昨日からの雨は夕方になってもまだやまずにいる。
こんな雨の日には色とりどりの傘が揺れて、普段は殺風景な通学路が賑やかになる気がする。
あちらこちらで咲き誇る紫陽花は、雨の滴でより輝きを増して、まるで喜んでいるよう。
傘の下から空を見上げると、朝よりは明るさを取り戻しているから、きっともうすぐ雨は止むだろう。
ふと、視線を感じて隣を見遣ると、優しくて穏やかな笑顔がそこにあった。
trio 〜優しい音〜
今日も不二と私、2人並んだ帰り道。
近頃、どうしてか不二とこうして一緒に帰ることが多くなっていた。
理由はわからない。約束をしたわけでもない。
なのに、ふと気が付いたら私の右隣にはいつも不二の横顔。
今日のように優しく降る雨は好きだったけれど、こんな時には嫌いになりそう。
だって、傘をさしたときの微妙な距離がもどかしいから。
相合傘をするほどの仲じゃない、友達という言葉も違う気がする不思議な関係の不二と私。
多分、あえて言うなら“クラスメイト”……それだけ。
2つの傘の中途半端な距離は、まるで自分と不二の関係をあらわしているような気がする。
「ねえ、不二は雨は好き?」
「雨?…そうだね、あまり好きじゃないかな。」
「へえ……意外かも。」
不二なら絶対に、雨も趣があっていいよ、なんて言うんだろうと思ってたから、その答えは正直意外だった。
しげしげと見つめてしまった私の表情が余程可笑しかったのか、不二はクスリと微笑う。
その笑顔に心臓がキュッと掴まれたような気がした。
ついつい恥ずかしくなって傘の下に隠れた私は、真っ赤になった顔色がこの赤い傘のせいだと
不二が思ってくれればいいのに……なんて考えてる。
沈黙の中、雨が傘を叩く音がリズミカルに響いている。
きっと、この音が私の胸のドキドキを消してくれるだろう。
心を落ち着かせようと、目を閉じて大きくひとつ息を吐いてみる。
そうしたら突然、不二がポツリと言葉を投げかけてきた。
「傘があると、じっくりと見られないじゃない?」
「何を?」
「の顔。」
「え」
一瞬思考が止まってしまう。嫌だな、どうして不二っていつもこうなんだろう。
わかっているのかいないのか人をからかうようなことばかり言って。
いや、わかっていないはずなんてないよね。不二のことだもの、絶対にワザとだ。
そんなことを思っていると、不二が今度は傘の下から顔を覗き込んでくる。
楽しそうに満面の笑みを浮かべていて、なんだか悪戯をたくらんでいる子供を連想してしまった。
彼と違って単純な思考回路しか持たない私は、悔しいけど、その笑顔にまたドキドキさせられてしまう。
「相合傘、しようか?」
「……へ、な、何急に?」
「クスっ、冗談だよ。」
「……もう。」
なんだ、冗談……ちょっと嬉しかったのに。
人のこと、ドキドキさせておいて 『冗談だよ』、なんて、本当に趣味が悪いんだから。
……思えばいつだってそう。
なんだか私ばかり負けてる気がして悔しくて、ちょっとだけ意地悪を言ってみたくなった。
「ねえ、不二は知ってる?紫陽花って土のpHによって色が変わるんだって。」
「ああ、聞いたことあるよ。」
「不二って紫陽花みたい。」
「クス、それってどういう意味かな…?」
「時によって変わる。つかみ所がなくて、本当はなに考えているのかわかんない。」
私の言葉を聞いてた不二が、驚いたように瞳をまるくする。
彼の色の薄い瞳は私の傘の色が映りこんでいて、少し赤っぽく輝いて見えた。
あれっ、もしかして、意地悪が効を奏した?
……一瞬そう思ってはみたけれど。
でもその瞳が見えたのは一瞬のことで、次の瞬間にはその瞳は優しいカーブを描く。
くすくすと可笑しそうに笑いながら、不二は私に謎かけのような言葉を投げかけてきた。
「わからないかな……?僕が今考えていることなんて、至って単純なことなんだけど?」
「単純って、なによ?」
「と相合傘をしたい。」
「だ、から……っ!」
もうっ、不二は人をからかってばっかりなんだから!
そう言って不二を睨みつけようと、傘を上げて顔を覗き込もうとした瞬間、突然、赤かった私の視界が蒼い世界に変わった。同時に背中に何かが触れた……と思ったら、それは不二の腕で、私の身体は見た目の細さからは想像も出来ないくらいに強い力で彼の方に引き寄せられてゆく。思わぬことに頭がパニックになって、力がぬけてしまった私の手から赤い傘がポトリと地面に落ちて音を立てた。
「ふ……じ?」
呼びかけても不二は何も言わないし、きつく抱きしめられているから顔を見ることもできない。
今のこの瞬間も私は彼の全てに魅了されてしまっているんだから、彼に勝とうだなんて到底無理な話。紛れもないその事実に、結局どんなことをしたってこの人には敵わないと思い知らされるんだ。
だけど……。
彼の胸に私の顔が密着したこの状態で、右の耳に聞こえてくるのは自分と彼の鼓動。
その2つの音が奏でるリズムに、私は息を呑んだ。
(もしかして、不二も……ドキドキしてる……?)
「。」
「っ……は、はいっ!?」
「少し震えてる。……恐い?」
「……あ……」
「ごめん、でももう少し、このままでいさせてほしいんだ。」
ううん、違うよ、不二。
震えてるのは恐いからじゃない。
……ドキドキしているから。
不二の身体をこんなに近くに感じて、信じられなくて、でも嬉しくて。
……ああ、こんな気持ち、どうしたら。なんて説明したらいいんだろう。
「どう……して?」
「うん……僕はもう……ダメみたいだから。」
「ダメ……って。」
「気付かない?僕の心臓、鼓動が早くなってること。」
「……」
もう一度耳を澄ませば、自分と彼の鼓動が、まるで追いかけっこしているかのように交じり合う。
同じくらいの速さで、時に重なり、離れては再びまた重なり合って。
だんだんと、どちらが自分の鼓動かもわからなくなってきて、それを意識すると、ドキドキがさらに増してゆく。けれども2つの速さは同じリズムを守ったまま。そしてそれが傘にあたる雨音と重なると、まるで三重奏の音楽を奏でているようだった。
「ねえ、。」
「な……なに?」
密着していると、囁くような声でも身体全体に響いてくる感覚がして、めまいがする。
私は思わず、彼の腕を解いて身体を離した。
「さっき、僕を紫陽花みたいだって言ったよね?」
「うん、言ったけど。」
「の言う通りかもしれない。」
「自覚してるの?」
「フフッ、そうじゃなくて。」
不二は落ちていた私の赤い傘を拾って、ニッコリと笑う。
差し出された傘を受け取って、自分でさしてみると、相合傘じゃない距離感が寂しく思えた。
「…は紫陽花の花言葉って、知ってる?」
「え?え〜と……あ、確か 『移り気な心』 とかじゃ、なかった?」
「日本ではね。だけどヨーロッパでは違う言葉で伝えられているんだよ。」
「違う言葉……?」
「『ひたむきな愛情』」
ひたむきな愛情……だなんて。
私の知っている 『移り気な心』 だとか 『冷たい』 だとか 『浮気』 とか…… そういうのとは
全く正反対と言ってもいい、その花言葉。
今まではその花言葉のせいであまりいいイメージをもてなかった紫陽花が、不二の言葉
ひとつでとても優しくて素敵な花に思えてしまうから不思議だった。
「知らなかった。そんな意味もあるんだ……?」
「うん。僕のへの気持ちと同じ。だから、さっきが言ってくれたことは正しいよ。」
「……え?あ、あの……?」
「ずっと見てたんだ、のこと。だけど……」
突然の、意外な不二の言葉に、今度は私が瞳をまるくする番。
何もいえずに固まってる私の顔を覗き込んできた不二が、ふわ……っと笑った。
「クス、やっぱり可愛いよね、って。」
「か……かか、可愛い!?」
「うん、そう言ったよ?」
「もう……またからか……」
「からかってなんかいないよ。でも……」
不二はなんだか少し寂しそうな表情をして、目の前に咲いている紫陽花にそっと手を触れた。
「悪いのはだよ。全然気付いてくれないんだからね。」
「……な……んの話?」
「いいんだ。もう雨がやむのを待つのはやめた。」
僕は紫陽花のように手を変え品を変え、君に気持ちを伝えようと努力してきたのに、
は全然お構いなしだったよね。
紫陽花が色を変えるのは、その存在に気付いてほしいからだよ。
そして紫陽花は雨が止むまでずっと、長く長く咲き続けるんだ。
そんな不二の口から漏れてくるひとつひとつの言葉を、私は夢見心地で聞いていた。
醒めない夢があればいいのに……
こんなに優しい雨ならばいっそ、いつまでも止まなければいいのに……と。
そうすれば私も紫陽花みたいに、咲き続けていられるのかな。
不二が言うように、ずっとこの思いを咲かせていられるのかな。
「紫陽花の花言葉の意味、わかってくれた?」
「え……、と、つまりそれは……その。」
「そ。僕はが好きだってこと。」
ドキン、と胸が鳴る。
だけど、不二の表情はいつもと変わらないように見えて、私はつい不安になってしまった。
「気まぐれ……じゃなくて?」
「気まぐれじゃなくて。」
「冗談……でもなくて?」
「本気だよ、僕は。」
普段より一段トーンの低いその声を聞いただけで、違うってわかった。
それは不二の心からの言葉なんだって。
その想いが伝わってくる。
少し顔をあげて目の前にある顔を見れば、不二はきっと真剣な顔をしてるだろう。
だけどもしその表情を見てしまったら、私はきっと立っていられなくなる。
不二を好きだから……だからこそ、今の私には刺激が強すぎて。
「そろそろ、聞かせてくれない? の答え。」
紫陽花が咲き続けるためにはなにより水が与えられなきゃダメなんだよ。
そう言いながら、不二は私に正面から向き合って、答えを待っている。
「あ……雨が。」
勇気を出して思い切って顔を上げたら、曇っていたはずの空から目に飛び込んできた光は、
思ったよりも眩しくて、私は思わず目を細めた。
「うん、どうやら止んだみたいだね。」
「私、ずっと雨が好きだったんだけど……」
「ああ……フフ、知ってたよ。」
「でも……少し嫌いになっちゃった。だって……」
雨が降って、傘をさしたら
一緒に歩く 『大好き』 な人との距離が少し遠くなるような気がして、寂しいじゃない?
やっとの思いでそう告げた私の言葉を、不二はちゃんと受け止めてくれて、
ありがとう、と、笑顔を返してくれた。
「でも、これからは寂しくないよね?」
「……どうして?」
「それはね……雨が降ったらこうして。」
不二は一度閉じた蒼い傘をもう一度開いて、私にさし掛けた。
「…ね?相合傘。」
「……う、でも恥ずかしいよ。」
「恥ずかしい?どうして?」
「だって……恋人同士みたい。」
言ったとたん、馬鹿なことを言った……って思った。
思ったとおり、私の答えが可笑しかったらしくて、不二は珍しく声を上げて笑った。
「はは……言ってくれるね、は本当に。」
「……だ、だってっ、どう言えばいいの?」
「いいよ、そのままで。そんなだから可愛いんだ。」
「か……!?」
うう、もうやだ、恥ずかしい。
隙あらばって感じで、すぐにからかうんだから。
ほんの少しだけ不二を恨めしいと思った瞬間、唇に何かが触れるのを感じて思わず目を閉じる。
蒼い傘の下に隠された初めてのキスは、蕩けるように、甘かった。
唇に残る甘くて切ない感触と、私の身体を駆け巡る鼓動。
そして 「好きだよ」 と耳元で奏でられた優しい言葉……。
その全てが切ないほどに優しく甘く、溶け合い交じり合って。
私の頭の中を優しい音がいつまでもエンドレスで鳴り響いていた。
fin
2006.6.28
written by Naono
このお話を某、不二会(笑)でご一緒させていただいた、
綾瀬さん、森島まりんさん、鈴子さん、みちよさんに捧げます。
無事に、梅雨の時期に仕上げられて良かったです(笑)
ありがとうございました!!
過日の不二会でお世話になった奈央乃さんから
「不二くんと相合い傘」なお話をいただきました。
優しくて少年らしい周助くんが素敵ですv ありがとうございました。
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