を駐車場に入れる。
シフトレバーをPに入れたところで、幸村はとうとう笑い出した。
「はははっ...なんて表情(カオ)してるの!
...俺、水着持っておいでって言わなかった?」
「聞いてるけど...あ、も、もしかして、その為?」
「そうだよ。ふふっ...勿論、俺は何もつけないでもOKだけど?」
愉しげに笑い続ける幸村に、
はぷうっとむくれる。
「ひどーい。精市さん、私で遊んでるでしょう!」
「ふふふっ...
があまりにも素直だからさ、つい...」
「もう...!」
むくれたままの
の横顔に、幸村は笑いをおさめ、サングラスを外して真摯な瞳でそれを見つめる。
「...でも、俺は以前に言った筈だよ?『いつかは、
を俺のものにするから。覚悟だけはしといて』って。無理強いするつもりは勿論ないけど、考えて欲しい。俺は本気だから」
「精市さん...」
は幸村の瞳の強さに、彼の情熱と真剣さを感じてこくん、と頷く。
「ちゃんと...考える。夜、までに」
幸村は穏やかな笑みを浮かべて、
にそっとキスをした。
「...さて、とりあえずは小腹を満たしに行こうか」
普段通りの幸村の笑顔に、
も笑顔で頷いた。
END
綾瀬ちゃんが『不二くんと乗馬』を書くことに決まったチャットで、
「じゃあまりんちゃんは幸村で書いてねv」と切り返されまして(笑)書いてはみました。
でも、どー考えてもメインが違う...(苦笑)でも、楽しくは書かせてもらいました。
ヒロインちゃんが水着を着用したかどうかは、皆様のご想像にお任せします(笑)
こんなのでよろしかったらどーぞv
2005.9.15 森島 まりん
過日のチャットにて『綾瀬ちゃんは不二くんと乗馬ね』と決められたので、
「じゃあまりんちゃんは幸村で書いてねv」と発言(脅迫?)してみたら、引き受けてくださいました(笑)
まりんちゃん、素敵な幸村君をありがとうv ゆっきーにちょっとハマりそうな予感(笑)
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