このシアワセを抱きしめて生きていくことができるなら……。 シアワセ 「そっちに行ってもいいかな?」 カレンダー通り休日が二日過ぎた夜 雑音が酷い公衆電話からの声に私は戸惑い 二の句が継げなかった。 「やっぱり迷惑だよね」 「ううん、そうじゃなくて。だって周助この週末は……」 「クス。予定変更…なんて身勝手すぎるかな」 これから最終に乗るから、じゃあまたあとで、と 切られた受話器をまじまじと見つめた私は、それがどういう意味なのか、周助から突然のオファーを自分なりに解釈するまで しばらくその場を動けなかった。 部屋を見渡せば 積み上げられた雑誌が数冊の脇、テーブルの上に無造作に置かれたCDのブックレットは3ページ目でひっくり返ったままだ。 大き目のマグカップに淹れた紅茶は周助からの電話を受けたのち、半分ほど飲んだところで冷めてしまった。 ふと見上げると半乾きの洗濯物をひっかけたカーテンレールの隙間からは外灯が薄く差し込んでいる。 そんなお世辞にも綺麗とはいえないこの部屋に ―――― 周助が…来る? 脳内で数分前の彼の言葉を思い出す。 プロのテニス選手として遠征に出る恋人には土日も祝日も関係ない。 今週末はランキングを上げる大切な大会があると、折角の連休なのに申し訳ないと周助から聞いたのは半月ほど前の話だ。 周助は自分がいわゆるホワイトカラーの仕事ではないせいで、私のスケジュールに合わせて行動できないことを 時折詫びることがある。 それは周助らしく生きるための当たり前のことなのだから 私は全く気にしていないし、寧ろ全面的に応援しているのだけど、周助はそんな私の言葉に いつも複雑そうな笑みを返す。 さっきの電話は、携帯を使い辛い条件等の理由で、わざわざ公衆電話を探してかけてきてくれたのだろう。 回線の関係で少しくぐもったように聞こえた周助の声を彼だと認識するまで 私が時間を要してしまったのは、今週末は会えないのは勿論、声を聞くことさえ難しいと予想していたから。 周助は大会で勝ち上がっていくと 徐々に周囲との連絡を絶つ癖がある。 厳しい試合の連続で張り詰めた緊張を維持するための法則は ひたすらストイックに自分の中に入っていく方法だ。 だからまるでオフにきままにデートをするような雰囲気の周助の声に私は本当に驚いたし、それと同時、本来なら明日一杯かかるはずの大会の期間中にこちらに来る、という話に……優勝を逃したのだろう、と残念な気持ちになる。 周助に会える、という喜びより 優勝候補だと注目されていた周助が敗退となってしまったことに 私は割り切れない気持ちになった。 試合結果は翌日のテニス協会の速報で確認する事にしている私は、フライングで情報が掲載されていないか、パソコンを立ち上げようとしたところで、でも、と思いとどまった。 結果を知ったところで、周助が誰にどんな形で負けたと情報を得たところで、私が周助にかける声など生まれてこない。 私はテニスには疎いくらいだし、ましてや、コーチのような役割などできるわけがない。 悪戯に励ました所で最も悔しいのは周助なのだし、テニスに関連することを 私には積極的に話そうとしない周助は 職業の話題をオフに持ち込むことを好まないタイプなのだとも思う。 ふう、と ため息を一つ零して、もう一度私は自室を見渡した。 いくら恋人と接触のない連休だからって、こんなに散らかってる部屋は目も当てられない。 周助が見える距離に居てくれないと、こうもだらけてしまうのかと、自戒を込め「しょうがないなぁ」とぼやくと 携帯のメールがブルブルと震えた。 「一泊程度できる支度をしておいて」 簡潔な指示文は周助のアドレスから。 最終電車は酔っ払いが沢山いて連休なのにしんどい、と そんな情景描写も書き添えられている。 突然訪ねてきて、すぐにどこかに連れ出すつもりなのだろうか? いつもなら、まずは私の予定や希望を聞いてから 計画を立てる周助の突発的な言動に、メールを何度か読み上げた私は三度部屋を見回し「困ったな」と他人事のように呟いた。 「急いで片さなくても良かったのに」 「……え」 「クス。急なことばかりで 慌しくさせてしまったかな?」 周助の電話を受けてからの私の行動をモニターでみていたかのように 周助はどたばたな私の数時間を述べ、笑った。 午前1時を過ぎて我が家に到着した周助は思ったほど疲労はしていない様子で、私に向ける笑顔もいつものそれと変わらない。 敗戦となっても満足の行く試合内容だったのだろうか。 周助のテニス人生において前進のための敗北なら 私から振る話題ではないと、私は小さく胸をなでおろした。 「ねぇ…」 「なに、周助」 「心配してくれたんだ?」 荷物を置いた周助の両手がそのまま私の身体をひと巻きにした。 ゆっくりと私の表情を覗きこむ周助は「ごめん」軽く詫びたあと触れるだけのキスを落とす。 部屋は片付けたし、私は薄くお化粧もしたけれど、それでも 余所行きとはいえない今の私としては 恋人からすれば当たり前の行為もなんだか一杯一杯で。 ぎゅっと瞑った瞳は条件反射としか言えないほど、ぎこちなかった。 「ただいま…って、本当は言いたい所なんだけど」 「…え。ひょっとして、どこかに」 「うん。 あの鞄?の一泊の用意は」 「……そう、だけど」 短時間で本当に良く頑張ったね、と 周助は私の頭を撫で微笑んだ。 あまりに心から嬉しそうな笑顔をみせるから 周助を喜ばすことが出来たと思う単純な私は 彼のからかいかもしれない反応を真に受けてしまう。 照れて赤面するなんてまるで中学生みたいなリアクション。そういえば周助に最初にガールフレンドが出来たのはその頃だったと、いつか小耳に挟んだエピソードを思い出した。 「なにを思い出しているのかな?は」 「え?」 「今。意識飛んでいたよね?」 周助は、徐々に無表情になった私が不安を覚えたと解釈したらしく「そうだな…何から話せばいいかな」 と ソファの上に座るように勧めた。 「本当はもっときちんとした形にしたかったし。いずれそうするつもりなんだけど」 「…はい」 「時間がなくて。思った以上に好調なのも、君のお陰だって思ってるんだ」 「わ、私…?」 好調、というのならテニスの成績のことだろう。 私はテニスに関して口を挟んだことはないし、これから先もルールを理解するのがいいところだと思う。 私はテニスプレイヤーの不二周助を好きになったというより、好きになった周助の仕事がテニスだった、という経緯で彼と恋人になったのだし、テニスは周助の才能と努力に見合った幸運で開花しているのだと 心から思う。 「うん、全てのお陰」 「そんなことはないわよ、周助」 間髪いれずに反論めいたことを口走った私の言葉に周助が驚いたような顔になる。 「周助は立派だもの。私はただ…」 「ただ?」 私、油断するとすぐに部屋が散らかるし、まともにラリーも出来ないし、学歴だって誉められたものじゃない。 周助の栄養管理だってとても出来そうにない………。 「私は…全然駄目で。今の周助は、周助の力だからこそって、思ってるから」 「」 ゆっくりと瞬きした周助はもう一度私を両手で抱きしめた。 不安定なソファの上で加えられた力は私の意思とは別に視界を反転させる。 さっきの口付けとは違う感触にはっと我に返っても、時既に遅く。 テニスのことだからつい強情を張ってしまったけれど 周助が絶対だと思うことを頑なに否定すると、彼は時として 強硬手段に出ることを 私は思い出した。 「周助」 「ん、なに?」 「あの、私…」 「うん」 私の瞳の色を感じ取ってくれた周助は やさしく抱きかかえるように私を引き上げ、隣に腰掛ける形でソファに座りなおした。 「…その、ごめんね、周助」 「だから、なにが?」 「どうしても 素直になれなくて」 「そうかな?」 「前の…周助の昔の彼女みたいじゃなくて」 ぽろっと零れた言葉に本人である私が最も驚いた。 なんてことを言うのだろう? なんて僻みっぽいのだろう? なんて………器の小さい女、なのだろう。 「」 「……」 「?」 「……ごめんなさ…」 「違うよね?」 謝るところじゃないよ、と 周助は目を見開いて私を強く見つめる。 責められているのではないのに、私は恐くて目をあわせられない。 会話など無理だと思っていた週末、電話を貰えて嬉しかった。 会えることになって小躍りしそうになった。 慌てて部屋を片付けて取り繕って。 小旅行に出かける準備の意味はまだわからないけれど。 なにかと忙しい周助が私のことまで気にかけてくれるなんて、私には勿体無いほどの幸せだ。 けれど、いつも思ってしまう。 私はどれだけ 周助に返せているのだろう…と。 「最後まで、話を聞いて欲しいんだ」 それまではキスも我慢するから、と どこか私をなだめるように周助が口を開いた。 私の肩に置かれた周助の掌からは 薄いブラウス越し 幾重にも出来た豆の凹凸が伝わってくる。 「一緒に、来て欲しいんだ。明日の試合を見ていて欲しいんだ、目の前で」 「明日の…試合?」 「あぁ。決勝戦。勝てば……目処がつくから」 決勝戦、に周助が出場するというのならば、今日は敗戦の為に戻ってきたのではなく、わざわざ遠路はるばる目的があって 私の部屋に来訪したことになる。 私を連れ出すために…電話で指示を与え呼び寄せるのではなくて、自ら出向いて誘うために……周助は。 「君に…に見ていて欲しいんだ。 今の僕の全てを」 「周助」 「君が…僕のシアワセだから。僕は君に会うためにここまで頑張ってきて、君と一緒だから、これから先も……そう思えるようになったから」 「……周す…」 「中等部や高等部の頃、君を知らなかった頃の僕だって…君に繋がる為の僕の大切な人生だったって、思っているよ」 「だから……僕のテニスも好きになってもらえないかな…?」 肩に置かれたままだった 見た目よりずっと厚みのある掌に自分のそれを私は重ねた。 上手く言葉が出てこないから YESの意味で頷くと 涙が何粒も膝の上に落ちていく。 「…ごめんね、周助」 「」 「わざと周助の仕事…テニスに限って知らん振りしていたの。 勿論応援はしていたけれど」 「うん」 「……”一番”に、嫉妬していたのかな」 中等部の頃、周助が好きだった女の子はとてもテニスに精通していたと 周助の古い友達から聞いたことがある。 きっと周助にとってテニスもその子も一番だったのだと……私は周助に受け入れられても、どんなに大切にされても、片想いを続けているような気持ちでいた。 周助はそんな私の勝手な嫉妬やいじけしまう性格も とっくに気づいていたのだろう。 「僕もこだわってしまって、ごめん」 「え?」 「から大会を観戦したいと、言って欲しくて。今まで一度も誘わないまま…」 「おたがいさま、なのかな?」 と 周助がクスリと微笑んだ。 その笑顔の傍にずっといたいと 私は今更ながら願うような気持ちになる。 「周助」 「うん」 「連れて行ってください、会場に。 周助のテニスを見せてくださ…」 「っ」 ぐるりと天井が回り ふっと気を失いそうになった。 息が苦しいのは周助の唇が私のそれを塞いでいるからで、胸が一杯なのは 愛する人のぬくもりを感じているから。 視界の隅に大急ぎで荷造りをしたボストンバックが映る。 始発の電車まであと数時間。 私たちのシアワセはきっと こんな瞬間の重なりあいなのだろう。 「」 「ん?」 「…愛している」 こくりと頷くと「返事は?」と周助がちょっとだけ待ちきれないような口調になった。 「私も」とやっと紡いだ言葉は声よりも先、蒼い瞳の中に溶けていく。 翌日の夕刻、優勝杯を掲げた周助の写真が号外として頒布され その日以来、私のボストンバックは常にシアワセで満杯となった。 end by 千春 お誕生日おめでとうございます♪森綾瀬さまへv僭越ながら精一杯の周助君Loveをこめてお贈り致します。 綾瀬さんの甘く暖かいお話から頂戴している「シアワセ」を私なりにイメージして作りました。 お読みくださいまして、ありがとうございました。 【オペラグラス】の千春様から、シアワセ溢れる周助くんドリームをいただきました。 私の書くドリームをイメージとのことで感激です…! 素敵なドリームをありがとうございますv BACK |