Warmth 1





 梅雨の季節にはめずらしい程よく晴れた金曜日。
 大学の講議を終えた周助は、恋人の待つマンションへ向かっていた。
 平日も祝日も関係なく仕事をしている恋人との逢瀬は、実に三週間振りだ。
 久々に恋人と会えるということが周助の足取りを軽やかにしているが、、彼を知らない人が見てもそうとはわからない。わかるのは恋人の と、彼との付き合いの長い元青学レギュラー陣の面子くらいだ。
 久しぶりの逢瀬に加え、これから明日の夜まで恋人と二人きりで過ごせるということも周助の足取りを軽くし、また彼の心を幸せで満たしている。


 笑顔で自分を迎えてくれるだろう恋人のことを想いながら、周助の脳裏に昨夜の出来事が甦る。
 真夜中を少し回った頃。
 周助の携帯が電話着信を告げた。
 光るディスプレイにはと表示されている。
 彼女は気を遣う性格なので、真夜中にメールや電話をしてくる人ではない。それは周助が と付き合う前からの彼女の信条らしく、破られたことはなかった。周助としてはからのメールや電話が迷惑なはずはなく、いつでもかけて欲しいと思っているのだけれど。
 そんな恋人からの突然の電話に周助が驚いたのは言うまでもなく、彼はすぐ電話に出た。
、何かあった!?」
「えっ?」
 電話越しに聞こえた周助の声の大きさに は驚いた。彼の慌てている声を初めて聞いた。
「あの…周助?どうしたの?そんなに慌てて」
 いつもの恋人らしくない態度に は困惑しながら問う。
 そんなの様子から慌てるような出来事は何もないということがわかり、周助はそっと安堵の息をついた。
「ごめん、何でもないよ。こんな時間に珍しいね?」
「うん、ごめんね。ちょっと声が聞きたくなって」
「クスッ」
「笑ったわね。ふーんだ。どうせ子供みたいだって思ったんでしょ?」
「そんなことないよ。 のそういうところも可愛くて好きだよ」
 息の飲む気配が伝わってきた。きっと真っ赤になっているだろう を想うと、愛しさが込み上げてくる。
 それと同時に無性に会いたくなってしまった。
「ねえ、
「何?」
「今から逢いに行っていい?」
「もう真夜中よ?危ないわ」
「わかってる。でも に会いたいんだ」
「周助…」
「ダメ?」
「気持ちは嬉しいけど、明日も大学あるでしょ? あのね、明日と明後日仕事が休みだから、明日じゃダメかな?」
「え?休みは明日だけだったよね?」
「明後日はお店が臨時休業になったから」
「そうなんだ。じゃあ明日講議が終わったら、すぐ に会いにいくよ」
「うん。お夕飯作って待ってるね」
「楽しみだな。 あ、そうだ」
「ん?」
「泊まっていいんだよね?」
 少しだけ甘くなった周助の声に心臓が跳ねる。言葉通り泊まるだけではないのがわかるので、すぐに返事ができなかった。
「……うん」
「よかった。じゃ、また明日」



  の住むマンションまであと10分くらいで着くというところで、ポケットの中の携帯が鳴った。
 メロディは夜想曲。
 の好きな曲を周助は 専用の着信音にしている。
 けれど、電話に出た周助の耳に聞こえたのは、愛しい恋人の声ではなかった。
「不二君?」
「…その声は さん?」
 周助の携帯に電話をかけてきたのは、の親友のだった。
 周助が疑問を投げかける間もなく、 は衝撃的な事を周助に告げた。
「不二君、大変なのよ! が――」
が倒れた!?」
 衝撃的な内容に目眩がした。
  の言葉が頭の中を駆け巡る。
「大丈夫よ!命に別状はないから」
 呆然とする周助をの声が引き戻す。
はどこに!?」
「自分のマンションよ。私も と一緒にいるけど…不二君もすぐに来て!」
 周助は に返事をすることなく電話を切り、全力疾走して のマンションへ向かった。
 マンションに着いた周助はエレベーターホールに向かったが、エレベーターは5階で止まっていた。
 の部屋は5階だ。
  
エレベーターが1階に降りてくるのを待つ時間が一秒でも惜しく、周助は踵を返して階段を5階まで一気に駆け上がった。
 息を切らしながらインターホンを鳴らすと、が姿を現した。
 周助は逸る心をおさえきれず、 に詰め寄る。
さんっ! は!?」
「早かったわね、不二君。予想通りだわ」
「………は?」
「本当にのこと大事なのねぇ」
さん、僕をだましたね?」
 色素の薄い瞳を細める周助に、 は顔に優雅な笑みを浮かべて頷いた。
「そうよ。でも、感謝して欲しいわね?」
「だまされて僕が感謝すると思う?」
 周助の語気にか微かな怒りが混じるが、は全く気にしていない。それどころか、彼女は楽しそうに微笑んでいる。
「たぶんね。私からの甘い時間のプレゼント、楽しんでね」
  は「じゃあねー」と手をヒラヒラ振って、 の部屋から歩き去った。
 周助は の後ろ姿を複雑な表情で見届け、部屋の中へ足を踏み入れた。
 中に入った周助はリビングのほうから漂ってくる香りに柳眉を顰める。
 まさか…、と思いながらリビングへ急ぐ。
 周助の色素の薄い瞳に映ったのは、危惧した通りの の姿。
 ガラステーブルの上に、2つのワイングラスと空になったワインのビンが5本のっている。
 そしてはソファで寝息を立てていた。
  が酒盛りをしていたであろうことは、状況からすぐにわかった。
 はあまり酒に強いほうではなく、むしろ弱い。逆に はいくら飲んでも顔色が変わらない上、酒に強い。
 おそらく は強引に に飲ませたのだろう。
 この時ばかりは、このふたりが親友だということに周助は疑問を抱いた。
 けれど今は、そんなことを気にしている場合ではない。

 ――楽しんでね

  とは言い残していったが、この状況では何もできないではないか。
 恋人との甘い時間を邪魔されて喜べるはずがない。

「余計なことをしてくれたね、 さん。お仕置きしておかないとね」
 この場にいない人物に向けて冷ややかに言って、ソファで寝息を立てている恋人の傍らに座った。
 ソファが沈んだことで目が覚めたのか、 はゆっくり起き上がって周助のほうへ顔を向けた。
「あれぇ?しゅうすけぇ?どーしたのぉ?」
  は相当酔っているらしく、喋り方が舌ったらずだ。
  そんな に周助は苦笑しつつ、口を開く。
に逢いにきたんだよ」
「ほんと?」
「昨日約束しただろ?覚えてないの?」
 は黒い瞳を瞬いて、嬉しそうに笑った
「ほんとに来てくれたあ」
「当たり前だろ。 と会えるの楽しみだったんだよ?」
 周助は少し怒ったように言ってみた。
  は素直なので、普段ならひっかかるのだが、酔っぱらっているからか通用しなかった。
  はにっこり笑って周助に飛びつき、彼の胸に自分の顔を埋めた。
「わらしも周助に逢いたかったよぉ」
 いつも甘えてこない年上の恋人の行動に周助は一瞬驚いた。けれど、すぐにいつもの笑顔と余裕を取り戻した。
 抱きついてくる を少し力を込めて抱きしめ返す。
「…周助の体温、安心するー。気持ちい…」
「そう?」
「うん、ずっとこうしてたい。……ねー、しゅうすけぇ」
「何?」
「大好き」
 そう言うと、腕の中の温もりは重さを増した。
「フフッ、僕も大好きだよ」
 周助は の唇にキスをして、恋人の温もりを確かめるようにもう少しだけ強く を抱きしめた。




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