真田 弦一郎。
 厳しく、強い男性(ひと)。けれど、実はとてもあたたかい人。
 それを知るのは、私だけ。
 そう、思っていても、いいかしら?






霧 雨






、待たせたな」
 厳しい練習を終えて、ゆっくりと近づいてくる彼の、真摯な瞳に胸が高鳴る。
 私は心からの笑みでそれに応える。
「お疲れさま、弦一郎。終わりの方しか見てないけれど・・・相変わらず、厳しい練習ね」
「そうか? これが当たり前だからな・・・俺はさして厳しいなどとは思わんが」
「・・・あなたは努力家だもの」
 そう。
 王者立海大の名を背負って、その位置に立ち続けるというのは容易なことじゃない。
 当然のようにそこに立つ幸村くんを始めとする弦一郎や柳くんたち男子テニス部のレギュラーたちは、王者の名に恥じないような日々の練習と努力を積み重ねている。
 だからこそ、強いんだ。
 私は中学のころからずっとそれを見つめてきた。
 中学3年の一時期、病気で不在になった幸村くんの穴を埋めるかのように、それまで以上に弦一郎は自分に厳しくなった。
 そんな彼を、陰からそっと見つめていた私は、見ていることしか出来なくて、胸を痛めたけれど・・・今は、こうして隣にいることを許されている。
 だから、感じる。
 弦一郎の強さは、決して降って湧いたような薄っぺらいものじゃなく、彼の弛まぬ努力と地道な練習による、しっかりと根を張ったものだってことを。
 そういうところが、私を惹きつけてやまない彼の魅力だと思う。
 弦一郎の厳しさにしか目が行かない人は『あんな厳しくて恐い人のどこがいいの?』って言ってくるけど。
 他の人には彼の良さが解らなくてもいい。その分、私が独り占め出来るから・・・なんて言ったら、呆れられちゃうかな。
「・・・ ?」
 弦一郎が少し訝しげに私を見ていて。
 私はそこで初めて自分が考え込んだように難しい表情になっていたことに気づいた。
 私は慌てて笑みを浮かべる。
「ごめんなさい。なんでもないの」
「本当か」
「ええ、本当よ。おかしな気遣いさせちゃってごめんなさいね、弦一郎」
「・・・ならば、良いが」
 僅かに笑みの浮かんだ弦一郎の顔が、次の瞬間にはどこか心もとなげなものに変わる。
・・・その、今度の、日曜、なのだが」
「え? 日曜日がどうかしたの?」
「うむ。実はな・・・その日は、練習が午前だけなのだ。幸村が『たまにはそういう日がないとね』と、言い出してな」
「・・・ふふ。幸村はもしかしたら とデートするつもりなのかしら」
 彼は私の親友・ に相当惚れ込んでるらしくて、昼休みなんかも と一緒に過ごしたがっている。
 弦一郎は、私が や他の女の子の友達との時間も大切に出来るようにって気遣ってくれて、昼休みを一緒に過ごすのは週に2回と決めてくれているのだけど。幸村は毎日でも一緒にいたいらしく、 はちょっと閉口してる。
 そんな幸村の考えそうなことだなって、私は思った。
「うむ、そうらしい。・・・・・それで、だな、その・・・俺たちも、デ、デートというものをしてはどうか、と思ったのだが・・・」
 私は軽く瞠目して弦一郎を見上げる。彼は視線を空に向けていたけれど、目元が真っ赤だった。
 きっと、私のために一生懸命言ってくれてるんだと思うと、嬉しくて。
「なら、日曜日の午後は空けておくわね、弦一郎」
 微笑んで応えると、彼は安堵したように小さな溜息をつき、微かな笑みで私を見つめてくれた。
「そうか。ならば、桜の公園で待ち合わせるとしよう。時間は1時でどうだ?」
「お昼ごはんは? 弦一郎、もし良かったら、一緒に食べましょう?」
「そうだな。なら、待ち合わせは12時半にするか。部活は12時までの予定だからな」
「そうね。・・・楽しみにしてるわね」
「うむ」
 初めてのデートの約束をして、私は家まで送ってもらい、弦一郎と別れた。




 約束の日。
 弦一郎とデート、と決めたものの、行き先などは全く決めていなかったことに気づいて、私は朝から何を着て行こうかと頭を悩ませた。
 着物は論外としても、スカートにするか、パンツにするかは結構重要な気がする。
 さんざん迷って、今日のところはスカートで行くことにする。
 白いティアードスカートにベビーピンクのキャミソールとアイボリーのブラウス。それに、白いサンダルとバッグ。
 今日は髪もまとめてスッキリさせて。造花のついたコームを差した。
 準備がしっかり整ったところで、伯母さんに出かける旨を伝えて家を出る。
 雨でなくてよかった、と思いながら待ち合わせの公園へ急ぐ。
 公園の見事な桜の木の下で、弦一郎に告白されて、私も気持ちを伝えて。
 そういう大切な思い出のある公園は、私が下宿している伯母さんの家と、弦一郎の家の中間くらいに位置してるから、待ち合わせるには丁度いい。
「・・・少し、早かったかな」
 携帯の時計を確認すると、12時20分。約束にはまだ10分もある。
 けれど、そう思った途端、近づいてくる長身の人影に気づいて、私は目を瞠った。
 黒のジャケットに白のシャツ、インのTシャツはブルーグリーン、それに黒のジーンズの弦一郎は、凄く迫力があって、でもとてもカッコ良くて。
「・・・済まぬ、 。待たせたな」
 すぐ目の前で声をかけられるまで、私はその姿にボーッと見とれていて。
 声をかけられたことで、私は慌てて笑顔を作った。
「あ、ううん、そんなことないわよ。全然、待ってなんかないから」
「・・・ ?」
 訝しげに私を見つめてくる弦一郎に、私はますます焦って笑みを引き攣らせる。
 だって、やっぱり恥ずかしいじゃない。弦一郎がカッコ良すぎて見とれてた、なんて。
「・・・本当に、なんともないのだな?」
「・・・ええ。それより、弦一郎、今日はどこに行くの? こうして会うことしか決めてなかったでしょ、私たち」
「あ、ああ・・・そうだったな」
 弦一郎も特に何かを決めていた訳ではないみたい。私は少し思案して、花を見たいと言ってみた。植物公園で、今が一番綺麗な紫陽花や、温室で栽培されている蘭などを。
 今日は曇り空だけど、幸い、雨の予報は出ていない。
 私たちはバス停に向かい、一旦駅まで出て、乗り換えることにした。
「お昼、少し遅くなるけど、着いてから食べましょう。・・・それでもいい?」
「うむ、そうだな」
 弦一郎と私は並んで歩き始める。
 私よりも20cm近く背が高い彼は、当然歩幅も私のそれより広いけれど、今日はかなり加減をして歩いてくれている。
 そんなさりげない気遣いが嬉しい。
 バスの中では特に話もしなかったが、私たちの間にはやさしい空気が流れていた。
 植物公園には20分もすれば着いた。
「結構広いのだな」
「ええ。春だともっと人出は多いのよ。この公園には桜もたくさん植えられてるし」
「そうか。 はよく知っているな」
「母が好きなのよ、この公園。それで家族では何度も春に来てるの。だけど、私は紫陽花や薔薇も好きだから、この時期にも来て見たかったのよ。・・・弦一郎が一緒に来てくれて、嬉しいわ」
 正直に告白すると、弦一郎は微かに目元を赤く染めていた。
「そ、そうか。・・・ならば、行くとしよう」
 弦一郎は軽く咳払いをして、私の右手をぎこちなく握る。
 大きくてごつごつした印象の彼の手は、少し熱い。
 手だけではなく、私の心ごと包まれたような気がして、私も微笑みながらそれを握り返した。
 きっと、私の頬も赤くなっていると思う。
 メインの通路からは少し外れた青い紫陽花の木の側のベンチに、私たちは落ち着いた。
「・・・ 、いきなり休憩か? 昼食を・・・」
「・・・この鞄。どうして大きいか、判る?」
「・・・もしや」
 軽く瞠目した弦一郎ににっこりと微笑って、私は今朝作ったお弁当と、ペットボトルのお茶を取り出した。
「・・・味の保障は出来ないけど。でも、伯母さんには一応合格点もらったのよ」
 使い捨てのお弁当箱だから、一見コンビニのお弁当と大差ないけど。それでも、私なりに頑張って作ったつもり。
が作ってくれたとは・・・ありがたく頂戴しよう」
 弦一郎は微笑んでそれを受け取り、透明な蓋の下に並ぶ中身をじっと見つめてから箸を取り、蓋を開けた。
「美味そうだ」
 そう呟いて小さなサイズのハンバーグを口に入れる。
 その弦一郎の様子を、私は息を飲んで見つめていた。
 冷凍ものが簡単でいいけれど、今日のは私が作ったもの。その評価が少しだけ恐い。
「うむ。美味い」
「・・・本当に?」
「ああ。 も食してみるといい」
 弦一郎に渡したものよりも中身の量の少ない自分の分を開けて、彼の食べたものと同じものを口に運ぶ。
 それなりに、味も馴染んでる、かな。
「まあまあ、かしら」
「これでまあまあ、なのか?  は理想が高いとみえる」
「そんなことはないと思うけど・・・でも、弦一郎の口に合ったのなら良かったわ」
「こちらの肉巻きも美味い。それに、このハンバーグも、普通のとは少し違うようだが」
「あ、ええ。お豆腐を少し入れて軽めにしてみたの。伯母さんが教えてくれたのよ」
「そうか。よい、伯母さんなのだな」
「ええ。父のお姉さんなんだけど、自分の子供が男ばかりだからって、私のことを凄く可愛がってくれるの。だから、お料理とかも色々習ってるわ」
 私がそう言うと、一瞬だけ、弦一郎の眉がぴくり、と上がった気がした。でも、次の瞬間にはやさしい笑顔に戻ってたから、たいして気にも留めなかったけど。
 それからは、お互いあまり話さずにお弁当を食べることに専念し、お茶を飲んでひと息つくまで、特に会話はしなかった。
 弦一郎は残さずに綺麗に食べてくれたから、凄く嬉しかった。
「・・・ありがとう、弦一郎」
? 礼を言うのは俺の方だと思うが」
「ううん。作った方としては、こうやって残さず食べてもらえるのが何より嬉しいもの。だから、ありがとう」
「いや、こちらこそ。本当に美味かった、 。その・・・出来ればまた、作ってはくれぬか」
 微かに目元を赤くして言ってくれた弦一郎に、私は満面の笑みで頷く。
「ええ。こういうのでよければ」
「楽しみにしている」
 微笑んで頷いた弦一郎に、私もまた頷き返して、ゴミの片付けをして立ち上がった。
「温室、見に行きたいな。いい?」
「ああ。行くか」
 弦一郎はまたそっと私の手を握ってくれて。私もそれをしっかりと握り返した。
 こうして2人でいられるって、本当に幸せなことよね。
 温室で胡蝶蘭やシンビジウムなどを堪能して出てくると、細かい雨が音もなく降り注いでいた。
「霧雨か」
「そうね・・・」  
 雨が降るとは思ってなかったから、傘なんて持ってきていない。たいした雨じゃないから、濡れてもどうということはなさそうだけど・・・そう思っていたら、頭にふわりと何かが被せられた。
 それは、弦一郎のジャケット。
「弦一郎・・・」
「ひどい降りではないから、それである程度はしのげよう」
「でも、あなたが濡れちゃうわ」
「案ずるな。俺は大丈夫だ。 が風邪をひく方が大事だろう」
「弦一郎・・・」
 彼のやさしさと温かい気遣いに、私の心がふんわりと温められていく。
「ありがとう、弦一郎」
 自然に浮かんだ笑みで彼を見上げると、彼もやさしい瞳で微笑んでくれていた。
「・・・行くか、
「ええ」
 当たり前のように繋がれた手の温もりが、互いの気持ちを伝えてくれる。


 大好きよ、弦一郎。


 心の中でそっと呟いて、私は弦一郎と並んで歩いていく。
 霧雨はそんな私たちを包むかのように、やさしく降り続いていた。





END




このお話は過日の『不二会』で私に回ってきた(笑)お題です。
『永遠の乙女』『ピュアな真田』ということだったんですが、これではただの『ほのぼの』?
とりあえず、楽しんで書きました。綾瀬さん、鈴子さん、みちよさん、奈央乃さんに捧げます。
2006.7.6   森島 まりん


まりんさんから『ピュアな真田君』をいただきましたv
さりげなく優しい真田君に乙女心がトキメキます。惚けるヒロインちゃんも可愛いです。
まりんちゃん、ありがとうございました。



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