君のために空けておいた両手




「ねえねえ、チョコレート渡した?」
「もち! そっちは?」
「直接は怖いから、机の中に入れてきちゃった」
「私は渡して逃げてきちゃったよ〜」
「ええーっ。じゃ、告白しなかったの?」
 ホームルームが始まる前の教室の片隅で、クラスメイトの女子数人が楽しそうに話をしている声が、聞くとはなしに耳に入ってくる。
 今日はバレンタインで、校内のいたる場所で女の子が男の子にチョコを渡したり、机の上に置いていたりする姿があった。
 容姿にそれなりの自信がない子にとって、告白を許されているような、背中を押す役割のような機会は少ない。だからチャンスを最大限に生かすのは道理だろうと思う。
 例えば街中のチョコレートショップで、目当ての――好きな人に贈るチョコレートを探す女の子たちは、瞳をキラキラ輝かせて楽しそうだ。
 けれど、はそんな風景とは無縁だった――というより、たくさんの中のひとつになってしまうのが嫌で、用意をしていない。
 チョコレートを贈りたいと想う人はいる。
 気になったのは去年の冬の終わり。
 好きと自覚したのは初夏に行われたテニス大会だった。今思えば、それよりもっと前に好きになっていたと思うけれど。
 ともかく、その人は去年たくさんのチョコレートを貰っていた。それこそ両手から零れ落ちてしまいそうなほど。
 彼は優しくて礼儀正しい人で、だからこそ贈られるチョコレートを拒む…断ることをしないのだろう。それはイコール女の子の気持ちを傷つけることになる。
 ――佐伯君て好きな人がいるらしいよ
 そんな噂を耳にしたけれど、変わらずにチョコレートを受け取っているのは、断るしかない彼なりの優しさなのではないだろうか。
 もっともそれは自分に都合のいい解釈、希望であって、実際は違うかもしれない。
 けれど。
 好きな人がいると知っていて、けっして心が、想いが――「好き」が伝わらないことをわかっていてチョコレートを贈る勇気はにはない。
 義理として渡しても意味がない。
 かと言って本命では受け取って貰えない。
 だったら、想うだけでいるしかない。
 誰か他の人を好きになるまで。
 あるいは、佐伯に彼女ができたのを知るまで。きっとそれでも彼を好きなままだし、とても考えたくはないけれど。

「あ、おはよう」
 頭上から声をかけられ、視線を上に向ける。
「おはよう。 はもう渡したの?」
 主語を省いたの言葉に、は首を横にふった。
「用意してないんだ」
「ええっ?」
 驚きに瞳を瞠るは、が渡すのを当然と思っているようだった。
「だって、黒羽君が、」
 は一度言葉を切り、との彼我を縮めた。他の人に話し声が聞こえないようにするためだ。
「大丈夫だって言ってたじゃない」
「そうなんだけど…」
 もし黒羽の言葉が違っていたら、はっきりと脈なしの太鼓判を押されてしまう。
 想っていることが知られてしまった上に振られてしまうなんて、二重のショックに耐えられそうにない。
「気持ちはわか――」
「ちょっといいかな」
「さっ……!」
 の声に重なるようにかかってきた穏やかで張りのある声に、は驚愕して瞳を大きく見開いた。
 たったいま噂にしていた人が、好きな人が急に姿を見せて、驚かないはずがない。
 との会話は聞かれてないと思うけれど、そんなことよりなぜ佐伯がいるのか。いや、同じクラスなのだからいてもおかしくはないのだけれど、さきほど昇降口で女生徒に囲まれていたから、教室にはとうぶん入ってこなそうだと思っていた。
、ちょっとを借りていいかな」
「ちょっとと言わずどうぞ。一時間目は自習みたいだし」
 佐伯の訊くではなく頼みのような言葉には即応じた。実はがダメなら佐伯をけしかけようと考えていた。だからこの状況は渡りに船な展開だ。
「ちょ、…」
 黒羽君じゃないけど、絶対に大丈夫だから。
 の耳に唇を寄せ、囁くように告げ、彼女の背中を押す。
 にぎこちなく僅かに頷き、椅子から立ち上がった。
「教室じゃなんだから」
「…うん」
 そうして二人は振り返ることなく教室を出て行った。だから、は知らなかった。が泣きそうな笑みを浮かべていたことに。



 あまり使われていない階段の近くで佐伯は足を止めた。隣に並んで歩くなんてことはできず、彼の半歩斜め後ろを歩いていたも、彼にぶつかりそうになって慌てて足を止めた。
 振り向いた佐伯の切れ長の瞳と真正面から目が合って、の心臓がバクバクと駆け出す。
 こんな時なのに、窓から差し込む陽に佐伯の明るい色の髪が煌いて見えてかっこいいなと思っていると、佐伯が口を開いた。
「あのさ」
「う、うん」
 校内なのにやけに静か過ぎて、跳ね上がる心臓の音が佐伯に聞こえていないか心配になる。
「君のために空けておいたんだけど、ダメなのかな?」
「え?ダメって何が?」
 はわからずに首を傾げる。
「君から…君だけから受け取りたくて、両手を空けておいたんだ」
「受け取り…って、え、」
 ひらめくように浮かんだのは、チョコレートという単語だった。
 それが正解なのかわからなかったけれど、佐伯の言葉がそれを証明した。
「たぶんが思ったので正解。 君からチョコレートを貰いたいって…君のためにというか、俺自身のためにって感じだけど、両手を空けて待っていたんだ」
 は驚いて声が出ず、佐伯を見上げたまま固まってしまう。
「君が好きなんだ。俺と付き合って欲しい」
 嘘、との唇が動くが、声にはならなかった。
 の瞳の眦から、涙が零れ、頬を伝い落ちた。
 潤む視界の中、わずかに焦った顔の佐伯が映って、慌てて制服の袖で涙を拭う。
「さ、佐伯くん」
 心臓がドキドキと早鐘を打っている。緊張ではなく、嬉しさゆえに高鳴る鼓動。
「…す……好きです。わ、私とお付き合いしてください」
「うん。 じゃ、これからもよろしく」
 佐伯は緩く首を傾げ、嬉しそうに笑った。 
 は頷いて、ついで僅かに眉間に皺を寄せた。
「佐伯くんごめん」
「え?」
「チョコレートは用意してないの」
「ああ、なんだ。そっちか」
 佐伯はホッと息をついた。
 付き合うという返事を撤回されるのかと思って焦ったのだ。
「気にしないでいいよ。欲しかったものは」
 佐伯は腕を伸ばし、を軽く抱きしめた。
「こうして両手の中にある」
「さ、佐伯くん…」
 佐伯は頬を赤く染めるにクスッと笑った。
「ねえ、今日一緒に帰れるかな?」
「!う、うん…!」
 まだほのかに頬を染めたまま、は花が綻ぶように微笑んだ。




END

キミとチョコレート5題  4. 君のために空けておいた両手 Fortune Fate様

この話は黒羽のドリームとリンクしています。

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